3月末のパリは雷鳴がとどろき土砂降りや雹(ひょう)が降るなど不安定な天気だった。だが、4カ月後に五輪を控え、活気に満ちていた。そんなパリ中心部から北西に約5キロ離れた工業都市クリシーは一見すると華やかさは感じられない。だが、ここには世界最大の美容企業「ロレアルグループ」の国際本社がある。
ロレアルは、化学者ウージェーヌ・シュエレールが1909年に設立した会社に始まる。ランコムやシュウ ウエムラなど37のブランドを傘下に収め、150カ国以上に拠点を置き、社員は約9万5000人に上る、美容業界のリーダーだ。「世界をつき動かす美の創造」を企業活動の中心に据え、「美と年齢」という挑戦的な課題に取り組んできた。
一般に、美しさは若さと結びつけられ、年を取ると美しさは失われると思われがちだ。美容業界の広告には肌がツルツルした若い俳優やモデルが採用されてきた。そうした考えにロレアルは一石を投じた。
2006年、当時68歳の米俳優ジェーン・フォンダ氏をアンバサダー(宣伝大使)に起用。深くシワを刻んだハリウッド俳優が広告や宣伝用の動画に登場し、"We're Worth It."(私たちにはその価値がある)と語った。人は年齢を重ねるなかで、それぞれに美しさがあるという主張は、社会に影響を与えた。
人事担当取締役のジャンクロード・ルグランさんは言う。「ロレアルは社会で何が始まろうとしているのかをすばやく察知し、その変革を加速させるのです」
年齢を重ねた肌のためにデザインされた製品は、シワなどをカバーするだけでなく、より健康的に見せることを重視する。これまで多くのアンチエイジング製品を製造・販売してきたが、「アンチエイジング」という表現についても検討しているという。
フランスでは高齢化が進んで労働力が不足し、社会問題になっている。もはや優秀な中高年を積極的に採用し、長く働いてもらうことが働き手を確保するうえで欠かせない。ところが中高年に対するエイジズムが根強く、再就職の壁になっている。
社内の年齢差別、なくす取り組み
ロレアルは現在、社内のエイジズムをなくそうと転換を試みる。その一つが「全世代のために」という社内プログラムの導入だ。このプログラムはあらゆる世代が共に働くことを促し、何歳になってもキャリアを通じて雇用される能力を高めることを主な目的としている。
プログラムを具現化した社員の一人が、クリストフ・ワトキンスさん(58)だ。正式に入社したのは54歳。「自分の子どもと同年代の25〜30歳の若者たちと一緒に仕事をすることが多い」と話す。
モバイルアプリの専門家で、以前は米国で会社を経営していた。2016年、知人を通して、コンサルタントとして仕事を引き受けた。店舗の展開やデジタル決済システムの契約などの仕事をした後、社員になった。現在は全ブランドのデジタル化と小売りの決済システムを担当する。ワトキンスさんは、自分のようなデジタルやネットに詳しい年配社員にはデジタルに関する歴史的背景を若者に教える役割があると言う。
イザベル・カニュラコステさん(60)は40歳で入社した。弁護士で入社時は雇用・労働法のリーガル・ディレクターを務めた。その後、彼女は自ら希望して別の法務や人事を担当。現在は倫理問題全般を担当する部署のディレクターで、そこに異動したのは58歳だった。「私は常に学ぶことができるポジションに就けた。何歳であろうと他のことがしたいと望めば、会社はその機会を与えてくれる。それがこの会社にとどまる理由の一つ」
このプログラムは、全世代にとって魅力的な企業となるように入社から退職までサポートするとうたう。フランスで2022年に始まり、米国や中国でも採り入れられている。「年齢が上がるにつれ、適応力がなくなる」「デジタル変革についていけない」といった年齢に関する固定観念や偏見を解消するためのeラーニングも採り入れ、退職後は同窓会を通じて会社とつながりを持つことができるとしている。
ルグランさんは「フランスのロレアルでは社員の30%が50歳以上で、ロレアルグループ全体では15%が50歳以上だ。50歳を過ぎてもなお、多くのエネルギー、意欲、可能性のある人たちが何百万人もいる。私たちにとって重要なのは、そうした人たちをできる限りサポートすることです」と話す。
フランスのロレアルでは昨年、50歳以上で入社した人は72人に上った。ただ、ロレアルは最近になって急に採用方針を変えたわけではない。1970年代から年齢問題に取り組み、今回のプログラムはそれらを時代に合わせて前進させた。
ロレアルはほかの企業にも、エイジズムへの理解と50歳以上の社員の育成や支援を促すため、出版社「バイヤール」グループが設立したシンクタンク「クルブ・ランドワ」と協力して「憲章」を作った。
憲章では、年齢に関連した固定観念と闘うことや、あらゆる年齢層の社員のスキル開発をサポートするなど10の約束を打ち出した。昨年までにアクサやエールフランス、ミシュランなど、47社が賛同して署名し、今年中に100社になる見込みだ。署名した企業内の最良の事例集を共有し、互いにいかせるようにするという。
クルブ・ランドワの創設者シビル・ルメールさんは、2035年までに欧州の人口の50%が45歳以上になると指摘し、「フランスは想定よりも早く高齢化が進んでいる。企業はいま雇用している人により長く働いてもらう必要が出てくる。より長く働き続けられるように、国や企業はあらゆる行動をとらなければならない」。
フランスでは日本のような定年制度はないが、多くの人が年金を満額受給できるようになると退職する。ところが昨年、年金受給の開始年齢を引き上げることが決まると、国民から激しい反発の声が上がった。
そうしたなかで、待遇に配慮するとはいえ、働く期間を延ばすことにもつながり得ることにベテラン社員たちは納得するのだろうか。ルメールさんは「企業がすべての利害関係者、つまり社員や労働組合との対話を維持し、高齢化する労働力に適応することが重要だ」と言う。
そして日本にも参加を呼びかける。「日仏の文化の違いはあるにせよ、急速に高齢化しているのは同じ。互いに多くのことを学べるはず」