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山奥を歩き、現地の人と手を携えて マラリア対策に人生をかけた日本人 

国境なき感染症 私たちの物語 更新日: 公開日:
マラリア検査を受ける村の小学生たちと=中村正聡さん提供

日本だから入っていけたミャンマーでのマラリア対策

――ミャンマーとの出会いについて教えてください。

JICA(国際協力機構)がマラリア対策の技術協力を始めたとき、日本には沖縄の八重山や台湾でもマラリアをゼロにした先行成功事例があるので面白そうだなと参加しました。最初はソロモンで次がフィリピン。そこから世界保健機関(WHO)の地域会合に出たら、みんなが「ミャンマーのマラリアをつぶさない限りはメコン流域各国のマラリアをつぶすことができない」と言う。でも、当時ミャンマーは米国の経済制裁を受けていて、他の国はその影響で支援をしたくてもできない。それなら日本しかない、とみんなの視線が私に集まりました。日本だけがミャンマーに、ユニセフ経由での無償資金協力と抗マラリア剤支援を細々とずっとやっていましたから。

とりあえずフィリピンから観光ビザで現地の日本大使館と保健省に出向き、無償資金協力の話をしてきました。それがミャンマーとの出会いでした。

マラリアを媒介する蚊の幼虫採集

アフリカとアジアでは蚊の種類が違う?

――マラリア対策のイロハを教えてください。アフリカとアジアでは対策に違いがあると聞きました。

世界のマラリア最大流行地であるアフリカの蚊と、東南アジアでマラリアを媒介する蚊は生物学的に違います。アフリカでは集落周りの池や水路から出てきますが、東南アジアでは山の細い川の流れや水たまりから出てきます。アフリカの事例に習うと、患者が多く出た集落が流行地だと錯覚しがちですが、実際にミャンマーでマラリアにかかるのは、木材伐採や鉱山、焼き畑などの仕事で山に通う成人男性が最も多い。感染がわかるのは村の保健所でも、流行地は森林地帯なのです。

つまり、ミャンマーのマラリアは、村落の公衆衛生の問題というよりも産業衛生の問題。彼らの「職場」の状況やそこへの人の流れと蚊の分布を通年で調べていると、実際に感染がおこっている場所への集中した介入策が必要とわかります。アフリカの経験に基づく世界標準のガイドラインで画一的に進めるのではなく、地域の特性を考慮した活動が求められます。

奥地の調査地にはゾウに乗って向かう=中村正聡さん提供

――マラリアによる死亡をほぼゼロにできた要因は?

ミャンマーに派遣された2003年当時、マラリアは罹患・死亡の最上位でしたが、JICAが関わった地域で死亡数は2-3年という短期間で激減しました。

対策として取り組んだのは、それまで資材不足で病院にばかり供与していた薬を、流行地域に直接持っていくこと。病院にはほぼ手遅れで来る患者が多いため、治療の最前線を山奥に持っていく必要があります。そこで活躍するのが、地域の保健委員の役割を果たすコミュニティ・ヘルスワーカーや保健ボランティア。医療従事者の割合が極端に少ない遠隔地域では、彼らに患者の発見、検査、治療、報告と極めて高いレベルの役割が要求されます。急性疾患であるマラリアの診断と治療は、その後の生死を分けるほど重要ですが、研修を受ける人はまずは読み書きができればよく、あとはやりながら鍛えていけばいいと考えて育成しています。約600名以上が研修を終え、定期的な知識・技術のブラッシュアップを受けています。

私の家は、横浜の下町の川っぷちで材木屋をやっていました。地域の保健委員をやっていたのですが、水害が出ると親は忙しいから小学生の私が保健所に消毒薬を取りに行かされました。消毒してまわるとご苦労さん、ありがとう、と大人に褒められました。それが嬉しかったのを、この仕事を始めてから思い出しました。ヘルスワーカーやボランティアたちも、認知することによってがんばってくれます。だから常に最前線で働くスタッフとして敬意を表し、やりがいを感じるように心がけています。

もう一つ、大学時代の山岳部での経験も生きていると思います。冬山で長期合宿をする際、物資を担いでいかなければなりませんが、運び切れない分は、秋のうちから見えないところの木に非常用の米とか水を縛り付けておきました。物資をいつどこに持っていくのかという時空間上の認識が、ミャンマーで保健ボランティアに検査キットや抗マラリア剤を渡す供給管理の判断に役立っています。

研修を受けて活躍する保健ボランティアの女性=中村正聡さん提供

軍資金をもたらしたグローバルファンド

――JICAとグローバルファンドの関係をどのようにとらえていますか?

感染症対策をグローバルな課題として取り組もうという機運が世界的に高まって、2002年に国際機関・グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)ができ、マラリアとの闘いに莫大な”軍資金”が入るようになりました。ミャンマーでマラリア死亡を急激に減らせたのは、これが大きい。でもカネだけで達成したわけではありません。祭りに寄付が集まっても、神輿を作る人、神輿をかつぐ人が要るのと同じです。軍資金を出すのがグローバルファンドなら、マラリア対策を組み立てるのがJICA、そしてそれを実際に運用するのが当事国であるミャンマーの人たちなのです。

JICAは15年以上、バゴー地域でマラリア対策のモデルを作ってきました。コミュニティ・ヘルスワーカーを育て、村での検査・治療を進め、必要機材の供給網マネジメントシステムを構築するなど。これは、ミャンマー保健省がグローバルファンドの支援を受けて行っている全国のマラリア対策で随所に生かされています。

ただし、逆に、流行が収まれば、グローバルファンドの“軍資金”は来なくなります。自前でどうやるのか「出口戦略」を考えなくてはいけません。媒介蚊はまだいるので、今後は、再度マラリアの感染が広がらないよう、早期発見して対応する必要があります。切り札となるのが、JICAが導入した地理情報システム(GIS)です。疫学情報を基にマラリア感染状況を地図上で可視化させ、報告や活動に活用できます。ビルマ語でマニュアルを作り、研修もミャンマー全域でほとんど終わりました。実はこれは、マラリアを超えてすべての公衆衛生プログラムにも活用可能ですが、どう活用するかは、ミャンマー人の心意気にかかっています。

現地を訪問した日本の国会議員に説明= 日本国際交流センター提供

今コロナ禍で大切なこと

――目に見えない感染症と闘うのは、とても難しいです。

感染症への対策は「常識」で考えれば結構できると思っています。病気を持っていたら動かない。昔から学校閉鎖、学級閉鎖で来るな、と言っています。今できる中で可能な作戦を立て、結果を積み上げていくしかないのです。

ある米軍の記録に、「日本人は一見極めて緻密な作戦計画を立てるが、誰にでもわかることを考えない」とありました。日本のコロナ対策で、検査拡大をしないこと自体、常識ではありません。未だに一日当たりの検査件数は、ミャンマーのほうがはるかに上。そしてミャンマーでは人の動きを完璧に抑えています。田舎に行きたいと思ってもそこで隔離され、戻るとまた隔離。その途中でも関所が何か所もあって隔離されます。そこまでやると人は動きませんし、ウイルスも広がりません。

なぜこの15年間でミャンマーのマラリアはほとんど問題にならないくらい落ちたかと考えますと、取り立てて突拍子もないことをやっているわけではありません。みんなが「それはそうだよね」と思うようなことを、工夫してやってきました。どんな感染症であっても、作戦の中にどう常識を組み込んでいくかが大事だと思います。