米国の国勢調査などから子孫たどる
バイエルン国立博物館(ミュンヘン)の学芸員、マティアス・ウェーニガーさんは白い手袋をはめ、キャビネットから鈍い銀色の光を放つ食器や燭台(しょくだい)を慎重に取り出した。
「5年前に111点の銀製品があったが、半分以上返還できた。今年中に全て返したいと思っている」
ウェーニガーさんによれば、ナチ政権はユダヤ人が所有する貴金属を強制的に供出させた。指定された質屋に持ち込まれた銀の大部分は業者に売られて溶かされ、最終的に武器を買ったり、ナチスの宣伝のための映画のフィルムに使われたりしたという。幸運にも溶かされなかった銀製品約350点を、博物館が1939年と1940年に質屋から購入。戦後、持ち主が現れたものは返したが、111点は博物館にそのまま置かれていた。
「当時と違うのは、私たちの方から積極的に持ち主を探している点です」とウェーニガーさん。博物館にある書類の購入記録から持ち主の名前を拾い出し、子孫の現住所を特定する。アメリカの国勢調査や入国記録にアクセスできるウェブサイトなどを駆使する。「最初の一人を見つけるのが難しいが、クリアできれば早い」
相手が分かった場合、ウェーニガーさんは直接届けることもある。「もちろん小包で送ることもできる。しかし当時、持ち主は自ら質屋に来て、大切な品物を差し出さなければならなかった。85年も待たせたあげく、小包で送る? 私は好ましくないと思う」
銀製品は美術品ではない。多くはユダヤ教徒にとっての安息日に、家庭で使われたものという。「夜、燭台のろうそくに火をともし、決められたコップで飲み物を飲む。日常生活の一部だった」とウェーニガーさん。ある子孫から「また使っても良いだろうか?」と尋ねられた際は、「それが一番良いと思います」と答えた。「85年後、ようやく家族のもとに戻り、本来の用途に使われる。それを機に大家族が集まったこともありました。とても感慨深かった」
持ち主にとってだけでなく、ドイツにとってもこの返還作業は重要な役割を果たしていると考えている。「本来、もっと前に返すべきだったが、できなかった。でも、今できることをしようとする姿勢を示すことはできる」
ミュンヘンはヒトラーがワイマール共和国の打倒を目指した一揆を起こすなど、ナチスの歴史と深くつながった街だ。博物館には、美術愛好家として知られたナチ党最高幹部のゲーリングのコレクションもある。「問題があると考えられる作品は700点ほど。購入記録などが残されておらず、返しようがない」。それらの作品はデータベースで公開し、持ち主をたどる可能性を探っている。
不明の美術品100万点? 日本にも
ナチスの影響下で行方不明になった美術品は100万点あるとも言われ、世界中に散らばっている。ナチスによる略奪品の返還などを定めた1998年の「ワシントン原則」を機に、各国で動きが本格化。フランスは2022年、オルセー美術館などが所蔵していたクリムトやシャガールらの絵画をユダヤ人遺族らに戻すと決めた。
略奪絵画は、日本でも2022年に見つかった。ポーランドからナチスによって持ち出され、遺失品となっていた宗教画がネットオークションにかけられているのを、ポーランド政府の職員が発見。日本人の持ち主との交渉の末、昨年、無償でポーランド側に返還されたという。