高齢化がもたらす影響は世界の関心事だ。昨年の世界経済フォーラム(ダボス会議)は、高齢化で各国の社会保障システムが財政難に陥るリスクを指摘。日本政府も昨年9月に「人生100年時代構想会議」を立ち上げた。
かつては「めでたい」とされた長寿だが、現在ではむしろ「長生きリスク」が深刻化している。100歳まで生きるのに十分な蓄財をできる人はごく少数だろうし、体が不自由になったり認知症になったりする可能性もある。未婚化・晩婚化で子どもに頼れない人も多い。
世界的ベストセラー「ライフシフト 100年時代の人生戦略」の著者のひとり、リンダ・グラットンは、「教育・仕事・引退後」という従来のステージに代わり、再教育を受けたり転職したりを繰り返す「マルチステージ」の人生を提案する。やる気と能力に恵まれた人には可能でも、多くの人々に手が届くのか、疑問も残る。
生涯働くのが幸せ? 超高齢化の道を駆け上がるシンガポールの挑戦
日本をはるかに上回るスピードで超高齢社会への道を駆け上がっている国、シンガポールを訪れると、「政府に頼らず、働くことこそ幸せ」という「教え」が染み渡っていた。
東部地区にある大規模スーパー「NTUCフェアプライス」。入ると気付くのが、白髪やしわの目立つ店員たちの姿だ。
接客係のクウェック・レンホー(72)は、カートを押して電動スロープから降りようとした客に「気をつけて」と声をかけた。航空会社の客室乗務員などを退職し、67歳だった5年前、店の前で募集の貼り紙を見て働き始めた。1日8時間働いて「手取りは月13万円くらい」だ。「接客の経験をいかせてうれしい。息子たちの世話になりたくないし、足が動き、目が見える限り働いていきたい」
フェアプライスでは、300店舗で働く約1万人の半数が50歳以上だ。60歳以上も2割超。最高齢は「82歳の薬剤師」だ。「お年寄りは経験豊富で接客向き。高齢者雇用を率先して進めていく」という。街を歩くと、屋台街やファストフード店など、あちこちで働く高齢者を見かけた。70歳以上まで働ける企業が約2割という日本では珍しい光景だ。マクドナルドでも国内130店超で働く約9000人のうち35%が50歳以上という。
2050年、3人に1人が高齢者の現実
高齢者の就労を推し進める背景には、厳しい現実がある。2016年には12%だった65歳以上の人口は、30年には24%に倍増する予測。日本ですら22年を要したプロセスを14年で突き進み、50年には3人に1人が高齢者になるという。出生率は1.2と世界最低レベルで、積極的に進めてきた移民受け入れにも限界がある。八方ふさがりの中で国が選んだのが「働き続ける社会」だった。
首相のリー・シェンロン(65)は14年末、フェイスブックで「日本で高齢者福祉が社会の負担になり、若者が不満を持っている」という記事を紹介し、「これは教訓だ。我が国は日本のような事態にならないようにしなければならない」と国民にはっぱをかけた。
「高齢者は負担ではなく、財産になり得る。高齢化の波を『シルバー・ツナミ』ではなくて『シルバーの恩恵』ととらえるべきだ」(エイミー・コー保健省上級相)との理念のもと、元気な高齢者を「楽齢(アクティブ・エイジャー)」と名付け、就労や社会貢献を奨励。60歳を「NEW 40(新しい40歳)」と呼ぶなど「エイジレス(年を取らない)」社会を打ち出す。06年に14%だった65歳以上の就労率は16年には27%と倍増。日本の22%を追い抜いた。
50代から「心構え」訓練
就労だけではない。政府は高齢者同士の自助も後押しする。前首相が設立した「シニアボランティア機構(RSVP)」には元気な高齢者約3500人が登録し、一人暮らしの高齢者宅の訪問などをしている。今年中に、住所を登録して近所の高齢者をマッチングする携帯アプリも導入予定だ。機構会長のコー・ジュエイメン(59)は「配車サービス『ウーバー』の高齢者版」と自画自賛した。「高齢者が施設にこもるのは、死ぬ2年前からでいい」
「老後も社会に貢献する」という心構えは現役世代のうちから教え込まれる。
「Mr.リムはゴルフ旅行の計画を立て引退を心待ちにしていました。でも、やりたいことをやり終えた3カ月後のある朝、自分は『無用の老人』だと悲しみに襲われました。悲しみを和らげるためにできるのは、次のうちどれでしょう」
昨年末、政府系NGO「高齢者センター」が50~60代の人を対象に開催した講座で、講師が約20人の参加者に語りかけた。「泣く」「専門家の助けを求める」などの選択肢を示した講師は「問題を解決できるのは自分だけ。人任せにせず老後の計画を立てよう」と諭した。
「心構え」を教わるのに、3日間コースで参加費5万円とは高額だが、政府傘下の組織が8割を助成し、受講者はすでに600人を超える。看護師のアロイシャス・テイ(58)は「最期の日まで働きたいから次のステージを考えて参加した」。
「生涯働きたい」という国民の意欲の裏には、先進国基準では手薄い高齢者福祉がある。「中央積立基金(CPF)」は働き手と雇い主が毎月、収入から一定額を強制的に積み立てる制度だが、低所得なら蓄えも少なく、長生きすると目減りするなど日本の公的年金とは異なる。
国立シンガポール大学准教授のタン・レンレン(58)は「政府は困窮者向けの支援策を打ち出し始めている」と強調しつつ、付け加えた。「日本のやり方ではコストがかかりすぎる。私たちの政府は現実的だから、同じことはできない」
アメリカでは定年は「差別」
日本では2013年施行の「改正高年齢者雇用安定法」で、企業は希望する全従業員を65歳まで雇用する義務を負うようになった。定年延長の動きはあるが、低賃金での再雇用で対応する企業が多い。公務員の定年は、政府が65歳まで段階的に延長する方針で検討する。
OECD(経済協力開発機構)の統計によると、加盟35カ国の退職年齢は日本を含めて「65歳」が多く、66歳以上はノルウェーやポルトガルなど9カ国のみ(16年)。
米国のように企業が従業員の年齢だけを理由に退職を迫るのを「年齢差別」として禁じるなど、定年制を原則的に撤廃している国もある。
日本政府の100年会議、下敷きは「ライフシフト」
「人生100年時代」を見越した日本政府の取り組みは始まったばかりだ。首相が議長をつとめる「人生100年時代構想会議」が昨年12月に発表した中間報告では、技術革新に応じたスキルを身につける「学び直し」や「多様な形の高齢者雇用」など、高齢者が働き続ける社会を意識した提言が目立った。
構想の下敷きになっているのが、『ライフ・シフト』。共著者で英ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットン(62)を有識者議員に起用。中間報告も、長寿社会では「教育→仕事→引退」という一方通行から脱却し、柔軟に働き、学び続ける「マルチステージ」に移行すべきだ、とするグラットンの考え方をなぞっている。有識者議員で経団連会長の榊原定征は「生産年齢の人口が半分になろうという中で、働ける人にしっかり働いてもらう機会をつくっていく」と話した。(文中敬称略)