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「同じ中身を同じ学年で」は時代に合わない 「学級」を変えれば教育は変わる 

Learning
熊本大准教授の苫野一徳さん=市川美亜子撮影

■ベルトコンベヤーを機能させるための「みんな仲良く」

「学級」は公教育制度が始まった約150年前、富国強兵や殖産興業のために、大量の子どもたちに大量の知識・技能を一気に学ばせる必要からつくられたものです。「みんなに同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、できあいの問いと答えを一斉に勉強させる」。この大量生産型・ベルトコンベヤー式の教育が、近代化・産業化の過程で日本に限らず、ほぼすべての近代国家で採用されたのは、「最も効率がいいから」にほかなりません。特に日本では、このベルトコンベヤー式が発展する過程で、まとまりやすさを追求するなかで「みんな仲良く」「家族のようになろう」と感情共同体のようになっていったのです。

 ベルトコンベヤー式なのですから、教室の中に多様な子どもたちが入り交じっていたら、当然うまく機能しなくなってしまいます。だからこそ、子どもたちは生存本能として、人と違うことをするのを恐れるようになり、その環境のなかでサバイバルするために、異質な存在を排除する力学を生み出していきます。もともと同年齢なだけに同調圧力は働きやすく、ちょっとした違いが目立ってしまう。それがいじめの温床になるのは言うまでもないですが、多くの子どもたちが、人と違うことを恐れ、空気を読み合うことを強いられる学級生活を送りつつ成長していくのも、大きな問題です。

 さらに、同じペースで勉強していれば、ちょっとしたきっかけで一度つまずいてしまうと、そのまま取り残されて「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてしまうことになります。もう一方では、すでに分かっていることを何度も繰り返させられて、勉強が嫌いになってしまう「ふきこぼれ」の子も生みます。一斉授業が中心の教室には、授業についていけずにつらそうな子と同じくらい、すでに分かっていてつまらなそうにしている子どもたちがいるものです。

■私は「便所飯のパイオニア」

私も小さなころから、学校にはあまりなじめませんでした。哲学的な少年だったので「なんで生まれてきたのだろう」なんて友達に話しかけて、「なに言っているの? キモい」「キショい」と言われることもありました。今でも、その言葉を聞くと、ぞくっとするくらいです。友達がいないのを周囲に知られたくなくて、便所飯もしていました。「便所飯のパイオニア」と自称しているんですけどね。かと思えば、学校改革をするんだと生徒会長になったこともありましたが、学校での生きづらさを解消するために、いつもあがいていました。

 教育学を専攻する大学生になったころに、ふと小さなころのことを思い出しました。小学校に入る前、近くに住んでいたドイツ人やアルゼンチン人の友達がいました。年齢も言葉も、文化も違ったけど、違うのが当たり前で、とても居心地がよかったのです。でも、その友達が日本の小学校に入ると、いじめにあい、ドイツ人学校に転校してしまった。とても悲しかったです。「なんで、みんなが同じじゃないといけないのだろうか?」という当時抱いた疑問が大学生になった私の頭に再び浮かんで来て、当たり前のように思われている「学年学級制」に疑問を持つようになりました。

研究者になってからも、「人と違う」がゆえに学校になじめず、そのうち不登校になってしまった子どもたちと、たくさん出会ってきました。熊本大学の私のゼミには、不登校の中学生や高校生なども参加しています。彼らは学校を一歩出れば本当に生き生きしているんです。大学生とともに堂々と議論に参加して自分の意見を言ったり、キャンパスの中で大学生の友だちを作ったりしています。多様な人たちがいて、自由に出入りできる場所は、同質の閉じ込められた空間よりも、ずっと居心地がいいのでしょう。大学を不登校の子の居場所にしようとする動きもありますが、とてもいいことだなと思います。 

熊本大准教授の苫野一徳さん=市川美亜子撮影

いまの社会では、きょうだいも少なく、若者には年の離れた子どもと触れ合う経験があまりない。障害を持った人や高齢者などと交流している若者も、多くはないと思います。現実の社会では、多様で異質な人たちが、その違いを認め合いながら、いかに共生していけるかを考えていかなければならない。公教育の目的は市民社会の担い手を育てることなのに、その子どもたちが学級のなかで、異質な他者と出会う機会さえ与えられず、むしろ異質な人を排除せざるをえない環境の中にぶち込まれているのは、大きな問題です。 

■ごちゃまぜのラーニングセンター

だから私は将来の学校の姿が、幼児から、小・中学生、高校生、大学生、地域の人やお年寄り、障害者や外国人まで、とにかく多様な人が当たり前のように集い合う「ごちゃまぜのラーニングセンター」になったらいいと思っています。また、例えば小学5年生で高校1年生の数学をやっていてもいいし、その子が小学3年生の漢字を習っていてもいい。「飛び級」や「落第」というのではなく、学びが個別化していけば、そういう概念そのものがなくなっていくでしょう。地域の課題を解決するプロジェクトなどを、さまざまな年齢の子たちがチームを組み、自分なりの答えを出していくような学びもあってほしい。学年学級制を解体したり再構築したりすれば、非常にダイナミックな学びの環境をつくることが可能になるのです。

閉鎖的な空間で「家族のような」親しさを無理やり求められる集団ではなくて、必要な時に必要な人とつながりあえて、自由に出入りできる集団です。いまはオンライン教育やEdTechEducationTechnologyの合成語)も発達しているわけで、何でもかんでもみんなで一緒の必要はありません。必要に応じて、EdTechも活用して一人で学んだり、人の力を借りたり、人に力を貸したりと、様々なツールや学びの機会を「ブレンド」していけばいいのです。

そんなことできるわけがない、と言われるかもしれません。私も5年ほど前までは、学年学級制の見直しや再構築は時期尚早かなと思っていたのですが、さまざまな教育現場を歩くなかで、「できるのではないか」と考えるようになりました。一つ目の理由は、「みんなで同じことを、同じペースで」の学びが、今や時代に合わなくなっていることに、文部科学省も学校現場も教師も、多くの人たちがようやく気付き始めているからです。また、「自分たちなりの問いを立て、自分たちなりの方法で、自分たちなりの答えにたどり着く」、そんな「探究(プロジェクト)」が、今後確実にカリキュラムの中心になっていきます。それなら、その探究が学年ごちゃまぜや、あるいは小学生と中学生と高齢者が交ざり合ったたチームで行われるなんていうことだってあっていいでしょう。

 

二つ目の理由は、少子化や過疎化です。特に地方では小規模校や学校統廃合が大きな問題になっていますが、これは学校が変わる大きなきっかけにできるのではないかと思います。過疎地域では複式学級が急速に増えているのですが、これは見方を変えれば、多様性の「ごちゃまぜ」が実現しやすい環境なのです。また、統廃合の危機にある学校も増えていますが、ただ廃校にするのではなく、地域の人たちの生涯学習の場や、外国人や障害者らさまざまな人が集い学び合う場にしていくこともできるのではないでしょうか。

確かに、壁はいくつもあるでしょう。いま日本で教員になるのは、楽しく学校生活を送り、学校に順応してきた人が多い。「皆で同じことをするのが当たり前」と思っている人も少なくありません。そんな教育界の文化や慣習を変えていくのは、なかなか難しいだろうと思います。それでも今、私が勤める熊本大学でも、教員養成の抜本改革を目指して若い世代を中心に議論が始まっています。

いま、私は仲間たちとともに長野県軽井沢町で、2020年度開設をめざして幼・小・中「混在」の学校「軽井沢風越学園」の設立準備をしています。文字通り「ごちゃまぜのラーニングセンター」になると思っています。1日の区切りに子どもたちが集まるホームベースのような場はあるけれど、同年齢からなる「学級」はない。ひとりで自分の関心のあることを集中して学ぶことがあっていいし、年上の子と年下の子が一緒にひとつのテーマを追いかけていてもいい。ふと見たら、ずっと年上のお兄ちゃんが幼児に読み聞かせをしているような、そんな光景が生まれるといいなと思っています。 

来春開校予定の軽井沢風越学園=軽井沢風越学園設立準備財団提供

今はひとつの私立の学校の試みですが、こんな学校の姿が、だんだん広がっていけばいいと思っています。「日本の学校でも、こんなことができるんだ」という実例を少しずつ積み上げていくことが、着実に未来の学校の姿を変えていくと思います。

 

とまの・いっとく 1980年兵庫県生まれ。熊本大学教育学部准教授。哲学者、教育学者。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)など。最新刊は『愛』(講談社現代新書)。軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。

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