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北丸雄二さん、エイズ問題を振り返る「米国では市民運動を作った。でも日本では...」

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ジャーナリストの北丸雄二さん
ジャーナリストの北丸雄二さん=2024年8月、東京都内、宮地ゆう撮影

私がNYに暮らし始めたのは1993年2月のこと。HIVの有効な治療法が確立される前で、感染拡大が顕著だったNYでは多くの人が死に、私の周囲でも死は遍在していました。

すでに、エイズ報道は連日行われていて、著名人が次々とカミングアウトし始めていました。同性愛者であるという個人的な問題が、エイズという社会課題とつながり、人権に結びつく大義名分になったのです。

映画、音楽、小説など、エイズをテーマにした名作も多く生まれました。メディアや世論を巻き込んだ人権運動は、性的少数者の声を届けることになりました。

エイズが流行し始めた1980年代の米国は、レーガン政権下で力を持ったキリスト教右派の保守思想や、高度な資本主義のあり方にひずみが生まれ始めていた時代でした。

家族や地域コミュニティーが崩壊し始め、家族主義や男性中心の保守的な思想ではなく、個を尊重するリベラルの思想に、新しい家族やコミュニティーの形を見いだし始めた人たちがいました。エイズはこうした時代背景と重なり、各地で他人同士が助け合う新たなコミュニティーを生んでいったのです。

ただ、1980年代の後半まで、米国でもエイズは公的な場で語られるものではありませんでした。保守派の共和党は、伝統的なキリスト教の価値観を守る象徴としてエイズを排除することで、政治資金集めにもつなげていました。米国でそんな価値観が変化し始めたのはクリントン政権後のことです。

アメリカのレーガン元大統領(左)とクリントン元大統領
アメリカのレーガン元大統領(左)とクリントン元大統領

1990年代から次第に世論の理解が進みはじめ、治療薬によってエイズは「死の病」ではなくなっていきます。やがて、政治の中心課題から外れ、代わって出てきたのが、同性婚を求める運動です。これも2015年に米連邦最高裁が認める判決を出し、米国では一つの区切りとなりました。

では日本はどうでしょうか。1980年代半ばから日本でも支援団体が生まれたが、エイズはあくまで個人の問題に押し込められ、政治課題に発展し得ませんでした。性的少数者の声がほぼ無視されたのは、長年の自民党政権の中で男性主義、家族主義、家父長制が深く根付いていたことが背景の一つでしょう。

世論を巻き込んだ米国のエイズの運動は、その後のさまざまな市民運動に引き継がれました。だが、日本ではこうした運動が広がらず、小さな声を社会運動に発展させるノウハウが育ってこなかった。そんななか、近年、女性の権利や性差別に対して声が上がるようになったのは、大きな変化です。

「エイズはまだ終わっていない」と書かれた横断幕を持ち、性的少数者への理解などを訴えて歩くパレードの参加者ら
「エイズはまだ終わっていない」と書かれた横断幕を持ち、性的少数者への理解などを訴えて歩くパレードの参加者ら=2014年4月、東京都渋谷区、関田航撮影

社会は、それまで見えなかったものが見えてきたとき、混乱し、困惑します。でも、それに対して対応していけばよいだけのこと。エイズは、そうした新しい生き方や社会のあり方への闘いの象徴だと感じています。