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IOCの歴史が詰まった街 スイス・ローザンヌを歩く

World Now
スイス・ローザンヌのレマン湖=西畑志朗撮影

IOCに加え、近年は多くの国際スポーツ競技団体が、競うように本部や事務局を置くようになった。

IOCはスイス政府から認められた国際的な非政府・非営利団体として、通常20%が課税される所得税が免除されているが、同じ優遇措置がその他の団体にも認められている。「スポーツはフェアプレーの精神、人種差別反対など、国際社会に前向きなメッセージを発信している」というのが理由だ。

その拠点が2006年に完成した「メゾン・ド・スポーツ・インターナショナル」。50近い国際スポーツ競技団体、スポーツマーケティング関連企業が事務所を構える。「最初の2年間の賃料無料」などの好条件が人気の秘密だ。

商業主義をひた走るIOCだから、駅をはじめ、街には五輪グッズを売るショップがあるのかというと、違う。お土産を探すために街中を歩いたが、見つけたのは五輪博物館脇にあるショップだけだった。

戦禍を逃れて

多くのIOC委員たちも愛用するローザンヌのパレスホテル=西畑志朗撮影

IOCが第1次世界大戦中、戦禍のパリから逃れるために、中立国だったスイスに本部を移したのが1915年。それ以来、IOCは中世の香りが残る都市に静かに溶け込んでいる。

理事会や総会の期間中、ローザンヌ・パレスホテルに足を運べば、IOC委員たちの顔を拝むことができる。「本部をここに移してからだから、もう100年近く、最大のお得意様です」。そう説明してくれたのはパレスホテルの広報部長、アレクサンドラ・トゥルカンだ。7月3、4日の臨時総会のときは、ここに東京をはじめ、2020年五輪招致をめざす3都市が展示ブースを置き、IOC委員が大勢見学に訪れた。

ホテルは歴史的な決定の舞台としても活躍してきた。1984年1月、財政危機にあったIOCを、劇的によみがえらせた88年カルガリー冬季大会の米国向け放送権料の交渉は、ここで行われた。

最近では今年2月、レスリングを五輪競技から外す候補に決めた理事会もここだった。「寝耳に水」のニュースに驚いた記者たちが、泊まっている部屋に戻ろうとする理事を追いかけ、エレベーターをふさいで食い下がった。

ホテルのバーやロビーは、IOC委員や国際競技連盟の関係者、招致委員会の関係者、世界から集まる五輪担当のベテラン記者らの夜の社交場になる。

そして、委員たちは朝も積極的なロビー活動を怠らない。7月4日、記者が宿泊客が朝食をとるレストランに午前8時半に着席すると、もうテーブルは6割ほど埋まっていた。

北朝鮮と韓国の委員のテーブルがあれば、プエルトリコ出身の会長候補、カリオンの陣営はコーヒーカップ片手の打ち合わせ。英国、ロシアの古株2人は、一つのテーブルを囲んでいた。各テーブルを訪れ、3~10分ほどの立ち話に余念がなかったのが、次期会長の本命、ドイツのバッハだった。

この日は、会長選挙に立候補する6人が所信表明をする日だった。あいにくの曇り空。レストランのテラス越しに対岸であるフランス領は雲に阻まれて見えなかった。前回の会長選挙でロゲに敗れた古参委員のパウンドがつぶやいた。「今日の天気と同じ。会長選挙の行方も、まだ視界不良だよ」

本部の職員は44カ国・地域から

ビディ城と呼ばれる洋館2階の会長室からはレマン湖が望める=西畑志朗撮影

IOCの本部は、二つの建物で構成されている。立派な大理石の門があり、受付があるのが近代的なガラス張りのビルの「本館」。その脇に「ビディ城」と名付けられた荘厳な洋館があり、2階に会長の執務室がある。

IOCは、職員450人という大所帯だ。国籍は44カ国・地域と国際色豊かだが、語学力の壁も影響してなのか、日本人スタッフは一人もいない。平均年齢は43.6歳。

サマランチ会長時代に増え始め、83年は61人だったのが、2001年に244人に。五輪博物館のスタッフも職員として加わったため、さらに増えた。

6代目会長、キラニンの回顧録によると、彼が委員になった1950年代前半は「正規のスタッフはパートタイムの事務局長をしていたオットー・マイヤー1人」だった。ローザンヌで高級宝石店を経営し、仕事の合間に店の奥の部屋とバーを使ってIOCの業務を処理していたという。

いま、IOC事務局は広報、法務、テレビ・マーケティング、財務など12の部局に分かれ、それぞれに担当部長がいる。

スイス・ローザンヌのIOC本部脇にある銅像は観光客の撮影スポットになっている=西畑志朗撮影

計22に上る専門委員会もある。「倫理」「法務」「財務」「医事」「報道」「マーケティング」「女性とスポーツ」「文化と五輪教育」などの分野がある。IOC委員がメンバーに名を連ね、定期的に会合を開く。それぞれの分野で職員が補佐する形をとる。さらに、各大会組織委員会の準備が順調に進んでいるかを定期的に視察する調整委員会も重要な仕事だ。

IOC職員になるために必要な資質や条件は、「IOCの公用語である英語とフランス語をはじめとする語学力」「国際スポーツ大会の運営に携わった経験」などのほか、忘れてならないのが「五輪の価値に対するリスペクト」だそうだ。

フランス語圏であるローザンヌの出身者も多いことから、フランス語が多く飛び交う。広報部門は、世界のメディアからの問い合わせの大半が英語のため、広報部長マーク・アダムス以下、英語でやりとりすることが多いという。

五輪博物館に彼の石板は残る?

改装中の五輪博物館=ローザンヌ、稲垣康介撮影

レマン湖畔の五輪公園に立つ五輪博物館は、日本と縁が深い。1991年に当時のサマランチ会長が来日したとき、日本オリンピック委員会前会長の堤義明に建設資金の援助を仰いだ。当時は長野五輪招致レースの真っ最中。長野・戸倉上山田温泉で宴席がもたれた際、「日本企業12、13社から寄付を集められそうだ。私も個人で100万ドルを寄付する」と、堤がサマランチに約束したことを、堤に近かった人物が証言している。

その1カ月余り後、長野は、米国・ソルトレークシティーを決選投票で破り、98年冬季五輪の開催都市に決まった。結局、100万ドル以上を寄付した企業33社のうち、日本企業は19社だった。

93年にオープンした博物館の1階ロビー奥に積み上げられた石板には、寄付した企業、個人の名前が刻まれている。サマランチの右隣には、盟友「Tsutsumi」の名も。五輪博物館は改装中で11月末に新装オープンの予定。IOC広報は石板について「寄付者への敬意を表し、改装工事中も大切に保護し、以前と同じ形で展示します」。

二つの名前がある湖

ローザンヌの地図を見ると、「レマン湖」と書いてあるものと「ジュネーブ湖」と書いてあるものが混在している。なぜ、二つの名前があるのか。「フランスと、スイスのフランス語圏では“レマン”を使い、スイスのドイツ語圏では“ジュネーブ”を使う。ジュネーブという都市が世界的に有名なので、広報・宣伝ではジュネーブ湖を使うことが多い」と観光局。一方で「湖はフランスとも接しているのに、ジュネーブから名称をとるのはおかしい」という反論がフランス側から聞かれるからという説も。ローザンヌの対岸にはミネラルウオーターで有名なフランスのエビアンがある。

開祖が眠る墓 でも心臓はギリシャ

クーベルタンの墓=西畑志朗撮影

IOC本部から歩いて5分ほどの高台にある墓地は、緑豊か。花壇の手入れも行き届いている。近代五輪の創設者であるピエール・ド・クーベルタン男爵が眠る墓がある。墓石には五輪マークが刻まれ、心臓は本人の遺志で古代五輪の舞台だったギリシャ・オリンピアにある。クーベルタンの墓のすぐ近くには、同じフランス出身の有名デザイナー、ココ・シャネルが眠っている。彼女の遺志で墓の周りには常に白い花が、一年を通して咲いている。

シャネルの墓=西畑志朗撮影