「ポルトガルは他国のお金を危険にさらす前に、まず自国の『金』を売れ」昨春、ポルトガルがギリシャに続いて財政危機に陥り、欧州連合に助けを求めたころ、あるドイツの国会議員が言い放った。連立与党、自由民主党のフランク・シェフラー(43)だ。
ドイツ北西部ビュンデの地元事務所にシェフラーを訪ねると、発言の意図について「欧州の連帯精神にも限度がある。自分が赤信号を無視したのに、他人に罰金を払わせてはいけない」と説明した。競争力の弱い国はユーロ圏から出ていってもらい、ドイツやオランダが中心になって共通通貨を守るべきだ、という。
ポルトガルの公的部門が持つ金は1月時点で世界14位の382.5トン。日本のほぼ半分で、経済規模の割に多い。ポルトガルを含むユーロ圏の国々は、財政上の都合で金を勝手に売ってはならないと、条約や国際協定で取り決めている。
シェフラーもそれは知っていたという。「それでも、金は、有事の際には国家の信頼性の象徴としての意味を持つ。それを意識してああ言ったのだ」
ポルトガルは金を売るべきなのか──。シェフラー発言の後、ある歴史家は米紙への寄稿で次のように指摘した。
「ポルトガルの金の多くは、第2次世界大戦中にナチス・ドイツとの貿易で得たもので、そもそもはドイツが占領した国や虐殺したユダヤ人から奪った金だ」。正当性に疑問のある金を売れという案は、歴史的見地からも疑問だというのだ。
寄稿者は、ロンドン大イスラエル研究部門長のニール・ロカリー(47)。欧州・中東近代史の専門家だ。
第2次大戦で中立を保ったポルトガルは戦火にあわなかったうえ、連合国、枢軸国の双方と取引して利益を上げた。独裁者サラザールは英国には「つけ払い」で物資を供給する一方、ドイツには、兵器づくりに欠かせないタングステンを輸出し、対価を「金」で払うよう求めた。ドイツの金の出どころについてもある程度知っていたとされる。
サラザールは英米とも良好な関係を保ちつつ、ドイツからの金を支えに財政基盤を強化し、独裁体制は74年まで続いた。ポルトガル陸軍士官学校教授アントニオ・テロ(59)は「この二つがなければ、終戦と同時に独裁は終わっていたはずだ」と指摘する。民主化し、冷戦も終わった90年代に、大統領経験者らを中心に、金を受け取った側の責任を調べる委員会もつくられた。結論は、中立国としての取引の対価で問題ない、との趣旨だった。
ロンドン大のロカリーは、他の中立国の多くは、ドイツからの金を戦後、本来の持ち主に返したと指摘し、ポルトガルの判断に疑問を投げかける。ただ、米紙への寄稿は、ドイツやポルトガルへの批判というより、金をめぐる歴史の記憶が薄れたことへの危機感からだった。
「金は、戦争のたびに、究極の通貨として必要とされてきた。政治、経済、ナショナリズム……。金の価値が上がる時、われわれはどこかに問題を抱えていると考えるべきなのだ」(文中敬称略)(青山直篤)