ドイツ南西部のルートビヒスブルクは人口9万人の小さな街だ。1月中旬に訪れると、夏は多くの観光客が足を運ぶバロック様式の宮殿の美しい庭園は雪に覆われ、人はまばらだった。庭園から歩いて5分ほどのところに、塀に囲まれた建物がひっそりと立つ。
ナチスの犯罪を追う司令塔、「ナチ犯罪追及センター」だ。国内外の捜査機関などと協力し、訴追のための事前捜査をしている。証拠が集まれば、資料を各地の検察に送る仕組みで、起訴につなげてきた。
名前や所属部隊別の検索カード178万枚
西ドイツ成立後、ナチスの犯罪追及が下火になりつつあった1958年に設立された。60年以上かけて作成した個人の名前、所属部隊などの検索カード178万枚が、地味で地道な作業を物語る。
カードは膨大な所蔵資料とひもづいている。容疑者になり得る人物がいれば、各地の収容所の名簿、役所の年金記録などと照合。過去の住所、時には国外まで足を運び、現住所を調べていく。「容疑者が名前を変えている場合も多いから、追跡は簡単ではない」とトーマス・ウィル所長(63)。
センターによれば、戦後ドイツ(連合国と旧東ドイツの訴追をのぞく)で有罪認定に至ったのは約6500人にのぼるが、「多いとは言えない。10万人の犯罪者がいたと指摘する歴史家もいる」。訴追の可能性があるケースは残りわずか。そしてその可能性は日に日に低くなる。近年は死亡による捜査打ち切りや、裁判に健康状態が耐えられないと判断される例もある。検察官や裁判官、文書係、通訳などからなるセンターのスタッフは最盛期の1960年代には100人を超えていたが、今は20人。ただ、可能性がゼロにならない限り、捜査は続く。
ロシアも訪問、続く資料分析
ウィル所長は、ウクライナ侵攻が始まる前までは、旧東ドイツや東欧圏の資料があるロシアを頻繁に訪問した。「今はもう行けなくなってしまったが、幸運にもほとんどの資料は得られた。まだ全ては見られていない」。資料から、容疑者が浮かぶ可能性を探る。
ウィル所長は希望して2003年にセンターに来た。学生時代、ナチスの歴史を多く学んだ世代ではないという。
20年の間には、こんな経験もあった。子どもの頃、近くの村に肉屋があった。店主は親切な人だった。センターでナチスの犯罪を調べ始め、その店主がかつて強制収容所の看守だったことを知った。すでに世を去り、訴追されることはなかったという。
「私は直接、ナチスの犯罪に関わった世代ではない。過去に対する罪悪感はないが、過去への責任は感じる。訴追を続ける理由には、人々に忘れさせないということもある。私たちはこの犯罪の歴史に向き合わないといけない」
ナチスの犯罪追及は、ドイツの「過去の克服」の柱の一つ。センターは今、地域の誇りとなっている。だが、かつてはそうでなかった。設立当時、世論はナチスの犯罪追及に目を向けなかった。自国の暗い過去を暴くセンターや職員は白眼視され、買い物や家探しにも困るほどだったという。
その流れを変えた裁判を知る人に会うため、フランクフルトに向かった。