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いま、途上国の命を救う最前線で起きていること

World Now
イスラマバードの下町に入ると子どもがたくさん集まってきた=浜田陽太郎撮影

パキスタン ポリオ撲滅活動ルポ

年初からの患者数が1000人を超えたのを契機に、日本国内の小児マヒ(ポリオ)をめぐる不安と混乱は頂点に達した。厚生省(当時)には連日、ワクチンの接種を求める母親たちが押し寄せ、省内にもなだれこんだ。

1961年6月のことだ。

同月21日、厚生省はソ連製などの生ワクチン1300万人分の緊急輸入を決める。安全性確認など国内手続きをすっ飛ばし古井喜実大臣(当時)が政治判断したのだ。

60年度には国内の患者数5606人、死者319人を数えたポリオの発生は、こうして始まった一斉接種を境に激減し、80年の1例を最後に野生株ウイルスによる発生は途絶えることになる。

ただし、ポリオのワクチン接種は今も続く。海外から感染者が渡航、再び流行する可能性があるからだ。

2015年10月、パキスタンの首都、イスラマバードを訪ねた。貧困層の居住区を、黄色いベストを着たワクチン接種チームが戸別訪問していた。子どもの口に生ワクチンを2滴、垂らす。手の爪を「接種済み」を示すマーカーで塗る。外壁にチョークで日付や人数を書き込む。これを延々と繰り返す。「来年5月までにポリオの感染遮断を達成する」のが国家の目標だ。


ワクチン接種を阻むテロ

接種した日付や人数を壁に記録する=浜田陽太郎撮影

パキスタンとアフガニスタン。いま野生株のポリオが残るのは、国境を接するこの2カ国だけだ。年初からの症例は60件台と昨年同時期の5分の1程度に減っており、「根絶は間近」という期待が高まる。88年にWHO総会で「2000年までの根絶」が決議されてから、四半世紀余。当時、世界中で35万件の発生が推計された病気が消えれば、天然痘(1980年に根絶宣言)に次いで2例目という偉業となる。

簡単な話ではない。日本のODAでワクチンの定期接種を進める医師の櫻田紳策(60)は「定期接種の破綻(はたん)が、ポリオ根絶の足を引っ張りかねない」と危惧する。症例がなくなったように見えても、免疫をもたない新生児に予防接種を一定期間、続けなければ、根絶はできない。だが、謝金が十分に払われないなどの事情で、定期接種の人材が十分に確保できないという。

9月に「終息」と認定されたアフリカのナイジェリアを含め、この3カ国が最後まで「ポリオ常在国」として残ったのには共通の理由がある。ワクチン接種従事者らを狙うテロだ。

「80人以上殺された」。パキスタンのポリオ撲滅運動の重鎮、ロータリーのアジズ・メモン(71)の話は衝撃的だった。

反政府武装勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)は12年夏、自らの支配する同国北西部で「接種禁止」を宣言し、スタッフや護衛の警官をテロの標的にしてきた。米国による無人機攻撃の標的を教えるスパイが、接種活動に紛れていることを疑ったのが発端とされる。このため、接種が届かない空白地域ができた。

まるで軍事作戦

ワクチンを入れたクーラーボックス photo:Hamada Yotaro

14年に政府軍が武装勢力の掃討作戦を行うと、この地域からの避難民とともにウイルスが拡散。発生数は306件と前年の3倍以上に激増した。そこを一斉接種の強化で抑えこもうとしている。

治安の悪い地域での接種は、まるで軍事作戦だ。非常線を張り、バイクの走行を禁止、テロリストへの連絡を遮断するために携帯電話の電波を無効化している間に家々を回り接種する。

国連児童基金(UNICEF)などの推計によると、こうしたキャンペーンや監視活動にパキスタンだけで年平均1億ドル(約120億円)かかるという。

「巨額の資金を別のところに使えば、もっと多くの命を救える」(国際NGOの幹部)という声も漏れる。とはいえ、「根絶が実現すれば、そのリターンは大きい。日本を含め世界中で行われているワクチン接種や監視体制が不要になる」と川崎医科大教授の中野貴司。今後20年で500億ドル(約6兆円)が節約できると、「世界ポリオ根絶のためのイニシアチブ」(WHO、国際ロータリーなどで構成)は試算している。

11月30日、パキスタン北西部の州で予防接種の仕事をする医師が、車で走行中に何者かに銃撃されて死亡。また一人、犠牲者が増えた。(浜田陽太郎)
(文中敬称略)

ポリオ撲滅活動ルポ

初のマラリアワクチン 開発実用化へ

GSKによるタンザニアでの臨床試験で、ワクチンを接種される子ども photo: D.Poland/PATH

今年のノーベル医学生理学賞は、マラリア特効薬を発見した中国の屠呦呦ら3人に贈られた。マラリア撲滅に向けてはもうすぐ、新たな「武器」が加わりそうだ。

英製薬会社グラクソ・スミスクライン(GSK)が、ベルギーのブリュッセル郊外に置く研究開発拠点を10月下旬に訪れた。ベルギー名物であるビールの製造に使うようなステンレスのタンクの中では、「世界初」となるマラリアワクチンの成分が発酵していた。

「WHOが、ワクチン使用法の勧告を出すのを待っています」。GSKでワクチン研究開発を率いるエマニュエル・ハノンが話した。

マラリアは、蚊を媒介に、マラリア原虫という寄生虫が引き起こす感染症だ。高熱や倦怠感が主な症状で、重症の場合は死に至る。WHOの推計によると、年間約2億人が感染し、約44万人が亡くなる。そのほとんどを、サハラ以南アフリカの5歳未満の子どもが占める。

マラリアには、複数の治療薬がある。予防には防虫剤を織り込んだ蚊帳が有効で、各国に配られている。

だが、アフリカの貧しい地域に住む人にとって、薬や蚊帳を手に入れることは容易ではない。「それに、薬や蚊帳は毎日使わなければならないが、ワクチンなら一度打てば、しばらくは対策を考えなくてもいい」とハノン。

予防効果は40%台

こうした考えのもと、世界中の研究者がワクチン開発を進めてきたが、うまくいかなかった。一般的に薬の開発には数十年間かかるが、GSKもワクチン開発までには30年近くかかった。

その理由は、マラリアという病気の特性にある。マラリア原虫には数千の遺伝子があり、どの遺伝子を標的にワクチンをつくればいいのか、その特定が難しい。また、マラリアは感染しても、なかなか防御免疫を得られない。体の免疫機能を利用するワクチンに、向かない病気とも言える。

GSKも、ワクチンの抗原とすべきたんぱく質の発見から、それがヒトの体でどう働くのかの確認など、様々な段階を経てようやく開発にこぎつけた。

アフリカ8カ国で1万5000人以上の乳幼児を対象にした臨床試験では、生後5~17カ月では45%、生後6~12週では27%の予防効果だった。100%近い予防効果を示す感染症のワクチンもある中、数字的には高くない。

「この病気がもたらす損失は大きい。予防効果は40%台でもかなりのインパクトだ。もちろん、改善せねばならず、第二世代の開発を進めている」とハノンは説明する。

ただ、課題もある。GSKはワクチンの価格は製造コストに5%だけ上乗せするとしているが、具体的な額は明らかにしていない。価格によっては、ワクチンを受けられない子どもが出る可能性もある。

阪大微生物病研でもワクチン開発

実用化までには、ゲイツ財団からの寄付2億ドルを含め、累計約8億ドル(約1000億円)が投入される見込みだ。ゲイツ財団は、2040年までにマラリアを撲滅すれば、生産性の向上や医療コストの削減により、約2兆ドル(約240兆円)の経済的効果があると試算する。

ワクチンを開発する研究機関は、世界で数十チームに上ると言われる。その一つに、大阪大微生物病研究所がある。

教授の堀井俊宏(62)は約30年前、留学先の米ダートマス大でワクチン候補となる遺伝子をみつけた。コツコツと研究を続け、ウガンダで臨床試験にこぎつけられたのは5年前。現地で6~20歳の66人を対象に安全性を確認した後の追跡調査では、72%に予防効果がみられた。15年6月からはブルキナファソで、1~5歳を対象に試験を始めた。

「なぜ日本人なのにマラリアワクチンを作るのかと言われてきた。でも、ワクチンができれば大きな国際貢献となる。日本に関係ある病気だけ研究する、という時代ではない」。20年にも、実用化を目指したいという。(岡崎明子)
(文中敬称略)

日本はグローバルヘルスに貢献できるか

来年にかけては、日本に「グローバルヘルス」という言葉が根付くかどうかの正念場となる。

今月16、17日には、UHC(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ)の国際会議、グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金=本部・ジュネーブ)の増資準備会合が東京で開かれ、WHO事務局長のマーガレット・チャン、世界銀行総裁のジム・ヨン・キム、ビル・ゲイツらが顔をそろえた。2016年、日本はG7サミット(主要国首脳会議)の議長国を務めるが、グローバルヘルスを、その重要議題に押し上げたいという思惑がある。

ただ、一般的には「地球規模の保健・医療課題に取り組む」ことのイメージをつかむのは難しいだろう。健康を守るというローカルな営みに、グローバルな関与が求められる理由は何なのか。

一つは、移動手段の高速化で、感染症自体がグローバル化し、国境を越えて広がるリスクが高まっていることだ。エボラ出血熱をめぐる昨年の出来事は、記憶に新しい。

流行地の西アフリカ3カ国からの渡航者を通じ、先進国でも感染者が出た。メディアの報道は過熱。恐怖と不安の矛先は政治に向かい、米国では中間選挙でオバマ政権敗北の一因にも数えられた。

日本でも「すわ患者発生か」との報道が繰り返された。政府は15年9月に「国際的に脅威となる感染症対策の強化に関する基本方針」と「平和と健康のための基本方針」を決め、「積極的な貢献をし、主導的役割を果たす」と決意表明している。

途上国への貢献度低い日本の医薬品業界

感染症の脅威に立ち向かうには、流行国で封じ込めるのが一番だ。そのためには、迅速な覚知や患者の隔離・治療を行う保健・医療のシステムが必要となる。14年7月に閣議決定した「健康・医療戦略」では、成長戦略の一環としてODAなどを活用しながら、新興国・途上国への医薬品、機器、サービスの輸出拡大を図るとしている。

だが、日本の医薬品業界がこれまで熱心に取り組んできたとはいえない。

世界の製薬大手20社の途上国への貢献度のランキング(access to medicine index)がある。ゲイツ財団、オランダと英国の政府が創設した機関が発表している。最新の順位表(2014年)を見ると、日本企業は4社あるが、トップ10は一つもなし。国内最大手の武田薬品工業は最下位に沈んでいる。

象徴的なのが、73の貧しい国々で予防接種の普及を進めるGaviワクチンアライアンス(本部・ジュネーブ)への対応だ。Gaviは年間5億回分のワクチンの大規模調達をまとめることで、価格を引き下げている。供給元は、世界16の医薬品メーカーだが、日本企業は1社もない。「国内との価格差がありすぎて商売にならない」(医療関係者)という。

こうした状況を打開しようと、製薬会社、ゲイツ財団、日本政府などがお金を出し合って、途上国向けの創薬や技術開発に助成する「グローバルヘルス技術振興基金」(GHITファンド)を3年前に立ち上げた。キャッチアップは始まったばかりだ。(浜田陽太郎)
(文中敬称略)