OFACの文書は、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁専門家パネルが今年3月にまとめた文書や報道を根拠に、北京や香港のギャラリーが同社の作品を展示していると指摘。北朝鮮が過去、数千万ドルの収益を上げてきたとの報道も引用している。
北朝鮮の外貨不足は深刻だ。北朝鮮にとって頼みは中国との貿易だが、韓国の情報機関、国家情報院は11月27日、国会情報委員会で、1月から10月までの中国と北朝鮮の貿易額は、前年同期の4分の1程度にあたる5億3千万ドル(約550億円)規模にまで落ち込んだと説明した。韓国の情報関係筋によれば、北朝鮮では11月に入って、北朝鮮ウォンの対ドルレート(実勢価格は1ドル=8千ウォン程度)が、3割ほど下落した。外貨不足に苦しむ北朝鮮当局が市中に流通するドルを回収しているためだとの見方も出ている。金正恩朝鮮労働党委員長がウォンの暴落に怒り、平壌の為替業者を処刑したという。
そんな北朝鮮にとって、のどから手が出るほど欲しい外貨を得る手段のひとつが、芸術品の取引だ。米ラジオ・フリー・アジア(RFA)によれば、中国やイタリアの複数のウェブサイト上で11月現在も、万寿台創作社が制作した絵画などを100ドル~3万ドルといった様々な価格で販売している。
北朝鮮の咸鏡道にある咸興芸術大で朝鮮画を教え、後に韓国に逃れたアン・ミヨン元教授によれば、万寿台創作社は、1959年に平壌の平川区にあったゴミ集積場跡に創設された。
同社で働く芸術家は120人ほどだが、材料の確保や加工、モデルをする人々などを合わせると総員は約3800人になるという。「肖像徽章創作団」と呼ばれる、金日成主席や金正日総書記のバッジを作る部門もある。当初は銅像や彫刻を中心に制作していたが、現在は油絵や朝鮮画、宣伝ポスターなど幅広い分野の芸術作品を制作している。
1980年代までは、万寿台創作社や各道にある美術創作社で働く人々の地位は低かった。だが、金正日総書記が芸術作品が外貨稼ぎの手段になることを知り、同社の社会的地位も上がっていった。ジンバブエやタンザニアなど、北朝鮮と友好的だったアフリカ諸国を中心に銅像や記念碑を作ることにも力を入れた。
90年代になると外貨稼ぎ専門の会社が生まれた。北朝鮮芸術を宣伝するため、日本でも展示会が開かれた。外貨稼ぎを意識するようになってから、北朝鮮の画家たちは、色彩を最大限明るく、鮮明に描くよう指示された。21世紀になり、朝鮮画に油絵の特徴を取り入れる変化が起きたという。
2018年9月に平壌で開かれた南北首脳会談の際、韓国の文在寅大統領夫妻が万寿台創作社を訪問。虎や山水を描いた朝鮮画や磁器などの作品を視察した。日本のJSTOURSは、同社などで観光客の自画像を描くコースの観光商品を紹介している。
筆者は16年7月、アンコールワット遺跡で名高いカンボジア・シエムリアップに北朝鮮が建設したアンコール・パノラマ・ミュージアムを訪れた。英語と中国語を使う北朝鮮スタッフはお土産係、ガイド、映画チケット係など約10人。平壌芸術大を卒業した万寿台創作社の作家の油絵や朝鮮画、刺繡などを売っていた。
最も高価な作品は5千ドルの油絵。有名な絵の複製画は6ドルだった。土産物係の北朝鮮女性が「万寿台創作社の芸術家が数人いて、カンボジア人の依頼で肖像画などを作成しています」と語っていた。
だが、北朝鮮の芸術作品はどこまで行っても政治から自由になれない。
1997年11月、当時の森喜朗自民党幹事長らが訪朝した際、一部が万寿台創作社を訪れた。数ある展示作品のなかで、赤い小さな表示がついたものが幾つかあった。訪問団が「これは何ですか」と尋ねると、案内人が胸を張り、「将軍様(金正日総書記)が高く評価された作品です」と答えたという。
アン氏によれば、1970年代、抗日パルチザンの「普天堡の戦い」(1937年)を記念する塔を制作した。制作者たちは、戦いを率いた金日成主席の身長を他の人より10センチほど高く表現したが、制作者は皆、炭鉱に送られたという。「10センチくらい高くしたところで、誰が金主席なのか見分けがつかない」という理由だった。
アン氏は「金日成は太陽のイメージだから、他人より大きくしないといけないし、表情も厳かに、偉人としての品格を表現しないといけない」と語る。70年代後半から、金正日総書記の指示で、少しほほえんだ、慈愛に満ちた表情に変更したという。
北朝鮮の一般家庭は必ず、金主席と金総書記の肖像画を飾らなければならない。他の作品を飾る場所はなくなる。部屋ごとに一定の数を飾るという規則があるし、その下には他のものを一緒にかけられないからだ。
北朝鮮の芸術家は、芸術の才能があるかどうかが本質ではない。最高指導者やその側近たちを描いてこそ、初めて高く評価される。「功勲芸術家」「人民芸術家」といった称号も得ることができる。
世界の芸術も自由に勉強できない。北朝鮮は事実上、宗教を敵視しているため、宗教画というジャンルもない。アン氏の場合、レオナルド・ダビンチの作品「最後の晩餐」の存在を知ってはいたが、絵に込められた意味を知ったのは脱北した後だった。
アン氏は「北朝鮮の芸術家には才能はある。でも、他の作品に多く接することができないから、一定の水準から上にいけない。多様な海外の作品に触れることができれば、大きく発展するのではないか」とも語る。
北朝鮮芸術が大きく羽ばたけるのは、外貨稼ぎという悲しいくびきが外れたときなのかもしれない。