――韓国は日本以上の受験勉強の大変さや学習塾の発達で知られています。そんななかで受験勉強とは違う全人教育などを理念にする「代案学校」が増えていったのには、どんな社会的背景があるのでしょうか。
韓国の代案学校の広がりには三つの流れがあります。1980年代の民主化運動にかかわった世代が、画一的で抑圧的な教育を民主的で多様化された形へと変えようとする動きから、代案学校は始まりました。そこに、学校から退学処分にあったり、行かなくなったりして街に放り出された貧困層の子どもたちを、無料に近い最小限の学費で受け入れるという都市型の代案学校の動きが加わりました。最後の流れが、日本でいう「不登校」の増加です。いじめや心理的な苦痛などにより、学校に行くことを拒否して代案学校を訪れる子どもたちの割合が最近では特に増えています。
――日本ではオルタナティブスクールやフリースクールを義務教育として認めるか、という議論があります。代案学校と公教育の関係はどのようになっているのでしょうか。
代案教育を公教育のなかに組み込んでいこうという動きは、90年代からありました。まず、公教育の中に普通とは違う「特性」を持つ学校として認める法律ができ、最初の代案学校の「ガンジー高校」などが「特性化学校」として認められました。さらに、認可されれば卒業資格などを認める制度もできました。代案教育を制度的な枠組みの中に取り込んだという意義はあるのですが、その過程で自治体と学校が財政支援をめぐって対立したり、学校が二つにわかれたりすることにもなったので、当事者たちは制度化の動きを、志を実現するための「障害物」ととらえるようになりました。
教育部(文科省)が管理を目的にした登録制度を進めようとして、現場の強力な反発にあったこともありました。いま国会に提出されている法律は、管理よりも「救済」に主眼を置き、保護者の負担軽減などに重きを置いているため、大きな批判は起きていません。公教育に子どもを通わせている父母たちと同じく納税しているから、国から一定部分の教育費を支援される権利はあるとは、私も思います。ただ、いくら制度をつくっても、いまの公教育を完璧なものとして、それ以外のものを「例外として許容する」ことに軸足があることに変わりはありません。私は公教育の問題点を認めて、教育の新しい発想を受け入れなければ、どんな試みも成功しないと考えています。
――ソウル市が最近、市内の未認可の代案学校の運営費を補助する独自の制度を発表したと聞いています。
これまで公教育の外にいる子どもたちは、教育部からも、自治体からも見放されていました。そこに、自治体の中でも最も大きいソウル市が前向きな措置を取るというのは、非常に肯定的にとらえています。それでも、依然として「学校」という所は「特定時期の年齢層の人々の学業を独占する機関」として強力な地位と権力を持っており、教育部はこの問題について「学校へ戻りなさい」というメッセージ以外に、いかなる流れも作り出せずにいます。
究極的には、教育が「学校」という制度を超えて、「ゆりかごから墓場まで」生涯学習することができる社会、自身が一生のどの時点においても希望する学びを求めることができるような体制となるべきだと思います。ソウル市の取り組みが「正規のトラックから離脱したマイノリティーに対する福祉的な支援」ではなく、新しい教育のパラダイムへの大きなロードマップの上に位置づけられればと願います。
――代案学校が増えていくことで、社会はどのように変わっていくのでしょうか。
代案学校が公教育の制度の中に入っていくなかで、学校が「教育」を独占している今の状況に大きな亀裂が走ることは間違いはないと思います。一方で、私はこの亀裂が、むしろエリート教育を強化する方向に働いてしまうことを危惧してもいます。どうすれば多様な教育をもっと公共性や透明性が高いかたちで提供できるのか。しっかりした『代案』を示す学校でなければ、むしろ資本の波にのまれてしまう。そんな懸念もしています。(協力・金載協)
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