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気球の軍事利用は南北戦争から 中国の「スパイ気球」事件で浮かび上がった意外な歴史

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
青空に白い気球の写真
米サウスカロライナ州沖で撃墜された中国のものと見られる気球=2023年2月4日、EYEPRESS via Reuters Connect

米モンタナ州の上空で2月上旬、ホバリングしているのが目撃された中国の気球について、ペンタゴン(米国防総省)は「情報収集」をしている飛行船だと主張し、中国は迷子になった民間の調査飛行船であると説明した。

その使用目的が何であれ、今回の件は、過去1世紀以上にわたって各国政府が気球を監視や観測に使ってきたことを思い起こさせる。ほとんどが戦時中のことだった。

ワシントンにある国立航空宇宙博物館(NASM)の軽飛行機部門の学芸員トーマス・ペイオンは、気球の技術はこの間に変化してきたが、観測の役割は不変だと指摘する。軽飛行機部門のコレクションにはballoon(バルーン=気球)やblimp(ブリムプ=翼のない大型飛行船)、airship(エアシップ=飛行船)などが含まれる。

ここで歴史を振り返ってみよう。

●南北戦争では、南北両軍が気球を活用

南軍も北軍も、係留された気球を使って軍隊の動きを観察した。ペイオンによると、これが米国で観察用の気球を初めて組織的に軍事利用した例だった。

北軍は、南軍よりも優れた気球資源を持っていた。気球を係留するボートなどだが、この係留気球は初期の空母に相当した。南軍で最も使われた気球の一つは、最後には北軍に分捕られてしまった。

「両軍とも戦争の中盤までに、気球の活用をあきらめた。気球の輸送・配置が難しかったからだ」とペイオンは言う。

米国立公園局(NPS)によると、輸送・配置の難しさは1862年4月、ニューヨーク州のヨークタウンが(南軍に)包囲された際に明白になった。北軍の将軍フィッツ・ジョン・ポーターが、(気球の)係留にはロープを3、4本使用することが推奨されていたのに、1本だけ使っての視察を決定した時のことである。

ロープがプツンと切れてしまったのだ。ポーターは気球を制御する手段がないまま、南軍側の上空に流されてしまった。南軍兵士はポーターに向けて数発発砲したが当たらず、ポーターと彼が乗った気球は最終的に北軍側に戻ったのだった。

ポーターは北軍の将軍ジョージ・B・マクレランと親しかった。この事故後、マクレランは妻に手紙を書いている。「君にとっては安心材料が一つある。行き迷った気球に乗った私が捕まるような事態は起こらない。他の将軍が気球に乗ることも許さない」

●第1次世界大戦時の気球操縦者が初期のパラシュート使用者

第1次大戦では、水素ガスを充塡(じゅうてん)した気球は砲撃を指示したり、敵部隊の動きを見定めたり、デポ(物流拠点)や塹壕(ざんごう)など敵の位置の確認に活躍した。

「その結果、気球は敵の重要な標的になった」とペイオンは指摘する。飛行機の最初期の用途には気球を破壊する任務もあった。「観測気球が上がると、それまでの動きや敵から隠そうとしていることをすべて敵に見られてしまう可能性があった」とペイオン。気球が1機上がると、すぐに砲撃されることがよくあった、と彼は付け加えた。

敵の砲火で気球が爆発する可能性があり、敵の攻撃に気づいた米軍の気球操縦者は飛び降りざるをえなかった。だから、彼らが初期のパラシュート使用者になったのだ。

絹製のパラシュートは、円錐(えんすい)形の装置に入れて気球のゴンドラ(操縦者らが乗りこむ「かご」部分)の側面に取り付けられていた。ペイオンによれば、気球の乗り手がバスケットの側面を飛び越えると、降下する時に乗り手自身の体重でパラシュートが出てくるのだ。

「一日に気球の乗り手たちが2度も3度も飛び降りたという話がある」とペイオン。「攻撃されるたび、飛び降りたんだ」

●日本は第2次世界大戦時、米国に9千個の風船爆弾を送り込む

第2次大戦中に米国本土への攻撃で死亡したのは、1945年5月、オレゴン州でのピクニック中に日本の風船爆弾「ふ号」に遭遇した6人のみだ。

エルシー・ミッチェルと日曜学校の子ども5人が爆弾を見つけ、その爆発の犠牲になった。

国立米空軍博物館によると、1944年11月から45年4月までの間、日本は爆弾を搭載した気球約9千個を、太平洋を越えて約6千マイル(約9700キロ)以上離れた米本土に向けて飛ばした。このうち285個がミシガンやワイオミング、テキサスなどの州で見つかった。

●欧州では「K-Ship」と呼ばれた非係留型の大型飛行船を観測や攻撃に活用

「K-Shipは対潜水艦戦の重要な側面を担った。K-Shipはホバリングをしたりゆっくり進んだりでき、大勢の双眼鏡部隊を乗せて、かなりの高度から全方位で海を見張ることができた」とペイオンは言う。「彼らは、潜望鏡や水中の変化を見つけて潜水艦の位置を特定することができた」と彼は続けた。

D-Day(訳注:軍事用語で作戦開始日。ここでは1944年6月6日の連合国軍によるノルマンディー上陸作戦)では、アフリカ系米国人部隊「第320阻塞(そさい)気球大隊」がフランスに上陸した最初の阻塞気球大隊だった。

ニューオーリンズにある国立第2次世界大戦博物館によると、阻塞気球は大型の無人係留気球で、その係留ケーブルが危険なので、航空機は高高度を飛ばざるを得なくなり、機銃掃射や爆撃の効果を低下させた。

FILE ム A military base in Kabul where one of several US aerial surveillance balloons were based, on April 3, 2012. A Chinese balloonユs appearance in the northwestern United States was a reminder that governments have used balloons for reconnaissance for more than a century. (Bryan Denton/The New York Times)
アフガニスタンの首都カブールにある軍事基地。2012年4月3日時点で、米軍の何機かの監視気球のうち1機がこの基地を拠点にしていた=Bryan Denton/Ⓒ2023 The New York Times

●21世紀の監視気球はビデオカメラやセンサーを装備

「エアロスタット」の名で知られる米国の監視気球は、赤外線センサーやカラービデオカメラを装備しており、アフガニスタン戦争中は同国に常駐していた。ヘリウムを充塡した気球で、2004年に初めてイラクで使われ、米国南部の国境監視にも活用されてきた。

アフガン人のなかには、気球は私生活を侵害しており米国による抑圧の象徴だという人もいたが、他方で、気球は暴力の脅威を防ぐのに十分ではなかったと不満を漏らす者もいた。

ある監視気球から得られた動画は、2012年3月に16人のアフガン人市民(ほとんどが女性と子ども)を殺害した兵士ロバート・ベイルズの裁判でも使われた。ビデオには、その攻撃後、カンダハル州の前哨基地に戻ったベイルズが他の兵士に取り押さえられたところが映っていた。(抄訳)

(Amanda Holpuch)Ⓒ2023 The New York Times

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