北朝鮮関係筋は、祝賀行事をわざわざ平壌ではなく、三池淵市で開いた理由について「新たに開発した同市を、金正日氏への贈り物に見立てたのだろう」と語る。朝鮮中央通信は昨年11月、正恩氏が同市を現地指導したと伝えた際、開発事業が昨年で完了すると伝えていた。正恩氏は今月8日から14日まで平壌で開かれた建設部門の活動家を集めた講習会に送った書簡で三池淵市開発に触れ、「金正日総書記の生誕80周年に捧げる忠誠の贈り物」と自画自賛した。
正恩氏は12日には、平壌で新たな1万戸住宅建設着工式にも出席した。北朝鮮は昨年の党大会で「5年間で平壌に5万戸を建設する」と発表していた。正恩氏は出席の際、金正日氏が身につけていたベージュ色のジャンパーとサングラス姿に似た格好で登場した。同筋は「平壌での住宅建設も、父親を意識した事業という意味だろう」と語る。
金正日総書記は1982年の金日成主席生誕70周年の機会に、後継者としての地位を固めるための「大記念碑的創造建設」運動を展開した。平壌には人民大学習堂や主体思想塔、凱旋門などの巨大建造物が次々に作られた。地方の各都市にも記念碑や銅像が次々に建設された。正恩氏にとって三池淵市と平壌の新住宅群は、指導者としての地位を固める「記念碑」としての意味があるのだろう。
だが、この政策は北朝鮮にとって大きな負担になる可能性がある。
もともと、北朝鮮は建国以来、建設事業で失敗を重ねてきた。
朝鮮戦争(1950~53年)で国土が破壊された北朝鮮は戦後、ソ連・東欧諸国の支援で住宅や公共建物などを建設した。金日成主席は「速度戦」「千里馬運動」などを唱え、一日も早い国土復旧を目指した。当時の記録映像などには、建設のスピードを重視し、パネル状になった住宅の床や壁を組み立てる場面が出てくる。北朝鮮関係筋の1人は「当局は当時、朝鮮には地震がないから大丈夫だと説明していた」と語る。
ただ、「速度戦」を重視したため、あちこちで問題が発生した。北朝鮮のアパートでは、各段の高さがバラバラになっている階段があちこちで見られる。訪朝した専門家が理由を尋ねると、北朝鮮関係者は「1日に何段作ったのかというノルマが課せられているからだ」と答えたという。
零下20度になることもある、真冬の夜中でも住宅に使うコンクリートを作った。たき火をして、セメントや砂利などと混ぜる水が凍結することを防ごうとしたが、できあがったコンクリートの強度が足りず、事故が相次いだという。
そして、金正日総書記が指導した1982年の「大記念碑的創造建設」運動が、北朝鮮経済を極度に疲弊させた。北朝鮮関係筋は「記念碑的な建造物は、名前の通りの記念碑で生産性が全くない。労働者の大量動員で、国内の農業や水産業などに深刻な影響が出た」と語る。
経済不振から資金不足に陥り、建設事業に影響が出る悪循環に陥った。代表的な建設物が平壌での建設を目指した柳京ホテルだった。高さ約320メートル、105階建てで、1987年に工事が始まったが、資金難から外壁工事などが終わった段階で92年に中断し、2008年まで放置された。12年の金日成主席生誕100周年に間に合わせるため、北朝鮮で携帯電話事業を手がけていたエジプトのオラスコムグループから資金を調達し、外装工事だけは終えたが、いまだに開業したという情報はない。
別の北朝鮮関係筋は「16年間も風雨にさらされていたため、コンクリートや鉄筋の腐食が進んでいないわけがない。建築の専門家はいつでも倒壊の恐れがあると分析している」と語る。
経済不振のため、平壌の住宅建設も長く凍結されたままだった。平壌に住んでいた脱北者によれば、2DKのアパートであれば、必ず2世帯が同居していた。古いタイプのアパートの場合、トイレは各階に共用式で設置されているだけで、朝の出勤通学前には利用者の長い列ができたという。
暖房は温水を通すオンドル形式だが、1990年代以降は石油や石炭不足から火力発電所の操業が中断することが多くなった。脱北者の1人は「冬場はコートなどを着込まないと眠れない時もあった。北朝鮮では寝るのも戦闘だ、と言われていた」と語る。
では、金正恩氏はこうした北朝鮮の悪習を打開することができるだろうか。
正恩氏は今月の建設部門活動家の講習会に宛てた書簡で「今、建設部門には早急に是正すべき欠点もあり、補強すべき側面も少なくない」と認めた。「誤った慣習や経験主義に捕らわれて工法の要求を守らない」「人海戦術に頼って大勢の人を動員することが日常的になっている」「期限までに工事を終えるとして突貫式に速度にのみ偏る」など、これまでの失敗を素直に認めた。
実際、金正恩氏は権力を継承してからの10年間、過去と同じ失敗を繰り返してきた。平壌の未来科学者通り、黎明通りなどに高層ビルを建設したが、電力不足のため、エレベーターや水道が十分機能せず、高層階に住むのを嫌がる人が相次いだとされる。
朝鮮中央通信は昨年11月、正恩氏が視察した三池淵市の住宅街の写真を公開した。新築された住宅は見えるが、電線などは確認できなかった。中朝国境に近い同市は冬季には零下30度まで気温が下がる。正恩氏は当初、近代的な都市作りを目指し、「オール電化施設」にするよう指示したが、危ぶんだ当局者らが説得し、施設ごとに石炭などを使う暖房設備を1カ所設置できる許可を得たという。
関係筋の1人によれば、三池淵市は従来、白頭山を訪れる中国人観光客をそのまま北朝鮮に誘致することを前提にしていた。同筋は「中国人観光客を呼び込めなければ、近隣の人々は生活する手段がない。三池淵市の住宅群はそのまま、政治的なモニュメントになってしまうだろう」と語る。
正恩氏は12日の1万戸住宅建設着工式で「昨年は平壌の東側に1万戸の住宅が建設された」と語った。ただ、米政府系放送局「ラジオフリーアジア」によれば、住宅の基礎工事は終わったものの、資材不足のために内装工事や家具の調達ができないままだという。
北朝鮮は最近、正恩氏の昨年1年間の業績を宣伝する記録映画で、建設中の平壌のモデルルームを訪れる正恩氏の姿を伝えた。川べりに建設された部屋は美しい調度品で飾られていたが、建設中の住宅全てが完成したかどうかは定かではない。関係筋の1人は「モデルルームは、最高指導者の評価を得るために準備したものだろう」と語る。
別の関係筋は「北朝鮮は新型コロナウイルスや経済制裁などで、極度の経済不振にあえいでいる。正恩氏も、自分を支持してくれる平壌の特権層の取り込みに必死なのだろう」と語った。