1945年春。オランダがナチス・ドイツの占領から解放される数週間前のことだった。5人のドイツ兵が、ある静かな村の、木の生い茂った一角に四つの弾薬箱を埋めた。中には、金や宝石類、時計が詰まっていた。
関係書類によると、極めて高価なこの財宝をナチス兵が手に入れたのは1944年の夏の終わりだった。ドイツとの国境に近いライン川沿いの街アルンヘムで爆発があり、銀行の金庫室から街角に吹き飛ばされているのを見つけた。
この戦利品を埋めた兵隊たちが、気づかなかったことが一つある。近くの茂みに、戦闘で負傷したドイツ兵ヘルムート・ゾンダーが横たわっていたことだ。目撃したことは、しっかりとその脳裏に刻み込まれた。
ゾンダーは後日、詳細な地図を作製する。隠し場所(ポプラの木が3本ある)と埋めた深さ(1.7~2.3フィートほど〈約52~70センチ〉)が正確に記されていた。
本人がその後、どうしているのかはよく分かっていない。だが、地図は最終的にハーグにあるオランダ国立公文書館に収蔵された。それが、2023年1月、毎年恒例の「文書公開の日」に公表された。今回、機密指定を解かれた数千件の中に入っていた。
地図の公表は、新たに財宝探しの動きを引き起こした。同時に、ナチスの財宝があると指摘される世界でも数少ない場所の一つとして、小さな村オンメレン(人口751)の存在に焦点をあてた。
「私たちのところが地図に載っていたんだ」とオンメレン村を含む地域の自治体の首長をしたことがあるKlaas Tammes(以下、オランダの人名は原文表記)は話す。「それ自体は、素晴らしいことだった」
そんな興奮を共有しつつも、ほかの村民は眉をひそめるようになった。オランダ最大の都市アムステルダムから南東に車で1時間の村に、国中から財宝を探そうという人たちが集まってきたからだ。
スコップや金属探知機を手にした数十人が、降ってわいたように現れた。1人は、地下の水脈や鉱脈を探る占い棒すら持ってきた――こう語るTammesは、財宝が埋もれているかもしれない土地に住んでいる。地方道の脇に、腰の深さまで穴を掘って中に立つ男性の写真を撮ると、それが村民の間で出回りもした。
財宝をめぐるミステリーは、村民のもっぱらの話題となったばかりではない。オランダのみならず、世界中のメディアが注目した。ただし、肝心な問題には、いまだに答えが出ていない。「この戦利品は、まだそこにあるのか」という問いかけだ。
「私は疑問に思う」とJoke Hondersは明言する。オンメレン村にある地元博物館の郷土史家で、隣町に住んでいる。昔の地図を精査し、今回の手書き地図とつぶさに照合した結果、財宝のありそうな場所を割り出すことができたと確信している。彼女が知る限り、まだだれもそこを探してはいない。
もっと正確に詳細を教えてほしいと迫ると、ピシャリといわれた。「明かすことなんか、できっこない!」
財宝のありかだけではない。もし、見つけたら、財宝はどうなるのか。こちらの問題も、完全にはっきりしているわけではない。
自分がその箱を見つけたとしても、中身を所有するつもりはないとHondersは話す。「財宝そのものが目当てなのではないから。そもそもすべて盗まれたものだし、あまりに気味が悪い」
この付近で宝探しをするのには、危険が付きまとうとSebastiaan Hoogenbergは警告する。地中には、第2次大戦中の不発弾が埋もれているからだ。彼には金属探知機を使って埋蔵物を探す趣味があり、オランダ中で掘り出した品物を紹介するYouTubeチャンネルを運営している。
オンメレンの村当局は、財宝探しは厳密には禁止行為にあたるので控えるよう公式サイトで呼びかけている。今回の地図が公表されると、「ありかを確かに知っている。金を払えば、教える」という情報がたくさん寄せられたと村当局の広報担当Birgit van Aken-Quintは明かす。そんな当初の騒ぎは収まり、財宝を探すのに5人ほどが正式に発掘許可を申請しているという。
オランダ国立公文書館の資料によると、そもそもこの「ナチスの財宝」についてのうわさが広がったのは、戦後間もない1946年にさかのぼる。ドイツに駐留していたオランダ兵の間で流布した。その年の暮れには、大戦中に盗まれた資産を発見・管理するオランダの政府機関がこれを聞きつけ、公式調査を命じた。
この資料によると、翌1947年1月に最初の発掘調査が実施された。しかし、地面が凍っていて失敗した。2回目の調査は数週間後に始まったが、金属探知機の不調で何も見つからなかった。3回目はその年の夏にあった。今度は正確な場所を特定するのに、地図を描いたゾンダーがドイツから連れてこられた。
それでも、何も見つからなかった。
最後の4回目の調査が行われたのは、1947年8月だった。結果は同じで、もうそこには財宝は存在しないのではないかという結論になった、とこの資料は伝えている。
オンメレンの村民は、そんな財宝があることを知らなかったと異口同音に語る。「この話にはビックリした。村ではだれも聞いたことがなかったから」と先のTammesは首を振る。
「この地図は、まったくの偶然で見つかった」と国立公文書館の研究員Annet Waalkensは経緯を説明する。所蔵する地図は、数十万枚もある。「その中から見つかったこと自体が、私たちにとっては『宝物の発見』に等しかった」
そして、「黄ばんだ1枚の地図に、こんなにさまざまな感情を呼び起こす力があることがすごい」と付け加えた。
この地図がゾンダーのでっち上げだった可能性は消えてはいない。ただし、発掘調査にあたったオランダ当局者が、その可能性は低いと見ていたことを公文書館の資料は示唆している。理論的には、調査にあたった1人か複数の人間がひそかに見つけていたことも考えられる。
しかし、一部で最も有力とされているのは――財宝を隠したナチス兵の1人がそっと現場に戻り、掘り出して着服したというシナリオだ。
どの説も、裏付けられてはいない。ゾンダーがまだ存命なのかも定かではない。
オンメレン村が発掘騒ぎに巻き込まれたのは、実はこれが初めてではない。夏はサイクリングやキャンピングをする人でにぎわう村は、冬は何もなく、とくに静かになる。その村で、2016年に考古学的な発見があり、騒ぎになった。3人の調査員が、ローマ時代の金貨31枚を掘り出したのだった。
ナチスの財宝をめぐる高揚感に、村のだれもが浸っているわけではない。
「いずれ静まることなんだから」とDicky Briene(76)はさめていた。オンメレン村で同じ家に住んでもう54年にもなる。自分はスコップや金属探知機を持った人間を一人も見ていないと語った上で、こう突き放した。
「どうせ、何も出てきやしないんだろうから」(抄訳)
(Claire Moses)Ⓒ2023 The New York Times
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