『Leben,schreiben,atmen(生きる、書く、息をする)』の著者ドリス・デリエはドイツを代表する映画監督であるだけでなく、多才で小説や児童文学も手掛け、熱心なファンが多い。
本書の副題は「書くすすめ」だが、作家志望者のための指南書ではない。著者にとって、書くとは頭に蓄積された体験を取り出すことで、より意識的に生きることにつながる。だから書くことが、生きることや息をすることと同列に並ぶ書名になる。誰しも体験する以上、著者は読者にすぐに書き出すことを勧める。
本書は50章から成り立ち、どの章も著者が書くことを実践する思い出話ではじまり、その後著者の助言が来る。
例えば「買い物」の章では、著者がスーパーマーケットでビニールに包装されたブルーベリーを見ていると、場面は森の中に変わり、子供の頃の著者が母親や妹たちといっしょにブルーベリーを集めている。子供たちは、籠がなかなかいっぱいにならず、お互いに紫色に染まった舌や手を見せあう。
突然著者は妹たちも母もいないのに気づく。自分は森の中で、世界中で独りだけになったと思う。この時の孤立感を著者は今でもよく覚えているし、一生彼女についてまわった。帰宅後母が圧力鍋でブルーベリーのジャムをつくる。ところが、圧力鍋が爆発し、紫色の噴水が天井に残した跡が、長年青空のように見えた。
この思い出話の後に著者の助言が来る。最初10分間書くのに集中し、その後、徐々に書く時間を延ばしていく。いろいろ考えるのは慎むべきで、自分について書くことが不遜に思えて恥ずかしくなるからだ。思い出すことを自分で選ぶのでなく、思い浮かぶのに任せるべしとある。著者のこのような助言を読んでいるうちに「自然体」という日本語が思い出された。昔ドイツの学校で作文の授業を参観したが、きちんと計画を立て、その通りに書くことが重視されていた記憶がある。
本書の思い出話は自伝的だが、断片的であるためか、読者に与える印象が強い。著者は知日家で、日本を舞台にした映画も多い。彼女の映画や本のなかで、日本と無関係なところでも日本的なものが感じられるのが面白い。
■気候変動は人ごとか
『Wir sind das Klima!(私たちが気候だ!)』の著者ジョナサン・サフラン・フォアは米国の小説家であるが、2009年に出版された彼の工場式畜産の本はドイツで多く人に読まれた。
本書は気候変動・地球温暖化をあつかう。著者によると、このテーマは多くの人にあまりにも抽象的だという。温暖化で氷河が溶け、干ばつや洪水になる。誰もがひどいことだと思う。でもそれは地球上の遠いところの出来事で、ニュースとして聞いて頭の片隅に知識として残されるだけで、身近な問題にならない。
この事情を考えるために、著者は第2次大戦下のナチのユダヤ人大量虐殺に対する当時のユダヤ人の反応を挙げる。例えば、1943年に米国へ来たポーランド人の抵抗者から詳細な報告を聞いて、ユダヤ人の裁判官は「うそをついているとは思わないが、信じられない。自分の頭も心もそんなことを受け入れるようになっていない」と語ったという。また英国に亡命したフランスの哲学者レイモン・アロンも「知っていたが、信じなかった。これは知っていないのと同じ」といった。
大昔から人間にとって、地球のほうが頑丈で、天災で痛めつけられるのは自分たちで、自分たちがすることでこの強い地球が音を上げるなんてあり得ないことだった。これは上記の裁判官の反応に近い。こう考えると地球温暖化に懐疑的な人がいるのも理解できる。
従来の気候変動対策に関して著者が残念に思うことがある。それは、温室効果ガスとなると、二酸化炭素ばかりに注意を奪われる点だ。著者によると、こうなるのは、現代生活で重要な動力や発電に必要な化石燃料から放出される二酸化炭素が量的には人為的温室効果ガスの82%を占め、一番大量だからである。
でも著者は、1960年代からの工場式の畜産による家畜の大量飼育で放出されるメタンや窒素酸化物の役割も大きいとする。温暖化する能力はメタンが二酸化炭素の25倍、窒素酸化物は298倍もあり、地球に毛布をかぶせるのに等しいという。
また著者によると、食用動物の大量飼育や、飼料作物(大豆)の栽培のために伐採されたり燃やされたりした森林が吸収しなくなった二酸化炭素の分も考慮すると、畜産が温室効果ガス総放出量に占める割合は51%におよぶという。
著者は、読者に1日3食のうち2食は肉やミルクを控えるように訴える。「私たちは朝ごはんでどのように地球を救うことができるか」という本書の副題も絵空事でない。これこそ、再生可能エネルギーで発電するといった膨大なコストと時間のかかる政治家の空約束と異なり、私たちが明日からでも実行できる。
同時に気候変動も抽象的でなくなり、私たちから切り離すことができない問題になり、「私たちが気候だ」という本書の書名にも通じる。
■史上最大の恐慌が迫る
『Der größte Crash aller Zeiten(史上最大の恐慌)』の著者、マルク・フリードリッヒとマティアス・ワイクはエコノミストだ。質素倹約で有名な南西ドイツ・シュヴァーベン地方の出身で、投資相談をしている。彼らの投資はもうけるためでなく、資産価値を守るためで、数年前にファンドを立ち上げ、金や銀、またその鉱山株だけでなく、原っぱや森などもミックスするとして話題になる。
2人は若く、真面目で信頼されているようで、出す本はいつもベストセラーになる。どれも似ていて、前半は経済の記述で、欧州中央銀行(ECB)が超低金利政策と量的緩和政策をいつまでも続け、次のバブルをもたらすことへの批判。後半は、資産を失うことを心配する読者のための具体的な助言になる。
5冊目となる本書では、ECB批判は後退し、「史上最大の恐慌」は遅くとも2023年までに来るという予言となり、人々を驚かせた。そのシナリオはこうだ。
今の景気後退でデフレが強まると、ECBが金利を更に下げ、銀行経営は苦しくなる。当然お金が回りにくくなり、融資がまひしてくる。ECBによる長年の過保護で増え、欧州全体の15%を占めるというゾンビ企業が軒並み倒産する。こうなると、ECBはパニックに陥り、システム全体を救うためにマイナス金利を更に引き下げるだけでなく、量的緩和をほぼ無制限に拡大するしかない。
そうこうしているうちに、いつの間にか月間10~20%のインフレに転じていく。著者によると、30~50%のインフレも現実的だという。ここまで来ると、降りる駅がなく、終点の通貨切り替えまで後少しだ。
この国の人々は1948年にそれまでのお金が紙切れ同然になるのを体験した。似たことは日本人も「新円切り替え」で知っているはずだ。
欧米や日本では長年「中央銀行神話」が語りつがれた。ドイツは、1920年代に「ハイパーインフレ」があった。こうした悲惨な国民体験に基づいて、戦後西ドイツ国民は通貨の安定を最優先する中央銀行、ドイツ連邦銀行をもつようになった。政治家も「インフレは社会的弱者に残酷で、これほど反社会的なことはない」といい、この連銀の立場を尊重した。また国際社会でも「インフレファイター」として煙たがられた。
本来ECBもこのドイツ連銀の精神を実現するはずであった。ところが、ドイツ連銀側にはその願望があるのに、今までドイツ連銀出身者がECB総裁になったことはない。これはドイツの政治家が事なかれ主義だからといわれる。
来たるべき「史上最大の恐慌」に非力でも独りで抵抗する術を説く本書がよく売れているのも、人々に感じることがあるからだ。これまでは金の地金も10000ユーロ未満は八百屋で大根を買うのと同じように購入できたのに、今年からは2000ユーロ未満に下がった。
マイナス金利も一般預金者に影響している。人々は「たんす預金」に走り、金庫メーカーは殺到する注文に悲鳴をあげ、また銀行で空いている貸金庫を見つけるのも容易でない。また、庭に金と宝石を埋める人もいるといわれる。これは敗戦直前に連合軍が来る前にドイツ人がしたことだ。いろいろな話を聞くと、たいへんな時代になると思えてくる。
ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)
1月18日付Der Spiegel誌より
『』内の書名は邦題(出版社)
1 Der größte Crash aller Zeiten
M.Friedrich/M.Weik M・フリードリッヒ/M・ワイク
来たるべき史上最大の恐慌に非力でも独りで抵抗する術を説く。
2 Der Ernährungskompass
Bas Kast バス・カスト
健康な食事を求めた科学ジャーナリストがその研究成果を発表。
3 Kurze Antworten auf große Fragen
Stephen Hawking スティーブン・ホーキング
著名物理学者が神の存在をはじめ10の難問に手際よく回答。
4 Permanent Record
『スノーデン 独白 消せない記憶』(河出書房新社)
Edward Snowden エドワード・スノーデン
著名な内部告発者の自伝。本人から聞くと動機がよくわかる。
5 Becoming
『マイ・ストーリー』(集英社)
Michelle Obama ミシェル・オバマ
ミシェル・オバマ元米大統領夫人による回想録。
6 Das geheime Band zwischen Mensch und Natur
Peter Wohlleben ペーター・ウォールレーベン
森林管理者が人間も他の生物と同じように自然の一部だと説く。
7 Leben, schreiben, atmen
Doris Dörrie ドリス・デリエ
書くすすめ。自分の思い出すままに書きつづる。それも自然体で。
8 Wir sind das Klima!
Jonathan Safran Foer ジョナサン・サフラン・フォア
気候変動に待ったをかけるのには、まず朝ごはんから。
9 Der Elefant, der das Glück vergaß
Ajahn Brahm アヤン・ブラーム
どんなときにも生きる喜び忘れないための仏教説話集。
10 Es ist nie zu spät, unpünktlich zu sein
Torsten Sträter トルステン・シュトゥレーター
人気コメディアンが私たちと時間の関わり方を風刺。