レマン湖を望む丘にできた街、スイスのローザンヌ。ここでは、毎年がオリンピックの年だ。石造りの建物が並び、瓦ぶきの屋根が続く。広場に面して、歴史的な教会が立つ。
そして、国際オリンピック委員会(IOC)の本部がある。オリンピック博物館とともに、年間を通じてこの街は五輪を支えている。それは、公式行事として五輪の競技大会が開かれるかなり前からそうだし、開かれたかなり後でもそうあり続ける(2024年は夏の五輪とパラリンピックが、主にパリ市内とその周辺で7月26日から9月8日まで開催される)。
ただし、オリンピックは、ローザンヌの一つの顔にすぎない。その中心部には、三つの前衛芸術の美術館が集結する新しいアート地区ができ、愛好家を喜ばせている。一方で、創立40周年を迎えたエルミタージュ財団美術館のようなところもある。
いきな新しいレストランや高級チョコレート専門店、洋菓子店に飛び込むのもよし。きっと、メダルに値するグルメ店が見つかることだろう。
五輪競技:歴史と伝統の展示
世界的に有名な金メダリストには、ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネチ(訳注=1976年のモントリオール、1980年のモスクワの両大会で計5個の金メダルを獲得)やジャマイカの陸上男子短距離選手ウサイン・ボルト(訳注=2008年の北京から2016年のリオデジャネイロにかけて、3大会で計8個の金メダルを獲得)のような選手がいる。
しかし、はるか昔にも同じような選手がいた。古代ギリシャのオリンピックで紀元前488年から480年の3大会続けて勝利の栄冠に輝いた走者で、植民都市クロトン出身のアステュロスは、間違いなくトップスターだったに違いない。それも、全裸、素足で達成した(当時はそれが走るときの習わしだった)というのだから、すごさがいや増してくる。
これは、オリンピック博物館(入場料20スイスフラン〈1スイスフラン=172円換算で3440円〉)で披露されている物語の一つにすぎない。太古の花びんの絵からインタラクティブなタッチスクリーンまで、ここでの展示は世界で最も名高い「オリンピック」という競技会の歴史をたどっている。それは古代ギリシャの原点に始まり、今年のパリ五輪の特別展まで続く。
館内の展示を見てまわろう。スタジアムの建築構造や様々なユニホーム、開会式のパフォーマンス、さらにはドーピングの防止技術といったことが、細部にわたって解説されている。選手村のカフェテリアのメニューだって出てくる。
有名なオリンピック選手が使った用具や衣服もある。その一つに、ナチスドイツのプロパガンダに使われて悪評が高い1936年のベルリン大会で、米陸上男子選手ジェシー・オーエンス(訳注=この大会で100m、200m、走り幅跳びなど4個の金メダルを手にした)がはいた手作りの競技用靴がある。製作者はドイツ人のアディ(訳注=愛称で、正式にはアドルフ)・ダスラー。後にスポーツ用品大手となるアディダスを創業した。
陸上の短距離からスキーの回転競技まで、自分の能力を測定することだってできる。そのために、屋外には陸上競技のトラックが、屋内には対話型のシミュレーターがある。もし、パリ五輪開催中にこの博物館に来れば、屋外の巨大スクリーンが生中継で競技の様子を伝えてくれる。
博物館には、1年を通して無料で入れるオリンピック公園が付属している。広大な緑の敷地からは、レマン湖の眺めがすばらしい。
そこに、スポーツにちなんだ彫刻やインスタレーションが点在する。米現代美術家アレクサンダー・カルダーやコロンビアの抽象芸術家フェルナンド・ボテロらによる作品で、その数は43にものぼる。近代オリンピックの生みの親といわれるフランスの男爵ピエール・ド・クーベルタンの立像も、これに含まれている。
マン・レイ、モネほか多くの作品
鉄道の駅に沿って、ローザンヌの新しいアート地区「Plateforme(プラットホーム)10」が広がる(訳注=ローザンヌ駅には9番線まである。そのため、隣接した旧国鉄の車庫の跡地にできたこの地区には「10番線」の名が付けられた)。
ここでは今、フランスの芸術家アンドレ・ブルトンらが出版した一連の著書「シュールレアリスム宣言」(訳注=シュールレアリスムを初めて定義した。邦題は『第一宣言』)の刊行100周年を祝って、この著名な文学・美術の運動に焦点を当てたいくつかの展示会が開かれている。
展覧会「Surréalisme.Le Grand Jeu(シュールレアリスム。偉大なる遊び)」の中核を成すのはブルトンとその仲間たちによる先駆的な作品群だ。この、歴史的および現代的なシュールレアリスム作品を集めた大規模な展覧会は、ボー州立美術館(訳注=ローザンヌはボー州に属する)で、2024年8月25日まで開かれている。
作品は、期待にたがわず奇妙で、同時に夢のようでもある。角砂糖でいっぱいの鳥かごの彫刻には、「Why Not Sneeze, Rose Sélavy?(ローズ・セラビ、なぜくしゃみをしない?)」(マルセル・デュシャン、1921)の題名がつく(訳注=「ローズ・セラビ」はデュシャンが女装したときに使った名前)。
あるいは、キラキラ光るキャンバスに白鳥が描かれ、神秘的な湖に反射するその姿は象になっているという作品も。こちらは「Cygnes Se Reflétant en Éléphants(水面に象を映す白鳥)」(サルバドール・ダリ、1937)だ。
さらには、背中に楽器の音孔が描かれた女性の写真が。米写真芸術家マン・レイの1924年作「Le Violon d'Ingres(アングルのバイオリン)」だ。ほかにも、多くの傑作が並ぶ。
広場を挟んで向かいにある「エリゼ写真美術館」は先進的な氷山を思わせるギザギザの白い立方体が目を引く。ここでも、マン・レイの個展が開かれている(「Man Ray:Liberating Photography〈マン・レイ:解放する写真〉」。2024年8月4日まで)。
ここでは、特有なスタイルに様式化された肖像写真が並ぶ。アトリエのピカソ。男性が室内で着る、ゆったりとしたスモーキングジャケットをはおった米国人女性著作家ガートルード・スタイン。当惑した様子のロシアの作曲家イーゴル・ストラビンスキー。こうした作品が、1920年代のパリを支配した文化的な高ぶりをとらえている。
一方で、幻覚を起こさせるような前衛短編映画「理性への回帰」(1923)もある。こちらは、当時としては新しかった映像媒体の使い方に、画期的な展望を開いたものだった。
同じ建物には、「MUDAC(現代デザイン応用美術館)」も入っている。ここでは、シュールレアリスムに刺激されてつくられた家具や家庭用品の展覧会「欲望のオブジェ」が開かれている(2024年8月4日まで)。
唇のような形をしたカウチは、イタリアの前衛的な建築スタジオ「Studio 65」作。プラスチックでできた実物大の黒い馬の頭にランプのかさがのっているのは、オランダのインテリアブランド「モーイ」製。ブタの頭蓋骨(ずがいこつ)のような形をしたティーポットは、オランダの「スタジオ・ウィキ・ソマーズ」によるものだ。
以上、3カ所の美術館に入れる共通チケットは25スイスフランで購入できる。
もう一つの周年イベント「ラングマット美術館の至宝展」(2024年11月11日まで)が、エルミタージュ財団美術館で開かれている。1874年の印象派初の展覧会から150年を記念するもので、手入れの行き届いた庭園とレマン湖の眺望を誇る美しい建物内にある19世紀の貴族的な部屋の数々が会場になっている。
スイスのバーデンにあり、改築のため閉館中のラングマット美術館(訳注=印象派のコレクションではスイス一とされる)から60点ほどの作品を借りており、ルノワールの風景画やドガの裸婦画、さらにはマティス、モネ、セザンヌといったフランスの巨匠の絵が来館者を楽しませてくれる。中には、米画家メアリー・カサットの作品もある(入場料22スイスフラン)。
食べ物と飲み物:地元名産がこんなにも
すでに手作りチョコレートの専門店ノズ・ショコラティエ・ブティックやホテル・スイス・チョコレート・バイ・ファスビンド(訳注=チョコレートの噴水が出迎えてくれる)がある街の中心部のマートレー通りに2023年、パンとチョコレートの店「アカレ」がオープンした。
スイスの複数の一流ホテルで腕を磨いたパティシエのアルノー・ドゥスが、ていねいに焼いたクロワッサン(1.9スイスフラン)やパン・オ・ショコラ、レモンケーキなどを多種多様なチョコレート製品とともに置いている。ほぼ毎日、朝の6時半から開いており、朝食をテイクアウトするにはうってつけのスポットだ。
この街のレストラン業界にとっても、2023年は実りの多い年だった。
ボー州議会議事堂にあるスカンディナビア風のレストラン「ラ・ブベット・ボードワーズ」は、一般には非公開のランチ専用店だったが、長年のこの慣習を破り、選挙で選ばれた議員以外も利用できるようになった。
お薦めは、いくつもの伝統的なスイス料理だ。例えば、賞をもらったこともあるサクサクした食感のチーズパフ(近辺では「マラコフ」の名で知られる。9スイスフラン)。厚切りのマスを焼き、白のシャスラワインで風味付けしたクリームソースを添えた料理(25スイスフラン)。
ほとんどの食材は地元のボー地方で調達しており、ここで出されるワインの銘柄のいくつかは議員所有の醸造所でできている。
最新のディナーの超注目店も、同じようにスイスの食材にこだわっている。店内の装飾の随所に、年季の入った高級感が漂う店「ラパート」。楽しいデザイナーの友人の広々とした家のような感じがする。それも、クローゼット付きの。
そう、文字通りのクローゼットの中にはワインのボトルがぎっしりと詰まっている。客は中をのぞいてボトルを選ぶ。
そのシェフ、ルイス・ズザルテのメニューは、地元産品の長いリストが続くことで知られる。例えば、ガーリック入りのマヨネーズとピクルスが付いたサクサク感のある焼きスプリンツ・チーズ(訳注=スイス産のハードタイプチーズ)。それに、肉汁たっぷりのプルドポーク(ほぐした豚肉)は、枯れ草を燃やしていぶした。4品のコース料理(火曜・水曜のみ)で85スイスフラン。7品(毎夜)のコースだと145スイスフランになる。
日本の風味を加えているのは、「ジャジャッフェ」の料理だ。必要最低限のインテリアで風通しをよくしたこの店は、オープンしてまだ1年。気楽な雰囲気で、シェフたちは入れ墨をしている。昔ながらのLPレコードがBGMを奏で、若いウェーターたちが日本とスイスという魅惑的な組み合わせの料理を運んでくれる。
最近できたメニューには、ヒマワリが入ったホイップクリームに東京から来たカブの輪切りとからすみをのせた一品がある。スイスでできた日本酒で味付けをしたマヨネーズに生のホウボウを漬け込み、ぶつ切りのまま出す料理もある。4品のコースだと75スイスフラン。7品だと110スイスフランになる。(抄訳、敬称略)
(Seth Sherwood)©2024 The New York Times
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