――HIVやエイズの啓発活動に取り組むようになったのは、なぜなのですか。
エイズの問題に関わり始めたきっかけは、当時MCを務めていたラジオ番組に、HIV陽性だという14歳の女の子から手紙が届いたこと。手紙には「何が怖いかというと、病気ではない。差別が怖い」とありました。HIVやエイズは、人間が最も大切にする友情や愛情を壊すんです。
まずは、正確な情報を知らせることが必要だと思いました。治療法がまだ確立していない時代でしたが、「知ることがワクチンになるのではないか」と。
――そうして始められたチャリティーコンサートでは、どのようなことを伝えたのでしょうか。
1993年から「Act Against AIDS 『THE VARIETY』」というエイズ啓発を目的としたチャリティーコンサートを始めました。HIV陽性の方に登壇してもらい、手をつないだり、肩を組んで話したりして、日常生活ではHIVには感染しないことを伝える工夫もしました。
チャリティーの寄付先の様子も伝えます。必要な医療が整っていなかったラオスに、HIV感染者も受け入れる小児病棟を建てました。余命宣告されていた子がここで治療を受けて、こんなに大きくなりました、とかね。
――四半世紀にわたって活動を続けてこられました。どのような思いで継続してきたのでしょう。
人間どうしのつながりで、この病気と差別とを克服したいと考えたんです。25年続けてきて、本当に大変でした。でも、役者である自分に「人に伝える才能」があるとしたら、それを1年に1日、本当に苦しんでいる人のために使うべきではないか。そう思ってやってきました。
2020年からは、支援の対象を広げ、「Act Against Anything」として新たにスタートしました。やはり大事にしたいのは、子どもの笑顔。難民、紛争地、地震被災地の支援もしています。もちろん、エイズの問題には今後も関わり続けたいと考えています。
――今年も「Act Against Anything」のコンサートがありますね。
今年は12月1日に日本武道館でチャリティーコンサートを予定しています。ぜひ皆さんにも駆けつけてもらえたら。
――岸谷さんに手紙で思いを伝えた女の子へのメッセージはありますか。
きっかけの手紙をくれた女の子は今、45歳ぐらいでしょうか。元気でいてほしいですね。あなたが勇気を持って手紙を出してくれたおかげで、差別はだんだんと小さくなっているよ、と伝えたい。