生活の場から仕事場に変わった農場
長子は1944年、末っ子は1969年生まれ。西ドイツのとある農家に生まれ育った11人の子供たち。本書『ひとつの農場、11人のきょうだい』では、1962年生まれの9人目で歴史学教授になったエーヴァルト・フリー氏が、きょうだいへのインタビューと、役所や教会、郷土資料館の資料を基に戦後西ドイツの農場生活とその変遷を描く。2023年のドイツ・ノンフィクション賞を受けた。
18世紀から続くフリー家の農場は旧西独のノルトライン・ウェストファーレン州にある。1950年代、農場には住み込みの働き手が大勢おり、子供たちも重要な労働力だった。農場主の社会的地位は高く、フリー家の年長の子供たちは、村に住む商人・職人や会社員の子供たちなど眼中になかった。
1960年代になり、農業の機械化が進んで住み込みの働き手はいなくなり、農場は家族経営に。わずかながら自由時間ができた年下の子供たちは農場の外の世界に目を向け始め、スポーツなどで村の子供たちと交流する。障害となったのはお金。自転車や服、靴などなにもかもが足りず、皆が創意工夫で乗り切った。農家の子であることはもはやステータスではなく、子供たちは家畜や堆肥(たいひ)の臭いを引け目に感じるように。
1970年代、長男が農場を継ぎ、ワンマン経営体制に移行する。一家は村に家を建てて引っ越し、農場は生活の場から仕事場に。子供たちは農家出身でない配偶者を得て、次男以下は農業と無関係の職に就いた。
浮かび上がってくるのは農家の社会的位置づけの変遷だ。1950年代には社会の中枢で大きな影響力を持っていた農家は、1960年代以降、商業やサービス業の興隆によってその地位を失っていく。一般のイメージは独立した誇り高い「農場主」から教養のない旧弊な「農民」へと変わる。
一般のイメージは「農場主」から「農民」へ
だが本書で描かれる一家の姿は、そんな通俗的イメージをあっさり覆す。
たとえば男女は平等に育った。農場の仕事は男女分業で、男は畑と家畜と機械、女は家事と鶏と搾乳。しかし仕事の価値に差はなかった。母は女性の担当分野を父から完全に独立して取り仕切る傍ら、カトリック団体の役員として家の外にも活躍の場を広げた。農業に専心する父はそんな母を誇らしく見つめた。
両親の教育方針は時代の変遷にも揺らがなかった。自身も農家出身で、農場の女主人になるための教育を受けた母だが、実は教師になりたかった。子供たちの学校の成績には無頓着だったが、男女の隔てなく、おのおのの個性と希望を尊重し、全力で後押しした。
折しも1970年代の西独は福祉国家へと発展しつつあり、日本で言えば育英会にあたる組織の大学生用奨学金のおかげで、子供たちに高等教育への道が開かれた。農場はもはや家族全員の唯一の収入源かつ保険ではなくなった。
本書で著者は、ひとつの農場の歴史を通して戦後の西独社会の変遷を浮かび上がらせることを目指した。歴史学者として第三者的視点で資料を読み解く一方、家族のエピソードは自らの感情を隠さず生き生きと描き、そこが多くの読者の共感を呼んだ。
筆者は時代の変化に決して批判的ではなく、農業従事者の地位の低下も含めて自然な流れとして受け入れているように見える。むしろ農家の子の高等教育を支えてくれたかつての国を「友」と呼ぶなど、変化に肯定的な描写も多い。
ただ本書が描く農場の歴史は1990年代で終わっている。30年後の現在、国の政策は理念優先で農家の実情を考慮せず負担を増やすばかりだと、農業従事者の怒りは募る一方だ。かつての「友」との間に生じた溝を筆者はどう見ているのだろう。
ドイツのベストセラー(戦後がテーマのノンフィクション)
Amazon.deの7月1日付ランキングより
『 』内の書名は邦題(出版社)
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Ein Hof und elf Geschwister ひとつの農場、11人のきょうだい
Ewald Frie エーヴァルト・フリー
西ドイツのとある農場で育った11人きょうだいを通して戦後の農家の変遷を描く。
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Gerhard Paul ゲルハルト・パウル
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