――ヘルシンキとリガは、どのような雰囲気だったのでしょうか。
両市とも、あちこちでウクライナの国旗を見かけました。特に官公庁は、自国の国旗とウクライナの国旗を必ず掲揚していました。フィンランド大統領選決選投票の直後にヘルシンキを訪れましたが両候補者とも北大西洋条約機構(NATO)の一員として役割を果たすという主張を唱えていました。フィンランド世論にも、従来の中立政策を変更したことへの異論は全くないと聞きました。
――ロシアのハイブリッド戦について、フィンランドとラトビアの研究者と意見交換したそうですね。
ロシアのハイブリッド戦とは「政治や経済、移民、宗教、文化など様々な分野で情報戦を仕掛け、ロシアの思う通りに相手を動かす」というものです。やり方には、主に「相手を懐柔して、親ロ国家にして取り込む」「相手の内部の対立をあおり、不安定な状態にする」という二つの手段があります。
ラトビアの専門家によれば、ロシアは2017、2018年ごろを境に、ラトビアに対して前者の「懐柔策」から後者の「対立誘導策」に切り替えたそうです。
ラトビアはロシア系住民が25%、ロシア語を話す住民が40%、それぞれ占めています。ただ、ロシアが2014年、ウクライナ・クリミア半島の「強制併合」を宣言すると、ロシアに対する不信感や警戒感が高まりました。ロシアも「ラトビアを含むバルト三国を親ロシア国家にして取り込むのは難しい」と考えたようです。
このため、最近では、欧米諸国が進める新自由主義経済やグローバリズムについて「深刻な格差を生む」「人間を不幸にする」といったネガティブな情報を、ラトビアのメディアに発信させるような情報工作を行っているそうです。ラトビア社会の分裂をあおり、政府への信頼感を低下させ、ラトビア国民が将来に不安を感じるように仕向け、ラトビアがロシアに強く抵抗できない状況をつくり出そうとしています。
――ロシアのハイブリッド戦は手ごわい存在なのでしょうか。
もともと、ロシアの「反射統制」と呼ばれる軍事ドクトリンから出発しています。「ロシアが相手に何を強要したいのか」をまず決めて、「どのような情報を与えれば、相手がロシアの思う通りに動くのか」を考えながら、情報操作します。これは、情報収集をして「敵が何をしようとしているのか」を突き止めて、その試みを無効にするというNATOの軍事ドクトリンと正反対の考え方です。
このドクトリンをもとに、ロシアのゲラシモフ総参謀長は2013年に、軍事に非軍事を組み合わせる戦い方を重視する講話録を発表し、現在の戦い方に至っています。
――フィンランドとラトビアは、「ウクライナの次にロシアが軍事侵攻してくる」という危機感を抱いているのでしょうか。
両国ともに、ロシアによる軍事侵攻に対する切迫した危機感はそれほど持っていません。ロシアが、ウクライナでのハイブリッド戦に失敗して泥沼の長期戦争になってしまったことを後悔していると評価しているからです。ロシアは侵攻直後、キーウなどに特殊部隊を送り込んで親ロシア派を支援し、ゼレンスキー政権を打倒して親ロシア政権を作ろうとしましたが、できませんでした。ロシアはこの結果を深刻に受け止め、より巧妙なハイブリッド戦を仕掛けようとしていると、フィンランドやラトビアの専門家は分析しています。
例えば、現在の「西側はウクライナ支援に疲れている」というキャンペーンを張り、西側諸国内部で発信させるように工作しています。ロシアは現在も、ウクライナ国内で「ロシア占領地域の奪還を諦めるしかない」という世論を形成させる工作を続けているのです。
このため、フィンランドの専門家は「ロシアは軍事侵攻ではなく、フィンランド国内にくさびを打ち込もうとするだろう」と分析しています。ロシアが最近、フィンランドに向けて難民を送り込む工作をしていましたが、ハイブリッド戦の一環です。難民問題は、欧州を「人道主義派」と「国内秩序維持派」に分裂させる、ハイブリッド戦の有力な手段の一つと言えます。
――フィンランドとラトビアはどのような対策を講じているのですか。
ハイブリッド戦の対象は、軍事や外交、内政など多岐にわたります。国・政府が一体になって対応する必要があります。各省庁が自分の担当分野で対応すると同時に、総合調整して指揮する司令塔が必要です。両国の関係者は「省庁間の情報共有が重要だ」と語っていました。同時に、諜報(インテリジェンス)を担当しているCIA(米中央情報局)のような部署は、情報を他の機関と共有することを嫌うため、別の組織に情報(インフォメーション)共有の責任を持たせるべきだという指摘もありました。
――欧州の取り組みは、中国のハイブリッド戦に対応するうえでの教訓にもなりそうです。
欧州の視点から見た場合、ロシアと中国のハイブリッド戦には異なる点もあるといいます。まず、ロシアは相手を動かそうとしますが、中国は、自国を相手にどう見せるのかに関心があるそうです。中国の優位性を見せつけて、「中国の陣営に加わった方が利益になる」と思わせて誘導する傾向があるというのです。
また、ロシアは力を信奉しますが、中国は「戦わずして勝つ」という孫子の兵法のように、正面から力押しをするのではなく、からめ手で長い時間をかけて、いつの間にか状況を有利にしようとするのだそうです。
一方、バルト三国がクリミア「強制併合」をみて、ロシアを警戒したように、台湾でも香港の民主化弾圧をみて、中国への警戒が強まっています。今後しばらくは、中国も台湾を取り込む政策よりも、台湾内部を分裂させる政策を取る可能性が高いと思います。台湾では総統選では民進党が勝利しましたが、立法院(国会)では過半数を獲得できず、ねじれ状態になりました。中国はこうした台湾の状況を利用し、今後も台湾の分裂をあおるハイブリッド戦を仕掛けてくるでしょう。
――日本にはどのような備えが必要になるでしょうか。
日本でも10年後には外国人労働者問題が大きな政治課題として浮上するでしょう。その場合、保守内部の深刻な対立軸として「経済を重視して外国人労働者を受け入れるべきだ」という主張と、「国内秩序を維持し、日本の固有文化を守るため、多数の外国人を受け入れるべきではない」という主張が生まれるでしょう。その対立が深刻になれば、日本の脆弱性につながり、ハイブリッド戦で利用される可能性が高まります。
欧州の専門家は、その際の対応として「人権や民主主義といった価値観を忘れてはいけない」と指摘していました。「価値観を守る」という意識が、健全な議論を担保し、分裂を抑えることにつながるからです。そのためには、「自分たちからは偽情報を発信しない」「国内に意見対立があっても隠さず、オープンに議論する」という姿勢が重要になります。国家としての健全性を保てない場合、そこにつけ込まれて対立が激化し、ハイブリッド戦に負けて国が弱体化してしまう危険が生まれるのです。