記者は今回、シンガポールのあちこちのホーカーズに足を運んだ。ホーカーズにはずらりと小さな店(ホーカー)が並ぶ。客はそれぞれ好みの店で料理を買い、中央のテーブルで食事をする「フードコート」形式だ。食べ終わった後の食器は、清掃員が後片付けをしてくれるところが多い。チャイナタウンにあるマックスウェル・フードセンターでは、その仕事を担う高齢者の姿が目立った。仕事の邪魔にならないよう、話を聞いた。
家にいたら退屈だから
客が残した皿をせっせと片付けていた男性の清掃員チューさん(72)。1日8時間、週6日働き、月給は1160シンガポールドル(10万円弱)。建設作業員として約20年、警備員として6年働き、リタイア後、半年前からここに来たという。会社勤めでなかったため、強制的に給料から積み立てられる中央積立基金(CPF)の蓄えはない。だが一人息子は成人し、妻も売店で働いているため生活に不安はないという。「ここに来れば、同じ清掃員の仲間と話すことができて楽しい」
背中の曲がった女性清掃員はタンさん(76)。昨年、「優秀な清掃員」として表彰されたという。午前7時に仕事を始め、午後3時半に終える。1年間で休んだのは2日だけだ。40年間、会社の清掃員として働き、その後、ホーカーズの清掃員を1年以上続けている。2人の子どもを育て上げ、すでに4人の孫がいる。夫は3年前に亡くした。「子どもに迷惑をかけたくないし、家にいたら退屈してしまう」と、こちらも仕事を楽しんでいるようだった。
一方で、「楽しい」ばかりではない現実も伝わってきた。ひときわ背中が曲がり、いすに腰掛けて休んでいる時間が長い清掃員の男性がいた。声をかけると、しきりに手を振り、取材を拒んだ。聞くと、「歯がないから話せない」ということらしい。それでも、男性は午前中から午後まで、長い時間働いていた。
トイレ清掃員も高齢者
ホーカーズにはトイレが併設されていることが多く、訪れたホーカーズのいくつかでは、トイレの前にも働くお年寄りがいた。
東部カトン地区にあるホーカーズに赴くと、ペクさん(仮名、79)がトイレの清掃や使用料の徴収などをしていた。5カ月前から1日8時間働き、月給は800ドル(7万円弱)。若い頃は肉体労働に従事していたが、蓄えは少ない。息子が3人おり、まだ末息子が同居する。息子の世話も含め生活資金が必要で、「働ける限り、続けたい」。この月給は生活するために「十分だ」という。
両腕に入れ墨をしたリーさん(仮名、72)はチャイナタウンにある別のホーカーズのトイレの前にいた。毎日、正午から午後4時までトイレ清掃の仕事をする。午前中に同じ場所で働く友人から午後の時間の勤務を分けてもらい、月給は300ドル(約2万5千円)。友人宅に住むため、この金額でも生活ができるという。30年近く、れんが工場で働き、他の仕事にも就いたが、10年ほど前からこの仕事をしている。妻は亡くなり、子どもたちも独立した。働く理由を聞くと、「生活に必要なお金が足りない」「家にいてもやることがない」。「いつまで働きたいか?」と聞くと、「働ける限り」と即答。将来に不安はないのか尋ねると「政府が何とかしてくれる。次の日のことは考えるけど、その先を考えたってしょうがない」と話した。
「パイオニア世代」限られる仕事
1965年に建国され、急速な勢いで経済発展したシンガポール社会において、高齢者は「パイオニア世代」と呼ばれ一定の敬意を払われているものの、マージナルな位置に取り残されていると言われる。イギリスの植民地下におかれ、第2次世界大戦中は日本の占領下にあったシンガポールでは、戦後も分離独立運動が続き、この時期に幼少期、青年期を過ごした「パイオニア世代」は十分な教育を受ける機会を失った。多くの高齢者の教育程度は中等教育未満で、学歴が重視されるシンガポール社会では、清掃員など就ける仕事が限られてしまうのだ。
高齢者の多くは中国からの移民。公用語である英語や中国語の標準語を理解できず、地方方言のみを話す人も多い。今回の取材でも、福建方言で話す高齢者が多く、通訳をしてくれたスタッフが苦労していた。
話を聞いた範囲で、高齢者たちが働く主な理由は「お金」と「家にいるより楽しい」からだった。必要に駆られて仕事をしているのだろうが、当初の思惑に反して、彼らは働くことを苦にしている様子ではなかった。客があまりいない時間帯は、いすに腰掛け、店の人とおしゃべりをしたり、コーヒーを飲んだり。混んでくれば片付けを始めるが、急かしたり、態度をとがめたりする人がいるわけでもなく、自分たちのペースでのんびりと働いていた。利用客が食器を自分で片付ければ、この仕事はなくなってしまうが、あえて仕事をつくり、それに高齢者が従事する。そのワーク・シェアリングが可能なのは、社会にある程度の「寛容さ」があるからであろう。高齢者がここまで自立して生計をたてようとする姿は、実際目にして衝撃的であったが、日本でも近い将来、このような光景を見るようになるかもしれないと思った。