ボスクレセンスキー氏らは極東ウラジオストクの空港で北朝鮮国営の高麗航空に搭乗し、平壌に向かった。動画の冒頭から約10分後の映像には、ウラジオストク空港で自分の荷物をより分け、パッキングし直す姿が出てくる。「北朝鮮は持ち込む荷物のリストを要求する。望遠レンズなどは許可されない」という。
入国前から気を引き締めないと、北朝鮮では身の破滅を招くことがある。
韓国系米国人のケネス・ベー氏は2012年11月、北朝鮮に入国する際、北朝鮮人権問題を扱った西側のドキュメンタリー番組のビデオを誤って持参。北朝鮮当局に拘束され、国家転覆陰謀在で15年の労働教化刑を宣告された。ボスクレセンスキー氏は解説する。「北朝鮮では2015年以降、外国音楽に対する規制が厳格化された。韓国のコンテンツは所持しただけで懲役刑だ」
映像が19分を過ぎたころ、移動するバスの中で、北朝鮮のガイドが注意事項を説明する声が流れる。
「軍の検問所は撮影禁止です。軍人や汚れた作業服を着た人も撮影禁止」「ホテルを出て散策したい場合は、ガイドと一緒の場合だけに限られます」「肖像画が描かれた新聞や雑誌は傷つけないように気をつけてください」
2000年代初め、北朝鮮東部の新浦(シンポ)で軽水炉建設作業に従事していた中央アジアの従業員が金正日総書記の顔写真が写った労働新聞をゴミ箱に捨てた。北朝鮮の掃除係が見つけて大騒ぎになった。1990年代には訪朝した欧州の外交官が、靴が型崩れしないよう、やはり肖像写真入りの労働新聞を靴に詰め込んで、騒動を起こした。
ガイドは強調する。「ゴミ箱に捨てるのは、絶対だめです」。北朝鮮では労働新聞は読後、当局が回収する。指導者の顔写真がよく掲載される1面を破ったり、汚したりするのはご法度だ。
バスは午後5時の平壌を走るが、ほとんど車の姿が見えない。ガイドは「我が国には自家用車は存在しない」と説明する。北朝鮮では車の運転手は一定のエリートだという扱いを受ける。一般市民の姿もほとんどなかった。たまたま小さな子供を散歩させていた年配の女性を見つけた観光団の一人がチョコレートをあげようとすると、女性たちは走って逃げたという。
ボスクレセンスキー氏は「美しい街並みを見せている。人工的で非現実的。一種の演出だ」と語るが、この指摘は正しい。平壌では大通り沿いで、洗濯物を干すことを禁じられている。
23分ごろの映像では、観光団は、金日成主席と金正日総書記の銅像が立つ万寿台の丘を訪れる。ガイドは「トラブルを起こしたくないので、私たちの親愛なる指導者を軽く扱わないでください」と頼み、銅像と一緒に写真を撮る際はきちんとまっすぐ立つよう指示した。ボスクレセンスキー氏らはお辞儀と献花を要求されたという。
31分ごろの映像は、金日成広場の前に来ると、自転車を降りて歩く人々の姿を紹介している。広場の端に人が経ち、自転車に乗って近づいてくる人々に何事か注意を与えている。ボスクレセンスキー氏は「これも指導者に対する賛辞の表れの一つだろう」と推測する。
彼らは宿舎の羊角島ホテルにチェックインした。ペットボトルの水は1本20セント(約30円)、レストランの支払いもドル、引き裂かれた自由の女神の絵を描いた絵はがきの支払いもドルだったという。
金正恩総書記が主導して2012年末に北朝鮮南東部に開場した江原道(カンウォンド)の馬息嶺スキー場。120室あるホテル、スキー場の最大標高差は約1000メートルで、難易度が異なる9種類のゲレンデがあった。そこでは、いつも大音量で政治的なプロパガンダ音楽が流れるなか、同じ服装の少年少女がスキーをしていた。ボスクレセンスキーらの団体以外、観光客とおぼしき人は誰もいなかった。
ボスクレセンスキー氏はスキー場のホテル内の理髪店で散髪した。散髪代は10ドル(約1500円)。壁には、北朝鮮ではよく見かける12種類の髪形の絵がかかっていた。北朝鮮では男性は短髪が理想とされ、決められたスタイル以外は認められない。染色も禁じられている。
ボスクレセンスキー氏は理髪師にチップを払おうとしたが、受け取ってもらえなかった。部屋のベッドメイキングの際、ベッドに1ドル札を置いたが、そのままだった。
北朝鮮はチップどころか、賄賂が日常茶飯事になっている。ただ、外国人の訪問者は注目されている。チップを受け取ることが、「いらぬ誤解」を招く危険な行為だと北朝鮮の人々は知っている。知り合いの韓国政府関係者は訪朝した際、時々10ドルや20ドル札を小さく折りたたみ、相手と握手する際にさりげなく渡していたという。
お土産品は「プロパガンダでいっぱいだった」(同氏)。
主体思想について説明した小冊子、絵はがきは反米メッセージのほか、植樹を呼び掛けるものなど、すべて政治的なメッセージに彩られていた。ボスクレセンスキー氏は部屋から雑誌を持ち出したところ、後で呼び止められたという。彼は、北朝鮮の政治ポスターを持ち去ろうとして逮捕され、死亡した米国人のオットー・ワームビア氏のことが頭をよぎったが、雑誌代8ドル(約1200円)を請求されただけで済んだという。
空港では8歳の息子のため、デンマークのレゴブロックにそっくりの箱に入った玩具をみつけたが、「どういうわけか、すべて軍事に関係するものだった」という。戦車、自走砲、対空ミサイルなどのなか、「唯一平和的な」宇宙ロケットを選んだという。
ボスクレセンスキー氏は北朝鮮を出発する前夜、北朝鮮の当局者から「規則に従わずに撮影したものはすべて削除するように」という警告を受けたという。記録媒体のディスクを分散するなど警戒したが、結局空港では検査されなかったという。
ボスクレセンスキー氏は「いつか、レンタカーで各地の街を訪ね、一般市民と話ができるようになったら、もう一度北朝鮮に行ってみたい。そうでなければ、このビデオで十分だ」と語った。