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「老婆は1日にしてならず」 100歳時代の生き方、綾小路きみまろさんに聞いた

People 更新日: 公開日:
ポーズを決める綾小路きみまろさん=山本和生撮影

52歳でブレークしてから15年。中高年をネタにした毒舌漫談で、アイドルの座を守り続ける漫談家の綾小路きみまろさん(67)。「100歳時代」をどう生きるべきかを大まじめに聞きに行くと、綾小路ワールドに引きずり込まれてしまいました。(聞き手・高橋友佳理、太田啓之)

「きれいだったんだと思います」

――「中高年のアイドル」と呼ばれて早15年です。毒舌でネタにされるのに、中高年の人たちは、なぜ話を聞きに来るのでしょうか。

お客さんの家庭で、今起こっていることを話しているからね。作り話ではだめなんですよ。来られるお客様は8割が女性。女性の心をえぐったような話が多いですね。みんな、心の中に不満なんかがあるんだけど、それを外に出せない。「私が言いたいことを、きみまろさんが言ってくれた!」みたいな、奥様の代弁者ですね。

それと、ほめてあげることですね。「きれいですね」「若い頃、きれいだったんでしょ」「きれいだったんだと思います」ってね。

――ほめてないじゃないですか。

愛情を込めれば、伝わるんです。中高年の人たちは、自分でも認めているんですよ。年をとったということを。老婆は1日にしてならず。80歳のおばあちゃんをこの世に1人誕生させるのに、80年かかる。80年。猫とか犬は死んじゃう。女の人は長生きなんですよ。

今の社会、お年寄りの間に貧富の差がすごくある。お金持ちは本当に一握りで、年を取っても働き続けないといけない人がほとんど。そんな人たちにも、私の漫談で少しでも笑顔になってほしいですね。

インタビューに応じる綾小路きみまろさん=山本和生撮影


――「人生80年」でも長いのに、近い将来に「100歳時代」がやって来ます。老いていくことは、元気を失ったり、親しい人を失ったりと、やはり「苦しい」のでしょうか。

だから「『オイル』マッサージしたり、「『オイル』ケア」をして自分を慰めてるの。女の人の人生はいいことが半分、悪いことが半分。いいことは若い頃、ほとんどやりつくしてしまうのかもしれない。前半は、恋愛の繰り返し。ここから先は、入退院の繰り返し。つらいですよ。

――だからこそ、笑いを必要としているんでしょうか。

みんな、腹の底から笑いたい。あまり長生きするとね、友達いなくなっちゃうからね。笑うことってそんなにないですよ。だから死ぬまでに1回ぐらいきみまろを見てみようかと。私が観光名所みたいになっている。あの人を見てきたよ、って。

目も悪く、耳も悪く、顔も悪くなってくる。あ、顔は余計ですね。それで、私と目が合ったとか、いじられたとかね。でもショーが終わった後の「出待ち」はいない。午後3時半ごろ終わったら、お父さんが家で待ってるから、スーパーの特売に行かないといけない。ポテトサラダとか買って帰るんですよ。

ショーでは1時間ちょっとしゃべりますから、去年、同じ場所で何を話したのか忘れちゃう。それで、録音したテープを聴くと、今年も同じような話をしている。でもお客さんは、同じように笑う。最近は、初めて来ている人が多いんです。毎年毎年、中高年は「養殖」されて、どんどん増える一方ですから。

山梨県内のイベントで綾小路きみまろさんと握手するために列をなす中高年の観光客=2008年

視力は落ちる、髪の毛は落ちる

――中高年を題材にブレークしてから、もう15年。きみまろさん自身も67歳になりました。

最初、ブレークした時には「一発屋だ」とか「あの人はいま」とか言われましたけれど、消えずに15年続いているんです。私も高齢化社会に乗っかって、運をつかんだというのかな。

私は若い頃、キャバレーで司会者として働いていた時に、ホステスさんについての話をしていました。それを、中高年に置き換えたら、ブレークした。全く同じ発想だったんだけど、30年もかかった。中高年は私の宝ですよ。

それでも、40代、50代で中高年をネタに漫談をやったころは「年寄りをばかにしているんじゃないか」と言われたこともあります。お客さんが60、70代で私の方が少し若かったからかな。それでもかたくなにやっていたら、自分が60になったころから、言われなくなった。

インタビューに応じる綾小路きみまろさん=山本和生撮影


――ご自身も年を取って、なにか変わりましたか。

中高年の気持ちが、より分かるようになってきた。私自身も体力、気力の衰えは甚だしいんだから。毎日調子が違うんだから。「何だこれは?」と。実際にある話だから、前より自信をもって話せるし、説得力がある。

時がたつのは早い、早すぎます。ずっとこの形で生きているんじゃないかと錯覚しているけど、もう落ちるものばっかりです。視力は落ちる、髪の毛は落ちる、体力は落ちる。歩いていてね、なんかぐらぐらする時があるんですよ。あれ、地震なのかなと思うと、揺れているのは自分なのね。もう「おい、大丈夫か」って言っていくしかないでしょ。

――100歳まで生きる人が増えてくる時代になりました。どのように年を重ねていきたいですか。

タレントは元気じゃないといけない。夢があって元気をあげられないといけない。だから、よろよろ舞台に出てきて、お客さんに「頑張ってね」って言われるようになったら、やめた方がいい。それでフェードアウトしていく。「最近出てないけど、どうしたの? なんか死んだらしいよ」みたいにね。谷間に咲いている野菊のように、可憐に咲いて静かに消えていく。美しいじゃない。


100歳まで生きている人を尊敬しますよ。100歳の人をインタビューするような番組をやりたいね。100歳を見て「あぁ、すごい」とか、でも顔を見て「あぁ、あそこまでは生きたくない」とか。心の中で自問自答してね。でも、人間には、そういう人から「命を分けてもらいたい」みたいな欲もあるわけね。

車に乗って突っ込まないように

インタビューに応じる綾小路きみまろさん=山本和生撮影



――お客さんは、きみまろさんに自分を重ねているところもあるのでは。

同じ頃に学校に行って、がんばって子育てして、子育てが終わって、孫ができてという世代だから、共通するものがあるんじゃないですか。あの人が67でがんばっているから、私も明日からがんばれる、みたいな。私も年上のタケシさんとかタモリさんが活躍しているのを見ていて、おれも負けてはいられない、がんばろうと思えますから。

この前、黒柳徹子さんの番組に出たのですが、84歳になって、あれだけの本数の収録をしているというのは、本当にすごい。番組の中で私が「あと3年は続けたい」と言ったら、「何言ってるんですか、もっとできるでしょ」ってあきれられてね。黒柳さんは、なんであんなにお元気なんでしょうね。

――最近は、30代、40代のお客さんも増えてきたとか。
自分のお母さんやおばあちゃんがあまりにも笑っているんで、何なんだろうと興味を持つのかな。それとも、よっぽど行くところがないのか。若い人にとって私は「おばあちゃん、お母さんを笑わせてくれるおじさん芸人」みたいなくくりになってるの。お母さんの誕生日に漫談CDをプレゼントしたとか、寝たきりのおじいちゃんにテープを聴かしたら元気になったとか、そういう話や手紙がいっぱいきます。


――中高年に何かアドバイスは。
よく聞かれるんだけど、すごく難しい。体に気を付けて。もう、健康しかないの。命の尊さは、「元気」であることなの。病気するなというのは難しいでしょう。病気で死んでいくんだから。あとは、車に乗って突っ込まないように。

――お金よりも健康ですか。
うん。でも健康を維持するのにはお金がかかる。難しいね、世の中。



あやのこうじ・きみまろ
1950年鹿児島生まれ。司会者を目指し上京。キャバレーの司会者、演歌歌手の専属司会者をへて、2002年、自作した漫談テープがきっかけとなり中高年を題材とした毒舌漫談CDを発売。直後からブレークした。これまで、漫談CDやDVDなどを計520万枚売り、年間、全国約100カ所で公演を開催している。著書に『しょせん幸せなんて、自己申告。』(朝日新聞出版)など。