ごめんなさい、正直、ウケないだろうと思っていました──。
昨年11月下旬、インドネシア・ジャカルタ近郊のショッピングモールの催事場で、吉本興業のトリオ「ザ・スリー」のコントを見た。数百人いる観客のほとんどが現地の人だ。リーダーの浦圭太郎(31)が観光名所を模した塔を背に立ち、携帯電話を取り出す。画面に向かって、はじけた笑顔。あ、「自撮り」か。その瞬間、周囲が爆笑に包まれた。
続いて、太めの山口健太(28)と、どこかマイペースな浜田大輔(31)も登場。3人はコミカルな動きで自撮りをし合い、最後は組んずほぐれつの展開に。観客は終始、大笑いだった。
舞台を見た大学生のプリスチラ(21)は、「インドネシアのコメディアンにはない発想。もっと人気がでると思う」。別の男性会社員も、「ネットで日本のアニメはよく見るが、コメディーも見たい」と好感触だ。
ザ・スリーは吉本興業が昨春からアジア5カ国・地域(インドネシア、タイ、台湾、マレーシア、ベトナム)に派遣した9組13人の「住みますアジア芸人」の一組だ。結成5年。日本では芽が出ず、活路を求めてジャカルタにやってきた。
わずかな給料と住む部屋は与えられる。あとは現地の暮らしになじみ、言葉も文化も違う国の「笑いのツボ」を探し出すのがミッションだ。
世界最多のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアでは、裸になったり女装したりは厳禁。人をぶつのもダメ。下ネタも好ましくないが、少し交ぜると大いにウケる。また、日常の何げない言動をいじる「あるあるネタ」が好まれるなど、数カ月かけて学んできた。
住みますアジアの狙いは、吉本興業の海外展開にとどまらない。背後にあるのは国が後押しするプロジェクト。韓国や中国との、アジア圏での「ソフトパワー競争」だ。
「あたりまえ体操」がブームに
1990年代から国を挙げてソフト輸出を図る韓国は、アジアのテレビ局に韓流ドラマを安く卸す戦略を進めてきた。ドラマのヒットとともに、ドラマに映る韓国メーカーの家電や自動車を売り込む「エコシステム」をつくり、輸出産業の側面支援に成功してきた。最近は中国もこの手法に追随する。
こうした動きに対抗すべく、2014年秋、吉本興業や電通、ドワンゴなど6社は日本のエンターテインメントをアジアに本格展開するための合弁会社「MCIPホールディングス」を設立。国も官民ファンドを通じて10億円を出資した。その先兵を担うのが、住みますアジア芸人たちだ。韓国や中国にはない「笑い」のコンテンツで、巻き返しの突破口を探る。
日本の笑いはアジアで受け入れられるだろうか。実はザ・スリーが赴任したインドネシアには成功例があった。
ジャカルタ市内の住宅街に住む自動車部品会社勤務のフィルマン(37)とリリー(39)夫妻を訪ねた。近所の友だちと遊ぶ子どもたちにスマートフォンで、ある動画を見せた。みな口々に「イヤイヤラー!」と口ずさみ、ゲラゲラ笑い出した。
イヤイヤラーは、直訳すると「そりゃそうだ」。日本でも人気の漫才コンビ「COWCOW」の「あたりまえ体操」のインドネシア語バージョンだ。3年前にYouTubeに動画が投稿され、400万回以上再生されるブームになった。踊り好きの国民性とわかりやすいネタがツボにはまったらしい。
同国でもネットの普及やテレビの多チャンネル化が進み、異国文化に触れる機会が増えている。「最近はマレーシアのアニメや、欧米風のスタンダップコメディーも人気がある」とリリーは話す。
テレビ局を傘下に持つ大手メディア「MNCグループ」幹部のレイノ・バラック(31)は「インドネシアの人気テレビ番組といえば、長く音楽番組が主流だった。今後はお笑いに興味が移るだろう」と予測する。生活に余裕がでてきた中間層が、より新しい娯楽を求める流れも後押しする。「吉本の進出は良いタイミングではないか」
ただ、「日本の漫才やコントは、文脈を理解しないとわからない『練られた笑い』。見聞きして単純におかしい笑いの方が、この国では好まれる」と注文もつける。
確かに、冒頭のザ・スリーの「自撮りネタ」はせりふもなく、わかりやすい。浦はこの日の客の反応に満足しつつ、「いつかはせりふを交えてコントで笑わせたい。共有できる笑いのツボはきっとある」と決意をみせた。
(和気真也)
(文中敬称略)
落語と漫才。人々に笑いを届ける芸の代表だが、いずれも仏教から派生したことはあまり知られていない。説教にたとえ話を交え、オチをつけたものが落語となり、二人芸で仏の教えを普及させようとしたのが漫才となった。
落語の祖とされるのは、京都・誓願寺で法主を務めた僧侶、安楽庵策伝(1554~1642)だ。難しくなりがちな説教を、時に笑い話をからめて分かりやすく伝えて人気を集めた。作品は「醒睡笑」にまとめられ、「平林」「子ほめ」など今も高座で披露される演目も多い。
その「おもしろ話」を使って金もうけを思いつき、人が集まる神社などで辻話を披露して投げ銭を集めたのが、落語家のはしりとされる。
一方、漫才は愛知県知多市に伝わる「法華経万歳」を元にした伝統芸能が起源とされる。市によると、江戸期には農閑期の出稼ぎとして興行元の「太夫」が「才蔵」を連れて家々をまわり、歌舞音曲などの芸を披露。お客を退屈させないよう、合間に二人で軽妙な掛け合いをした。一方がおどけ、一方がたしなめる。ボケとツッコミの誕生だ。近代、ラジオが普及すると、横山エンタツ・花菱アチャコの「しゃべくり漫才」が人気を博した。
落語も漫才も地域性に強く影響された。粋な人情話や支配階級の武士を小馬鹿にする演目が多い江戸落語に対し、上方落語は笑いを重視した。定席「天満天神繁昌亭」の支配人、恩田雅和(66)は「大阪の人は笑いに貪欲。物語性よりも、爆笑する笑いが多くないとウケなかった」と言う。演芸評論家の相羽秋夫(74)は「ボケとツッコミは互いが対等な関係でないと成立しない。大阪は縦の関係が強い武士社会ではなく、横のつながりを大切にする商人の街。生活の潤滑油に笑いが必要だった」と解説する。 世の東西を問わず、人々は日々の憂さを笑いで晴らし、そこに笑いを職業とする人が生まれた。中世ヨーロッパでは、その役を道化師が担った。『図説 笑いの中世史』(ジャン・ヴェルドン、原書房)によると、道化は宮廷に欠かせない存在であると同時に、主人のいない道化師は村々をまわり、庶民を笑わせていたという。
(宋潤敏)
(文中敬称略)
笑いをとりまく現状について、日本テレビの年末特番「笑ってはいけない」シリーズで知られるプロデューサー、「ガースー」こと菅賢治に聞いた。
昔、野球観戦に行ったら、観客席に酔っぱらいのオジサンがいた。ひいきのチームの投手が打たれた瞬間、「○○(投手名)、風呂沸いたでー!」。同じスタンドで見てる客がどっと笑った。「引っ込め」ではこうはいかない。まさにヤジ将軍。かつては、国会でもセンスの良いヤジが飛んでましたね。最近、聞かないなぁ。政治を笑う風刺も、今の日本は控えめ。本来、力の弱い者が権力に向かっていくところに笑いは生まれるんだけど、つっこまれる側にも強いキャラが要る。おもしろい返しができる政治家が少なくなっているのかも。
テレビのバラエティーも最近、おもしろくないと言われます。そうかもしれない。制約が多くて、年々厳しくなっている。この空気は誰が生み出しているんでしょうね。
ダウンタウンの番組でも、小玉スイカを投げ合う企画をしたら、すぐに「食べ物を粗末にするな」と視聴者の声を頂く。それを受けて翌年は「この後、スタッフがおいしく頂きました」とテロップを入れた。今度は「ウソをつくな」とクレーム。翌年はスタッフ一同で食べている映像を流した。ケンカ売ってるって? いいえ、意地と、シャレです。
子どものころ、お笑い番組を見ていて母親から「こんなことしちゃダメよ」と言われませんでした? それって実は大事なこと。実社会から離れたテレビの中のことを、「間抜けだな、バカだな」と笑えることって必要じゃないですか。
本能なんですよ、笑いって。子どもたちには、愉快な人生を歩んで欲しい。幸せの基準は人それぞれだけど、愉快は笑いに直結する。笑って寝られたら、愉快な人生に近づけるでしょ。
では、どうしたら人を笑わせられるか。わからないんです。こんだけやってても、本当のところが。ダウンタウンや明石家さんまさんですら、命をカンナで削るようにして考えてますよ。わからなくて、知らない世界がありそうだから、続けられるのかもしれません。
(構成・和気真也)
すが・けんじ 1954年生まれ。日本テレビの「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」や「踊る!さんま御殿!!」を手がけ、2014年に独立。著書に『笑う仕事術』(ワニブックス)
1本の電話が、その「喜劇的悲劇」を生んだ。昨年、香川県が名産の讃岐うどんPRのために制作したカルタの「つ」の読み札、「強いコシ 色白太目 まるで妻」。これに「良い印象を持たない人もいる」とクレームがついた。担当者は大慌て。すぐ上司に報告し、翌日に控えていた発売を差し止めた。
すると、今度は県の対応に疑問を呈する声があがった。「良い読み札じゃないか」「何が問題なのか」。結局、県は11日遅れでカルタの販売を始めた。
企業や自治体はいま、こうした批判による「炎上」に神経をとがらせている。一昔前なら笑っておしまいの内容に、「笑えない」視点からツッコミが入る。ギャグとして描いたはずのネットCMが削除に至ったり、教師が授業中に言った冗談が元で学校が謝罪したりするケースが相次いでいる。ソーシャルメディアの普及とグローバル化は状況を複雑にする。一昨年、全日空が制作したテレビCMは、タレントがつけ鼻と金髪のカツラを着けて「西洋人」に扮する古典的なギャグだったが、外国人利用者らから批判されてネットで炎上。2日間で打ち切った。
批判を予見し無難な表現を選ぶ風潮は、社会が許容する笑いの幅を狭めていく。ただ、笑われる側は傷ついたり、不快な思いをしたりするかもしれない。ネット社会ではこうした「感じ方」が共有されやすく、異なる価値観を大事にする意義は大きい。笑いがもつ暴力性について、学校の授業の中で考える自治体もある。
テレビ関係者によると、番組をつくる際、差別やいじめにつながりかねない表現を控える傾向は強まっている。目隠しをしたスイカ割りは、盲目の人への配慮から最近はやらないという。
(和気真也)
(文中敬称略)
最近、非の打ちどころのない正論を言う人、増えましたよね。お笑いのツッコミ気分で揚げ足とって喜んだり、ネット上で知らない人にヒステリックな正論を吐いたり。本人はそれでスッキリするようで、私は「ションベン正論」と呼んでいますが、それに耳を傾けすぎる風潮がある。非寛容な社会で、笑いもゆがんでいるように思う。
現代は人間関係が「たこつぼ化」しやすい。経済や技術の発展によるものだと思います。
例えば、昔は一家に一台しかテレビがなくて、家族につきあって見たくもない番組を見たり、エッチなシーンにうつむいたりすることがあった。そのストレスは、各部屋にテレビが置かれて解決。好きな番組を見て、ネットで仲間とつながることで心地よさを手に入れた。
そこに安住すると、違うコミュニティーやマスとのコミュニケーションが苦手になる。外に対して攻撃的になり、善か悪か、白か黒かの楽な議論に陥りがち。二つの間にあるものに、想像力を働かせることが大事なのに。
若い人の中に「僕、人見知りなんで」とか平気で言う人がいる。攻撃されるのを極度に恐れ、予防線を張ってしまう。気持ちはわかる。私も昔、そうでした。でも、人見知りを理由に人との対峙を避けたら、社会は成り立たない。
隙をつくることも大事。その方が、おもしろいコミュニケーションが生まれる。「人間はすばらしい」という概念を、疑うこと。人間ってみっともないものでしょう。ウソもつくし、人のものに手を出すこともある。それをいかに認め、笑いのめすかですよ。
(構成・和気真也)
まきた・ゆうじ 1970年生まれ。マキタスポーツの芸名で、芸人やミュージシャンとしても活躍。ビジュアル系ロックバンド「FlyorDie」のデビューアルバム「矛と盾」を1月20日に発売。
「笑いの力」に救われたことが、敗戦の体験としてあります。中国・大連から山口県宇部市に引き揚げてきた中学生のころ。アルバイトで闇物資を買いに、ぎゅうぎゅう詰めの貨物列車に乗っていくわけです。落ちないよう、手すりにしがみついて。寒い冬には手が凍えて、がたがた震えた。生命の危険を感じることもあった。
そういうときに面白い人がいてね。必死に我慢している僕を見て「おまえの格好は動物園のサルみたいじゃあ」って、おかしなことをいう。みんなが笑い、笑われた僕も笑う。すると、もうちょっとがんばろうという気持ちになって、ちょっと手に力が入ったかな。
喜劇もそうじゃないですか。真面目な人間も、角度を変えて見るとおかしな人になる。シリアスな話もアングルを変えた途端に喜劇になる。人間は愚かだね、ドジな存在なんだねって、笑って生きる希望を見いだすのが喜劇です。気の利いた言葉遊びで笑いをとるのとは違う、人間を観察したうえでの笑いなんですね。悲劇になるか喜劇になるかは、語り手の感性に委ねられている。
ただ、人間が滑稽に見えるアングルを見つけるのは難しい。ユーモラスにものごとを見るには、人間に対する愛情がなければいけないと思う。落語に殿様をからかう作品がある。笑われた側は腹が立つかもしれないけど、落語を愛する庶民の側からいえば、偉そうにしている殿様も人間なんだと笑っている。落語に代表される民衆の笑いは、みんな人間にしちゃうということなんですね。
寅さん(「男はつらいよ」シリーズの主人公、車寅次郎)を見て笑う人も同じ。演じていた渥美清さんは、自分の目が小さいことを笑いのたねにして「絞りがきいてよく見えるんだ」なんて言ってた。自分を笑いの対象にして、人間の弱さをもろに見せちゃう。それを見て笑う人は「俺だって同じようなものだなあ」と共感しているんだね。
映画をつくるときに大事にしているのは、どこで笑いをとるかを計算せず、人間を正確に描くこと。映画館に行くと、そこが観客の共感を誘い、思わぬところで笑いが起きている。落語家の5代目古今亭志ん生は、息子の3代目志ん朝に「噺家は面白くねえように話すことだ」と言ったそうだ。へらへら笑いながら話したのでは、志ん生が観察した人間のおかしさが伝わらないってこと。
いま、喜劇を作りづらい時代になっていると思う。お天道様に申し訳ないことはしないというモラルがある者同士で共感できたユーモアは、お金もうけの方が大事という人には通じにくい。経済優先の社会になって、お天道様と一緒に喜劇映画が蹴散らされてきたんだね。
作家の上野英信さんによれば、かつて筑豊の炭鉱には「スカブラ」という存在がいた。スカッとしてブラブラしてるから「スカブラ」。炭坑労働はせず、やることといえばみんなを笑わせること。生きるか死ぬかの過酷な場所ではそういう人間が必要だった。実際、いないと仕事の効率が落ちたって。落盤事故のような不測の事態が起きると、彼は大活躍する。普段ブラブラしている分、全体に目配りがきいて、ああしろこうしろと指示を出すんです。そういう存在がいなくなると、世の中はどんどん窮屈になる。
僕は、寅さんって、スカブラだったんだなって思う。日本は寅さんの居場所をどんどん奪ってきたけれど、寅さんみたいな存在がいま必要とされているんじゃないかな。
(構成・中村裕)
やまだ・ようじ 1931年生まれ。「男はつらいよ」シリーズ48作を始め、「幸福の黄色いハンカチ」(77)、「たそがれ清兵衛」(2002)など、監督作品は80作を超える。3月公開の「家族はつらいよ」は約20年ぶりの本格喜劇。