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エイズが変えたLGBTコミュニティー 舞台「インヘリタンス-継承-」が描く歴史

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「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信氏氏撮影
「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信彦氏撮影

6月から7月にかけて、各国で性的マイノリティーなどLGBTQの権利や生き方を祝う「プライド・パレード」など多くのイベントが行われる。性的マイノリティーの権利獲得の歴史を振り返り、連帯を確認する時期だ。約半世紀の間、偏見、差別だけでなく、エイズという「死の病」だった感染症と戦ってきたコミュニティーは、世代が変わるにつれ、その記憶も次第に薄らいできた。今年2月に東京芸術劇場で上演された演劇「インヘリタンス-継承-」を通して、エイズの時代を改めて考えた。

「インヘリタンス-継承-」は2018年にロンドンのウエストエンドで初演され、2019年からはニューヨーク(NY)のブロードウェーでも上演された作品だ。2020年にトニー賞4部門を受賞し、前編と後編合わせて上演時間6時間半という大作としても話題になった。日本では今年2月、東京芸術劇場で上演された。

「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信彦氏撮影
「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信彦氏撮影

舞台は2015~18年のNY。ゲイのエリックと、彼の恋人で作家のトビーを中心に、世代の違うゲイのカップルたちが時を超えて交錯しつつ、エイズが猛威を振るった1980年代に、LGBTQのコミュニティーがいかにして助け合い、尊厳を守ろうとしたかを、いまの時代へと伝えていく内容だ。

この作品の出発点となっているのが、19世紀末から20世紀にかけて活躍した作家E.M.フォスターの「ハワーズ・エンド」だ。舞台を現代へと移しながら、フォスターが現代のゲイの若者たちを導こうとする場面もある。だが、当時のフォスターが知らなかったのは、やがて来るエイズの時代だ。

「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信彦氏撮影
「インヘリタンス-継承-」=2024年、東京芸術劇場プレイハウス、引地信彦氏撮影

自身もゲイである「インヘリタンス」の作者マシュー・ロペスさん(46)は、「僕が性の目覚めを迎えたのはエイズが猛威を振るう時代だった。あのころ、性と死は強く結びついていた。だが、薬や感染予防の発達で、若い世代には、『セックス=死』という感覚がないことに、逆に驚いた」と話す。そして、「薬に守られて性を謳歌できる時代になったいま、自分たちの世代の経験をとどめておきたかった」という。

「インヘリタンス-継承-」を書いた作家のマシュー・ロペスさん
「インヘリタンス-継承-」を書いた作家のマシュー・ロペスさん=2024年2月12日、東京都・東京芸術劇場、宮地ゆう撮影

2018年まで25年間NYで暮らし、ゲイであることを公表しているジャーナリストの北丸雄二さんも、エイズで友人を何人も亡くした一人だった。「インヘリタンス」の稽古期間中、当時を知らない世代の出演者たちに、エイズの歴史や社会的影響などについてレクチャーした。

「1980~90年代、ゲイであることは、色濃く死であり、人に言えないスティグマ(差別や負のイメージ)があった」。やがてエイズは人種も財力の有無も関係なく人を襲い、ゲイコミュニティーだけの問題ではなくなっていった。

アメリカでは、メディアや著名人が次々とエイズの問題を取り上げるようになり、メジャーな音楽や映画のテーマにもなった。

エイズへの正しい理解を呼びかけて東京都内を行進した「エイズ・パレード」
エイズへの正しい理解を呼びかけて東京都内を行進した「エイズ・パレード」=1992年、東京都内、朝日新聞社

北丸さんは「エイズを通じて、アメリカのゲイのコミュニティーは、社会化を意識した運動を広げ、同性愛を公言できるような土壌が生まれていった」と話す。こうした長年の社会化の運動が、現在の同性婚や福祉の権利の獲得などへもつながってきた。

一方、日本では、個人が特定されることへの恐れもあり、社会化を意識した行動が広がらなかったという。「いまだに日本では、LGBTQは趣味趣向やセックスの話として考えられてしまう」と指摘する。

途上国へと広がったエイズ

エイズが他の先進国へも広がる中で、薬の研究も進んだ。HIVウイルスを保持していてもエイズを発症しないように症状を抑えることが可能になり、エイズは死の病ではなくなっていった。

ところが、欧米での感染が収束しはじめた1990~2000年代、エイズは、今度はアフリカ諸国で多数の死者を出すようになる。薬の値段が高く、検査もできない環境のなかで、母子感染も広がり、エイズは国際問題として注目を集めるようになった。

途上国の感染がピークを迎えつつあった2000年、日本が議長国をつとめたG8九州・沖縄サミットで感染症対策が議題になった。これを機に2002年に設立された組織が、「グローバルファンド」だ。

三大感染症のエイズ、結核、マラリアの対策のために各国政府や民間企業が資金調達し、途上国の治療や予防のために資金を拠出してきた。

「インヘリタンス」の日本公演を特別後援したグローバルファンド日本委員会事務局長の伊藤聡子さんによると、「アフリカで多くの労働者を雇用している鉱山会社などが支援するなど、先進国と途上国の共通の病のために国際的な大規模投資がされたほぼ初めての例だった」という。

日本はグローバルファンドの理事会で単独で議決権を持つ5カ国の一つで、これまでの拠出金は約4900億円に上る。

南アフリカ北部ラステンバーグ近郊の農場で、結核やエイズの検査について説明をうける農場の労働者たち
南アフリカ北部ラステンバーグ近郊の農場で、結核やエイズの検査について説明をうける農場の労働者たち=2013年11月14日、前川浩之撮影

医療や保健医療制度が確立していない国で患者の元まで薬を届けるのは容易ではなく、飲み水も十分にない中で多量の薬を飲んでもらう難しさなど、先進国にはない課題が山積していたが、「エイズの薬を届けるなかで、各国の保健医療制度を確立する助けにもなった」という。

伊藤さんは、「グローバルファンドはLGBTQのコミュニティーの代表を加えるなど、政府だけでなく、様々な当事者の声を反映しようとする現在のマルチステークホルダーの先駆けだった」と話す。

ジンバブエ北部の村で野球練習の後に始まったエイズの講習会
ジンバブエ北部の村で野球練習の後に始まったエイズの講習会=2014年、ジンバブエ、柴田真宏撮影

先進国では遠い記憶になりつつあるエイズだが、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の2023年発表のデータでは、HIV陽性者数は世界で3900万人。年間の新規HIV感染者数も130万人いる。いまもエイズによる死亡者数は年間63万人にのぼり、なかでも最も多いのがアフリカ地域で、年間38万人が亡くなっている。

伊藤さんは「エイズは40年間パンデミックが続いている状態。流行の収束には国際社会の支援が欠かせない」と話す。