――なぜ16歳で米国留学を決めたのですか。
高校では友達も多く、学校生活を楽しんでいたんですが、ある時ふと、「このまま高3になったら受験をして、そこそこの大学に入って、サラリーマンになるんだろうな……」と自分の将来が見えてしまったんです。自由で活気あるアメリカの教育のイメージに憧れもあったと思います。実際に米国に行って、生まれて初めて自分が「学んでいる」と感じました。用意された答えではなく、生徒一人ひとりの真実と向き合う素晴らしい先生に出会い、毎晩のように先生から返された作文を書き直しながら「今まで自分が受けてきた日本の教育はなんだったんだろう」と考えるようになり、日本の教育について疑問を持つようになりました。だから米国で大学院に進学し教育学を学び、日本の教育現場に立とうと考えて帰国しました。
――米国で修士課程を出て中学の先生というのは、珍しいのでは?
その言葉にこそ、いまの教育の問題点が凝縮されているんですよ。中学校の同僚にも同じ質問されたことがあります。「どうしてアメリカで大学院にまで行ったのなら、ほかにもっと良い仕事があるじゃないか」というようなことでしょう。それだけ日本では教員の地位が低い。教員の社会的地位を上げないことには真の教育改革はあり得ないと思います。
学校が格差を広げている現実
――千葉での教員生活はどうでしたか。アメリカでの経験を生かせましたか。
日本では米国で取得した教育学の単位は認められず、通信教育で2年半かけてやっと教員免許を取りました。6年半の間、千葉県の公立中学で英語教師として勤めましたが、教師としての仕事に魅力にはまる一方で、「どうして日本では教育改革が進まないんだろう」という思いも高まりました。当時はちょうどアメリカでは公設民営のチャータースクールや学校選択制など、大胆な改革が進んでいました。閉塞感の漂う日本の教育に身を置いていると、アメリカの市場選択的な教育に希望や憧れを抱きました。ですが、コロンビア大学教育大学院の博士課程で実際にアメリカの教育改革について勉強し始めると「負」の部分が見えてきました。市場原理だけに従った大規模な学校閉鎖とそれに伴う教員の一斉解雇とたらい回しにされる子どもたち、小中学校の学力テストによる序列化、塾のような公設民営学校の登場……。アメリカの学校が「格差拡大の社会的装置」となってしまっているのを前に、公教育とは、民主主義とは何なのかと考えました。
――2人のお子さんも現地の学校に通ったそうですが、親としてどんな課題に直面しましたか。
ニューヨークはすでに「学校選択制」が導入されていて、娘の入学する小学校について20まで希望校を書くことができたのですが、うちはあえて選ばないことを選択し、その結果、人気のない貧困地域にある小学校に入ることになりました。周囲の日本人家庭では、希望の学校に入れるために1年間ボランティアをしている人もいましたし、妻も心配をしていました。もちろん親として、子どもにいい教育を与えたくない人はいないでしょうが、実際は住む地域や財力によって、選べる人と、選べない人が出ているのが現実です。選べる人が選び続けていたら、公教育なんてよくなるはずがないと思ったのです。
娘たちが通った公立学校は、大半がヒスパニックやアフリカ系の子どもたちで、貧困家庭出身の子たちが8割以上という状況でした。人気が落ちて児童数が減った結果、大学付属中高一貫校と、人気のチャータースクールが同じ建物内に同居。体育も音楽も専任教員がいないため、体育館や音楽室も使えず、教室などを使って代用していました。ランチルームも他の学校とシェアするんですが、人数が少ないためにほかの2校が優先になり「そちらの学校のランチは午前9時半からにしてくれ」と言われたこともありました。アメリカでは、予算不足を補うために廊下や食堂にゲーム機の宣伝や広告がずらりと並ぶ小学校もあり、「公」の概念はすでに揺らいでいました。
チャータースクールの激しい競争
――チャータースクールに通わせようとは思わなかったのですか。
ニューヨークで見ていると、チャータースクールの分布図はファストフード店と同じなんです。貧しい地域にはあらゆるファストフード店が軒をつらね、チャータースクールの広告プレートがあらゆるところに貼られています。各学校は学校選択制のなかで生存をかけて競争しています。学力標準テストで学校の人気が決まるため、スパルタ式の塾のようなチャータースクールが激増。100人以上の子どもを一斉にパソコンに向かわせ、監視員だけを置いておくというような究極の低コスト・合理化を追求し、経営者が莫大な給料をもらっている学校すら存在します。これでも「公教育」の枠組みの中で行われているのですから、何をもって「公」そして「教育」と呼ぶのか、もはやわかりません。
当時はオバマ政権。オバマは社会政策はリベラルでも、経済や教育政策については新自由主義的です。自分自身が競争を勝ち抜いてきたためかもしれませんが、教育も「勝ち組、負け組」の競争原理で改革できると信じています。チャータースクールが黒人に人気なのは確かで、「勝ち組になりたい」というモチベーションを与えています。しかし、それが「負け組の中の勝ち組」を目指す構図であることを、ほとんどの黒人が気づいていません。
もちろん良質な教育をし、成果を出している学校もあると思います。チャータースクールのアイデアが出始めたころは確かに、良心的な教育者たちが、自分たちの理想の学校をつくろうという思いに満ちあふれていました。ただ、その理想は、教育の市場化という社会の土壌にのみ込まれていったように思います。
顔の見える関係の中で教育の今後を考える
――今年4月に、高知県土佐町議になりました。なぜ高知なのですか。
教育で本気で変わろうと思っている自治体に行って、もう一度日本の教育を考えたいと思っていたのですが、3・11の復興支援活動を通じて仲良くなった友人から、土佐町が教育を通して地域おこしをしようとしていると聞いて、決めました。毎日が面白いことばっかりです。たとえば、外出して戻ってきたら、玄関に取れたて野菜の差し入れが置いてあったり。冷蔵庫に身に覚えのない寒ブリが入っていたこともあります。土佐町には、小学校1つに中学校1つ、1学年あたり25人くらいなので、小学校は全校で約150人、中学校で75人くらいです。少ないですよね。でも、そんな顔の見える関係性の中で、一人ひとりの良さや課題を見極め支援できるというのはすごく魅力的だと思います。
――イエナプランなど多様な教育を公立校に取り入れる動きについてどう思いますか。
多様な教育を柔軟に導入していく取り組み自体はよいことだと思いますが、今日の格差社会において部分的に導入しているうちは、結局は富裕層のためのオルタナティブになってしまう可能性が高いのではないでしょうか。教育は社会の写し鏡なので、多様な学校をつくったところで、社会における「成功」の物差しが一つであれば、結局のところ格付けされ、勝ち組・負け組をつくるためのテクノロジーとなってしまう懸念があります。結局のところ、一人ひとりが「私の子ども」という観点から「私たちの子どもたち」という観点に切り替えないと、公教育も、社会も、よくはならないということに気づかないといけないと思います。
すずき・だいゆう 1999年スタンフォード大大学院修了。2002年から千葉市の公立中学で英語教師として6年半勤務。2008年に再渡米し、フルブライト奨学生としてコロンビア大学教育大学院博士課程へ。現高知県土佐町議。著書に『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)
■特集「変われ!学校」で取材した世界の専門家のインタビューシリーズはこれで終わります。