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民間資金が「生命線」だった アメリカが脱退表明したWHO、活動を支える企業や人

World Now 更新日: 公開日:
スイス・ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部で記者会見するテドロス・アダノム事務局長=9月21日、国連インターネット放送UNWebTVの映像から

■慣例をくつがえしたWHO

「コロナとの闘い」で世界の先頭に立つWHOで、この春、長らく続いた慣例をくつがえす出来事があった。

コロナ対策に向け、企業や個人から寄付金を集めることを決めたのだ。WHOはこれまで、広く一般から寄付金を受け付けることをしていなかった。製薬会社などをはじめ民間企業から寄付を受けることで、WHOがつくる基準の公平性や、組織運営の中立性が失われてはいけないという立場からだった。それを転換し、緊急対応としてWHOの裁量で必要なところにお金を使える仕組みをつくった。

この動きをじっと見ていた人が、日本にいた。公益財団法人・日本国際交流センター(JCIE)執行理事の伊藤聡子さん(59)だ。伊藤さんは3月、WHOのテドロス・アダノム事務局長らによるウェブ会見に釘付けになった。会見では、欧州と米国の民間財団がコロナ対応の新しい基金を設けると発表された。WHO自体に寄付を受け入れる機能がないため、基金が受け入れの「窓口」になるという。

「欧米の財団が関わっているのに日本が入っていない。これでは日本が、かやの外になってしまう」――。危機感を抱いた伊藤さんはすぐさま動いた。ニューヨークの同僚と共に、グローバルヘルス分野でともに動くことも多い、米国の窓口となっている国連財団に対してJCIEが日本の窓口になると申し出た。

「WHOのための新型コロナウイルス感染症連帯対応基金」の伊藤聡子さん

この基金は「WHOのための新型コロナウイルス感染症連帯対応基金」(連帯基金、COVID-19 Solidarity Response Fund for WHO)。のちに中国、カナダも加わり、日米欧中加の民間財団によるWHOへの寄付金を集める枠組みが整った。

世界中の個人や企業から寄せられた寄付金は、10月21日までに約246億円に上る。これを元手に、WHOは社会基盤が脆弱(ぜいじゃく)でコロナ対応に苦しむアフリカやアジアなどの100を超える国にマスクや防護服を届け、検査薬を調達して現地の態勢を強化した。

■民間資金が「最大の資金源」に

WHO本部=スイス・ジュネーブ、吉武祐撮影

保健分野の国際基準づくりが主たる役割のWHOは、その運営の多くを加盟国などからの任意拠出金に頼っている。ほとんどは使い道があらかじめ決められており、機動的に使えない。その一方で、WHOに求められる役割は広がっており、2014年に始まり計1万人以上が死亡した西アフリカでのエボラ出血熱の流行時には、「患者に近い現場で行動するべきだ」との批判も出た。そうした経緯の中で生まれた連帯基金。世界の企業や市民らから託された資金が、力を発揮した。

ソニーや任天堂など日本の企業や個人からの寄付金は11億円を超す。政府からコロナ対策の特別定額給付金の支給が始まると、個人から10万円の寄付が増えたという。

寄付が集まる中、伊藤さんが関心を持ったのは、そのうち7割以上が米国の企業や個人からだったことだ。アップルやフェイスブック、グーグルといった企業が名を連ね、1社で100万ドル(約1億400万円)を超える寄付も多かった。

米国といえば大統領のトランプ氏がコロナ対応をめぐり、「WHOは中国寄り」と批判し続け、5月に脱退も表明。WHOをめぐっても米中の対立が表面化した。

「脱退表明の後も米国からの寄付は続いている。米政府の意向と民意が必ずしも一致していないことが、寄付というかたちでもあらわれた」。資金の流れを見て、伊藤さんはそう感じたと話す。

連帯基金の拠出額は、ドイツなどが巨額の資金をWHOのコロナ対策に振り向けるようになった9月まで、どの国よりも多い「最大の資金源」となった。

■多様化するドナー

国家からだけではない資金の流れが国際保健分野でも存在感を増す。米ワシントン大保健指標評価研究所(IHME)のリポートによると、2000年に約120億ドル(約1兆2500億円)ほどだった保健医療分野の開発援助額が、19年には約400億ドル(推計値、約4兆1600億円)に増えた。この間、米国などの二国間援助も増えたが、それ以外にもビル&メリンダ・ゲイツ財団や、エイズ・結核・マラリア対策を担う官民ファンドのグローバルファンドなど、WHOを上回るような資金力を持つ組織が出てきた。NGOによる拠出額も増えており、ドナーが多様化している。

スイス・ジュネーブにあるグローバルファンドの戦略・投資・効果局長の國井修さん(58)は「政府の集まりであるWHOには限界があるが、市民社会が入ることで政府支援からこぼれるところに支援を届けられる。パートナーシップが重要になる」と話す。

「コロナで陥った世界の危機に際して、アメリカがWHOから脱退を表明するなどしました。こんな時に政治問題化して、こんなことでいいのかとも思いましたが、ドイツやフランスを中心にEU諸国が『WHOは大切な組織だ、きちんと支えていこう』と訴えて資金を集めたりしていました。日本からも、世界のことを考えている人たちがいてお金が集まった。とても良いことだと思っています」

國井修さん=本人提供

■「コロナ後の世界のありように光」

WHOで事務局長補を務める山本尚子さん(60)は、「WHOは始まって以来、最大の危機にある」と話す。「国際機関なので、国際政治とは無関係でいられない」のが現実だが、「同じ船に乗って同じ方向をめざしていくことが大事だ」と語る。

民間資金の役割について、「WHOに資金がない中、企業や個人がすばやく反応してくれ、大きな拠出国が一つ増えたようなかたちで柔軟に使える資金が集まった。4、5月のころは連帯基金が生命線だった」と話す。

カンボジアを訪れた際の山本尚子さん(右から2人目)=WHO提供

コロナ危機はまだ終わりが見えないが、希望の芽はあるという。

「危機のど真ん中の時期に、連帯基金に世界中からお金が集まったり、ワクチン開発の枠組みを(官民が連携して)つくったりするのは、人類の知恵だと思う。そうした努力は、たとえ100%完璧でなくても、コロナ後の世界のありように光を与えていると思います」