――そもそもなぜエイズ対策に関わるようになったのですか?
まったくの偶然でした。大学時代は哲学と神学を専攻していて、学者になるつもりでした。その時、たまたま目にしたアフリカのHIVについての記事になぜか心を掴まれたのです。今でもどうしてそれほど気になったのかわかりません。ただ、すごく心を動かされ、方向転換を決意して、1988年に医学部に入学しました。
当時はまだ、HIVに感染すると誰もが亡くなっていた時代で、医師たちは患者を見送るばかり。多くの医師が1〜2年で燃え尽きていました。だから、私は別の形で貢献しようと研究の道に進むことにしました。当時働いていたシカゴ大学医学部の学長から国立衛生研究所(NIH)のトニー(アンソニー)・ファウチ氏を紹介され、彼が率いる感染症チームに入ることになりました。最終的にはそこの研究室の一部を任され、その中でアフリカを含む、世界で最初の抗レトロウイルス療法(HIVの増殖を抑えエイズの発症を防ぐ治療)の無作為比較試験も実施しました。
その頃、ブッシュ大統領が世界のエイズ対策に大々的に取り組もうと、トニーをホワイトハウスに呼んだんです。バイデン大統領がコロナ対策でトニーを頼ったような感じです。トニーが戻ると私とホワイトハウスのスタッフとで、今も続く「大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」*の原案を作り、結局、2006年に私がその責任者となりました。その後、2013年に世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)の事務局長を務めることになったわけです。
*世界の最貧国におけるエイズ患者の治療と感染拡大防止を支援するための米国のプログラム。単一の疾病に対する1カ国による支援として世界最大規模。
――ブッシュ政権下でエイズ対策に携わる中で、すでにグローバルファンドのことはよくご存じだったと思いますが、事務局長として新たな発見はありましたか?
まず驚いたのは、事務局スタッフが多様で、才能があり、献身的で情熱的だということ。約700人が、なんと100カ国以上から来ていて、それぞれが相当に多様なキャリアと異なる文化的視点を持っていました。さらに、その人たちが組織の“大義"に熱い想いを持っている。これは並外れたグループだと思いました。
もう一つは、グローバルファンドが各国から非常に高く評価されているということ。実は、PEPFARにいた頃、各国の首脳や大臣との会合に行くと、誰もがPEPFARではなくグローバルファンドの話をしていて、正直、ちょっと苛立つこともありました。でもグローバルファンドは、本当にその国の仕組みの中に組みこまれ、その国と人のためになる支援をしているんです。二国間援助では国レベルでの変革はできません。その国が主体的に事業を実施することが必須で、グローバルファンドはその視点から各国を支え、保健医療制度を強化するための並外れた貢献をしていたのです。
――ダイブル氏がエイズに関心を持った当時、HIV感染は死の宣告でした。(グローバルファンドなどの支援により)人々の生活がどのように変化したのか、お話いただけますか?
私はエイズ流行が酷かった当時に訪問した村に15~20年後に再訪させてもらったことがあります。最初に訪れた時、妊婦の75%がHIVに感染していたり、数年の間にHIVだけのために平均寿命がほぼ半分になった国もありました。誰もが身近な人を亡くしていて、ほとんどの村人の家の前にはお墓があるような状況です。大人が全員死んで、孤児たちだけの村もありました。私が衝撃を受けたのは、希望が全くないと言うこと。HIVで死ぬのが確実だから、子どもに教育をする必要も、仕事を探す必要もない。圧倒的な絶望感が支配していました。
それが、同じ村に再び訪れると、当時と同じ人たちが、今度は生き生きと希望に満ちているんです。コロナ前までアフリカが世界で2番目に経済成長を遂げていた理由は、絶望感が希望に変わったからです。彼らが自分自身を、自分たちの街を、国を、世界での自分たちの立ち位置を、見る目が大きく変わったことに、感動しました。若い人たちが、「宇宙飛行士になりたい」、「パイロットになりたい」と言う。保健医療分野で人のために働きたいと言う人もたくさんいます。私たちは数字で見ていますが、それぞれの人や地域に起こった変化は誰にでも手にとるように明白なんです。その価値は計り知れません。
例えば、昔ナミビアで出会った女性は、当時、生まれてきた自分の子どもに "ホープレス(絶望)"と名付けました。子どもが生まれることは、最も希望に溢れたことなのに、自分がHIVに感染していて娘もやがて死ぬと確信していたのでしょう。でもその後、彼女は何人も子どもを産んで、全員が元気に暮らしています。
エイズや結核が社会を揺るがすほどの大きな問題ではなく、マラリアもない日本が、これら三大感染症に取り組むグローバルファンドに関わるべき理由はなんでしょう?
忘れてならないのは、グローバルファンドが2000年の九州・沖縄でのG8サミットで生まれたということです。それに、日本は第2次世界大戦後の荒廃から立ち上がり今日に至るまでに築いた、世界に示せる(保健分野の)豊かな経験を持っており、リーダーシップを発揮して他国を支援することができます。ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)は日本が発信してきたもので、これが今では健康に関する世界の大きな目標となっています。
もう一つは、感染症が深刻なアフリカが世界で2番目に急成長を遂げている地域であること。経済が成長すれば貿易も伸び、日本にとっても利益があります。
そして、感染症を前にしては、皆が安全でなければ誰も安全ではありません。一つにつながった今の世界では人や物が動くことで経済が回っていますが、感染症との脅威も絶えないということ。つまり、日本の経済もアフリカの経済と同じくらい、パンデミックの影響を受けやすいのです。
――グローバルファンドはコロナ対策にも取り組んでいます。三大感染症対策に取り組むグローバルファンドがコロナ対策に貢献できるのはなぜでしょうか?
グローバルファンドが、すでに各国の保健システムの重要な一部として完全に組み込まれている点です。各国での製品(医薬品や機材)調達、物流やサプライチェーンの仕組みづくり、新たな感染症の発生検知、迅速な対応に繋げるためのコミュニティ・ヘルスワーカー・ネットワーク構築など、すでにグローバルファンドは広範囲に関わっています。
例えば、南アフリカでは28,000人のコミュニティ・ヘルスワーカー、シエラレオネでは9,000人のコミュニティ・ヘルスワーカーがいて、接触者の追跡を行っています。米国はそのレベルにすら達していません。これはすべて、エイズ、結核、マラリア、母子保健、ワクチン接種へのこれまでの投資によるものです。最近の研究結果で、グローバルファンドが行っている投資の3分の1が、世界の健康の安全保障に直接貢献していると指摘されています。グローバルファンドは、コロナに限らず、今後の感染症対策全般において重要な役割を果たすことができる、非常に優れた機関なのだと思います。
――日本のグローバルファンドに対する取り組みや世界の保健分野への貢献について、お考えをお聞かせください。
九州・沖縄で開催されたG8サミットがなければ、グローバルファンドは存在しなかったでしょう。また、グローバルヘルスの分野で、日本は並外れたリーダーシップを発揮していると思います。資金提供をするだけでなく、技術的な専門知識を提供しているし、誰もが公平に医療を受けられることが大事だと世界に訴えてきました。日本の声がなければ、この数十年で世界が動き出すことはなかったでしょうし、グローバルファンドの今日の姿はありません。日本が成し遂げたことに大きな誇りを持っていただきたいですし、これからも世界を変えるためにリードし続けていただきたいです。