2010年、袋に入れられた胎児2002人の遺体がバンコクの寺院で見つかった。後にクリニックで違法に中絶された胎児を寺院の職員が引き受け、報酬を得ていたことがわかった。当時、未成年の中絶は違法で、多くの少女たちが隠れて中絶していた。この事件が政府や関係者を本気にさせた。
2016年、「青少年の妊娠問題の予防及び解決に関する法律」が制定され、全ての学校に性教育の実施と、妊娠で学業を中断させないためのサービスの提供を義務づけた。その結果、15~19歳の人口1000人あたりの出生率は、2012年の53.4から2022年には21.2に激減した。
タイ全土の小中高9割近くの教員が受講
3月下旬、ラオスとの国境にあるチェンライのホテルで、性教育の教員研修が開かれた。参加したのはチェンライ県の公立学校2校の教員約30人だ。
オレンジ色と緑色のカードが、1枚ずつ配られた。「初めての恋人」「避妊具を使った」「性欲が落ちる」「最初の性交」……などと書かれている。
床には0歳、5歳、10歳……と5歳ごとに年齢を示す札が並べられている。教員たちは1人ずつ手元のカードを読み上げながら、そのできごとが起こると思う年齢の位置に置いていった。
「気づいたことは、ありませんか」
講師のジラダー・トンタイさん(44)が問いかけた。タイの教育省と連携して性教育研修を開発したNGO「path2health foundation」(p2h)のコーディネーターだ。
「10歳から20歳に集中していますね。みなさんが教えている子どもたちの年齢です。このようなできごとが起きる前に教える必要があるということです」
「女性が処女なら最初の性交で出血があるはずだ」など、思い込みがあるかどうかを考えさせるゲーム、「娘がコンドームをもっていること」を「認める」「認めない」に分かれて意見を述べ合うゲームもした。
参加したチェンコーン郡の小中学校の保健体育教師モントリー・アンマレートさん(39)は、「オンライン研修と違い、他の先生の反応や異なる意見が共有できるのがいい」と話す。学校の性教育のリーダーとして、妊娠した13歳の女子生徒を受け持ち、学業を継続できるように支援したこともあるという。
タイの性教育は内容が多岐にわたる。教育省によると、2008年のコアカリキュラムで、保健体育の学習内容5領域のうち、スポーツ関連を除く4領域で、性に関する内容を盛り込んだ。
たとえば、小学1年生は女の子と男の子の違いを学び、3年生で性被害に遭わない方法を学ぶ。6年生では、性交による性感染症や妊娠のリスクを学ぶ。生殖の仕組みは、小学1年から理科の中で教えている。とはいえ、実際の学習内容は学校の裁量が大きく、性教育で何を教えるかは教員の力量にかかっている。
法律の制定後、教育省は各校最低1人の教員は研修を受講できるように、オンラインの教員研修プログラムを開発。今では、研修の大半は、オンラインで行われている。全国で約2万9000ある小中高校のうち、2万5000校の約7万人が研修を受講したという。
望まない性行為を求められたら?交渉術も議論
チェンライの中心部から約60キロ離れたパーンピタヤコム学校は、中高校生約1800人が通い、130人の教員がいる。p2hの支援で性教育を始めて3年で、模範的な学校の一つになった。
保健体育教師ピッサマイ・ワンチンさん(55)は、生徒を4人ずつのグループに分けて議論させる。望まない性行為を求められたときにどうふるまうか、交渉術などをテーマにする。ピッサマイさんは「性は子どもたちにとって興味のあるトピックなので、子どもたちは真剣に取り組んでいる。教員が教え込むのではなく、子どもが自分で考えて絵本にすることで記憶として定着します」と話す。
妊娠や性感染症の予防のため、性交のプロセスを説明しながら、コンドームの付け方も実践する。
生徒たちには好評だ。中学1年のスッチャヤー・タンバラさん(13)は「性教育の授業はグループ活動が多く、違う意見の人がいても受け入れること、自分自身を守ることを学べるから楽しい」と話す。この学校では、妊娠した生徒が自宅で休養する場合には、オンライン授業を提供している。
生徒自身も指導役に、SNSで情報発信
15歳から20歳が通うチェンライ・テクニカル・カレッジでは、生徒自身が「性教育リーダー」を務める。ジャカパット・ウォンピブンさん(16)は「性のことで先生に相談に行けない友達を助けたいと思ってリーダーに立候補した」と話す。コンドームを学校で配布したり、SNSで性の情報を発信したりしている。
性は隠すべきものだという風潮の強いアジアで、なぜタイは性教育を義務化できたのか。
性教育協会のジッティマ・パヌテチャさんによると、一部の政党は子どもの性行為を罰する法律を準備した。危機感を抱いたNGOや研究者らが保健省と協力し、英国をモデルに子どもの性の権利を明記した法案を国会に提出した。ジッティマさんは「子どもの妊娠が問題だと共有されていたため、強い反対はなかった」と話す。