米国が南北戦争中の1862年春、北軍の兵士と民間人からなる小規模な破壊工作員部隊が、敵の南軍陣地の奥深く、テネシー州のチャタヌーガ近くで補給路を断つ大胆な作戦を思いついた。
それは南軍の列車を乗っ取り、列車を走行させながら線路を破壊、橋を焼き落とし、電線を切断し、敵軍の移動手段と通信手段を奪うというものだった。
この年4月、私服を着て民間人に変装した工作員たちは作戦を開始した。ジョージア州で敵陣の背後に潜入し、同州のマリエッタ近くで蒸気機関車を乗っ取り、テネシー州へと北上しながら戦い続け、7時間にわたって沿線を大混乱に陥れた。
米陸軍の記録によると、後世に「大列車追跡」(訳注=南軍が別の蒸気機関車で追跡したため、この名がついた)として知られるこの作戦は、乗っ取られた蒸気機関車「ザ・ゼネラル(将軍号)」がチャタヌーガまで18マイル(約29キロ)のところで燃料の石炭が切れて幕切れとなった。
作戦に加わった北軍の工作員たちは現場から逃走したものの、2週間もしないうちに全員捕まってしまった。大半は捕虜となったが、スパイとして2人が絞首刑になった。
この作戦の生存者のうち6人が1863年に名誉勲章の最初の受章者となった。これは戦闘での勇敢さをたたえる米軍最高の勲章であり、その前年にリンカーン大統領により創設されたばかりだった。
その後の受章を含め、作戦に従事した計19人が名誉勲章を受けた。しかし、南軍により処刑された2人の名誉は認められないままだった。
2人とは、オハイオ第2志願歩兵連隊の、いずれも二等兵のフィリップ・G・シャドラックとジョージ・D・ウィルソンである。アトランタでの処刑から162年後の2024年7月3日、彼らにも死後の名誉が与えられた。
この日開かれたホワイトハウスでの授与式で、バイデン大統領は2人の兵士の子孫に勲章を与えた(訳注=名誉勲章は大統領から直接授与される)。
子孫の中には、歴史家から教えられるまで名誉ある祖先のことをまったく知らなかった者たちもいた。「ウィルソンのことを知ったのは4年前のこと。祖先のことは、私たち子孫はまったく知らなかった。この22人の行動を知って本当に驚いた」。ウィルソンの玄孫(孫の孫)にあたるスコット・チャンドラーは取材にそう答えた。
「子孫が祖先に代わって名誉を受けることはできない。しかし、祖先の栄誉をたたえて、その志を生かしていくことはできる」
勲章の授与の前にあいさつしたバイデン大統領は、2人の二等兵の犠牲を米国建国の理念に結び付けてたたえたが、その演説の調子にはどこか選挙演説と同じ響きがあった。
「彼らの英雄的な行為は1世紀以上にわたって認められてこなかった。しかし、時の経過は彼らの勇気の価値を消し去ったわけではない。彼らが戦った目標は、今日でも同じくらい貴重なままだ。すなわち、分裂よりも統一、隷属よりも自由、後戻りではなくて前進、そして噓ではなくて真実を求めることが大事なのだ」
バイデン大統領はさらにこう続けた。「明日7月4日の独立記念日は、歴史を消し去るのではなく、歴史を知ることが重要だということを思い出させてくれる。米国の民主主義の神聖な大義を忘れてはならない。邪悪な奴隷制を正当化しようと誤った大義をでっちあげてはならないのだ。シャドラックとウィルソンの2人がそのために戦い、命を捧げた国家、アメリカ合衆国のことを忘れてはならない」
そしてこう付け加えた。「それが我々なのだから」(抄訳、敬称略)
(John Ismay)©2024 The New York Times
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