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夢を叶えたトランスジェンダーのHIV活動家

国境なき感染症 私たちの物語 更新日: 公開日:
国際会議でグローバルファンドの意思決定におけるトランスジェンダーの役割について話すエリカさん、2019年ペルー

彼女の原点:トランスジェンダーであること

エリカ・カステヤノスさん(ベリーズ出身、HIV陽性) 

――まず、活動家となるまでのご自身のことを教えてください。ご出身はカリブ海に面する国ベリーズですね。

私はマヤ族とメスティソ族の間の男の子として生まれました。小さい時から自分の性に違和感を持っていましたが、私の家族は非常に保守的でしたし、住んでいる町も小さく、そのことは当時としてはスキャンダルでした。そのため、活発な子どもでしたが、学校ではいつもいじめられていました。

保守的な社会でトランスジェンダーであることは非常に難しいと感じ、16歳の時に、ベリーズに比べると進歩的なメキシコに移住しました。それでも、メキシコに着いた当初は家も仕事も得られない厳しい状況が待っていました。セックス・ワーカーとして働き、薬物も使っていました。その頃、恋に落ちたのが、HIV陽性の男性でした。彼がエイズで亡くなるまで一緒に暮らし、1995年に自分もHIVに感染していると診断されました。

 ――HIV治療に使う抗レトロウイルス薬(ARV)が開発されたのは1996年です。それが世界に行き渡るにはさらに長い闘いがありました。その当時は感染がわかっても、治療を受けることが難しかったのでは?

1990年代から2000年初め、ラテンアメリカの国々では、たとえ政府が提供したくても、治療薬の入手は困難でした。患者は治療を受けるために順番待ちの長いリストに名前を連ねて待たなくてはなりませんでした。2000年代当時、HIVの抑制とその関連する症状への対処のために、150錠以上(18錠✖️3回)の薬を服用していましたが、その薬すらも安定的に確保するには、他のHIV陽性者の人たちと協力して薬を分け合うしかありませんでした。ARVが手に入るようになってからも、生き延びるために、近隣で誰かがエイズで亡くなると、急いでその人の家に行って持ち物を調べ、家族が捨ててしまう前に様々なARVの薬を手に入れたりしていたほどです。当事者同士で、なんとか支えあいながら生きていたのです。

エイズ治療薬。現在は錠剤の数は少ないが、2000年代初頭は非常に多くの薬を飲まなければならなかった。 ホンジュラス、2015年 Photo: The Global Fund/John Rae

その後、ラテンアメリカでは無料で治療を受けられるようになるまでには、長い時間がかかりました。政府にとっては大きな財政負担でしたし、一般的にHIVが多数の人とのセックスや薬物使用など「問題行動」とされるものと結び付けて語られていたために、公的資金を使うことに難色を示す人が多かったことも大きな障害でした。でも、治療薬があれば私たちは生きることができます。私たちは必死に支援の必要性を訴え続けました。

医療現場での差別や偏見に直面する

 ――パートナーが亡くなり、ベリーズに戻られました。ベリーズでのHIV治療はどのような状況だったのでしょうか?

帰国後、あまりにも質の低いエイズ治療のサービスと医療機関での差別にショックを受けました。ほとんどの医師は私に触れたがらず、机をはさんでなるべく距離をおいて座り、直接体に触ることなく診察をするありさまでした。

また、HIV陽性者の治療エリアは、病院の遺体安置所内で、遺体の入った冷蔵庫の隣にありました。もちろん通常の待合室とは意図的に隔てられていて、表向きはHIV陽性患者のプライバシーを守るためと言われていました。診察の予約には前後に30分の間隔が設けられており、他の患者と顔を合わせることがないようになっていました。

ワークショップでトランスジェンダーの人々のための包括的なHIVおよび性感染症対策プログラムの導入方法について議論するエリカさん、2020年 メキシコ

 ――そうした差別や偏見の根底には何があったと思いますか?

エイズに対する偏見の根底にあったのは、教育の欠如でした。情報がないことでみんながエイズに恐れを抱いていました。医者も人間ですから、同じように怖がっていたわけです。その頃、週に2回も3回もお葬式に出ていました。友人や知人たちが苦しみながら亡くなっていくのを見て、私はエイズ・ホスピスでのボランティアを始めました。少しでも尊厳のある死を迎える手伝いがしたいと思ったからです。でも、その人たちの家族は亡くなった遺体を引き取りに来ることもありませんでした。エイズに対する差別や偏見を取り除くには根気良く啓発活動を行う必要があったのです。

当事者として声を上げ始める。そして、グローバルファンドとの出会い

――当事者として生きるだけでも大変な日々だったと思いますが、そんな中で当事者として声を上げ始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

私はHIV感染が分かり、余命が短いと言われ、絶望的な気持ちでいました。ところがある日、治療を受けていた病院の待合室で、他のHIV陽性の女性が冗談を言って笑っているのに出会ったんです。今でも鮮明に覚えています。その笑顔、その笑い声につられてみんなが笑っていました。その時、私も周りの人に笑顔と希望をもたらすような人になりたいと強く思ったのです。

――そのころにグローバルファンドとの出会いがあった。グローバルファンドは当事者自らが参画する対策を推進していますね。

国際エイズ会議でHIV予防ツールについてのパネルディスカッションでモデレーターを務めるエリカさん(左から5人目、正面)、2018年オランダ

当時、グローバルファンドが中米の各国にもエイズ対策の資金を提供していて、当事者向けの研修を行っていました。グローバルファンドは、当事者参加によるエイズ対策を推し進めていたので、私も当事者による政策提言やリーダーシップなどの研修を受けたのです。それがきっかけで、2010年、私は仲間と共に、HIVと共に生きる人のための共同ネットワーク(Collaborative Network of Persons living with HIV、略称C-NET+)を立ち上げました。私と同じ境遇の人たちに心理的、社会的な支援、教育を行い、差別や偏見と闘う活動を行うためです。

――C-NET+ではどんな活動を始めたのでしょうか?

ベリーズは中米でもHIV陽性率が高いにも関わらず、その統計の中にLGBTの人びとは含まれていませんでした。しかし、近隣他国の例を見ると、中米のゲイ男性、そしてトランスジェンダー女性の間でのHIV陽性率はかなり高いはずで、支援の必要性を痛感していました。しかも、当時そのような団体は他にほとんどなく、HIV感染に加えてLGBTへの差別や偏見、暴力を恐れていた陽性者たちを探すのも苦労しました。だから、まずは少しずつ仲間を増やして行くところから始めました。

同時に、国内の医師や医療従事者へのエイズについての啓発活動を行うとともに、HIV陽性者やエイズ患者自身にも啓発を始めました。例えば、保守的な社会では医師の言うことは絶対と信じています。でも、私たちは当事者に、自分の健康状態に関する変化や症状を毎日日記に書きとめ、それを医師に伝えて治療に役立てるように指導しました。自分の健康は自分で管理するということを教えたかったのです。

コロナ禍で外出規制がかかるインドで、HIV陽性者宅へ 個別訪問して薬を届けるトランスジェンダーのスタッフ。2020年 Photo: The Global Fund/ Atul Loke

社会の中で孤独を感じ、差別や偏見を経験してきたHIVと共に生きる陽性者として、そしてトランスジェンダー女性として、同じ立場だからこそ提供できる支援があります。お互いの人生、経験から学び合い、同じ立場で話し合うことができる。そしてその結果、落ち込んでいた仲間が立ち上がり、将来に向けて動き出すのを見るのが、私の何よりもの喜びです。

――エリカさんはグローバルファンドに、ご自身の命も救われたとか。

出張先のパナマにグローバルファンドが支援しているHIV治療を行うクリニックがありました。体調が優れなかったので検査を受けて、治療薬の適合を見てもらうことができたのです。これはベリーズでは受けられなかった医療でした。その結果、当時服用していた薬が効いていないことが判明し、新たな治療薬に切り替えることができました。もしあの時の診療がなければ、私は今日生きてはいないと思います。

その後も、当事者の参画を促すグローバルファンドの方針で、ベリーズの国全体のエイズ対策にも関わることができるようになりましたし、グローバルファンド側の理事会に当事者代表理事代理という役割で参画し、LGBTコミュニティ、特にトランスジェンダーの置かれた状況やニーズを世界のエイズ対策の中に組み込むよう、働きかけることもできました。今振り返って考えても、グローバルファンドとの出会いがなければ、自分や仲間のために今のように立ち上がることができなかったでしょうし、自国の保健システムやコミュニティシステムの改善にも貢献することができなかったと思います。命を救われただけでなく、他の人の命を救う手助けができたことは、私の人生をより有意義なものにしたと思います。

国連トランスジェンダーアドボカシー週間のイベントの一環として国連合同エイズ計画(UNAIDS)代表者やトランスジェンダーの活動家らと議論するエリカさん(右から3人目)、 2019年 ジュネーブ

新型コロナウイルスの時代に〜HIVの経験から学び、「人」としての健康を考える

――世界は新型コロナ一色です。この新たなウイルスとの闘いについて、ご自身の経験から言えることはありますか?

新型コロナについては、まだ十分な情報がありません。マスク着用の必要有無、飛沫感染か空気感染かなど、様々な情報が錯綜しています。正しいものもあれば間違った情報も出回っている状況では、多くの社会がパニックに陥ります。HIVへの対応から学んだことの一つは、感染症に対する恐怖や不安を、事実と実際の情報で緩和する必要があるということです。正しい情報を共有する「啓発・教育」の部分を、地域社会や同じ立場の仲間同士のコミュニティが担うことで、医療システムへの過重な負担を軽減することができ、感染症への対応に大きな違いが生まれます。エイズの場合は、仲間を通じたコミュニティが、教育係の役割を果たしてきました。

また、これは時期尚早かもしれませんが、「新型コロナの検査を各コミュニティで行う」など、各国が柔軟に適切な対策に乗り出すことができればと思っています。その段階に至るまでにHIVでは15年以上の月日がかかりました。しかし、HIV対策の中には効果があることが証明されている手法がたくさんあり、新型コロナ対策にも有効なものもあります。新型コロナへの対策では、同じ過ちを繰り返さず、迅速に有効な手法を取り入れて行ってほしいと思います。

今もいくつかの国では、政府が科学的な根拠からではなく、恐怖からとられた政策をとっています。エイズ流行においても、全く同じことが起こりました。差別や偏見も既視感があります。私たちは、エイズ対策でコミュニティが果たした役割、その経験、歴史から学ぶべきです。 

――新型コロナの時代に必要なものは何だと思いますか?

もっと俯瞰的に、全体を見ることから始めないといけないと思います。今日はコロナでも、明日は別のウイルスと闘わなければならないかもしれません。気候変動や貧困の問題などもあり、それらは複雑につながり合っています。だから、豊かな国も貧しい国も、すべての人が、世界全体を見て対策に取り組み始めるべきだと思います。その一つは、困難に対処できるようにするための「備え」、そのために世界が対話を始めること。どのような嵐がどのような形で私たちを襲っても、少なくとも安定した状態で対処できるよう、世界が一つになって準備をしておく必要があります。

私が最も良いと思う考え方は、どんな時にも「人」を見ることです。そしてその人が必要としていることは何かを見る。今、私たちの医療システムは、「病気を取り除く」ことのみに執着しているように思います。でも、もう一歩踏み込んで、その人のウェルビーイング、病気がないことだけでなく、その人が豊かな人生を過ごせるにはどうしたら良いかを考えられたらと思います。 

国際エイズ会議の閉会式でコミュニティを代表してスピーチをするエリカさん、2018年オランダ

――最後に日本の読者へのメッセージをお願いします。

私は今、オランダで夫と息子と暮らしています。幼い頃から、私にそんなことは絶対に起こらないと思っていました。他の人にとっては結婚して子供を持つことは当たり前のことですが、私には考えることすらできませんでした。でも、夢は実現したのです。夢を描き、自分を信じ、それをかなえるために一生懸命努力する。時には周りに助けを求め、いろいろな人と繋がり、一歩ずつ進んでいけば、いつか夢を実現することができるということです。

だから、常に自分を信じ、夢や人生の目標に信念をもって向かって行ってください。今、自分はどん底にいると思うならば、それはこれから高いところに行けるということ。もし自分が今すでに5階や10階にいるならば、あとせいぜい1階か2階しか上がれないかもしれないけれど、今いるのが1階なら、まだ何階も上がれる可能性があるんです。だから、自分の信じるもののためにとことん頑張ればいいんです。