「包括的な抑止戦略を」
3文書の特徴の一つは、過去の文書に比べて現実的で具体的な説明だ。国家防衛戦略は、日本の防衛力について「相手にとって軍事的手段では我が国侵攻の目標を達成できず、生じる損害というコストに見合わないと認識させ得るだけの能力を我が国が持つことを意味する」と説明する。
航空幕僚監部防衛部長などを務めた平田英俊元空将は「日本はこれまで、力の空白を作らないという基盤的防衛力構想を掲げ、脅威とは無関係に防衛力を決めてきました。今回は、この考え方から本当に脱却し、脅威を見据えて、いかにして我が国を守るのか、そのための防衛力は如何にあるべきかという現実的な議論を始めました。相手国内の目標を攻撃し得る兵器の装備が明言されたのは、その結果の一つです。我が国の安全保障にとって大きな変革で、大変意義のあるものだと思います」と語る。
陸上自衛隊中部方面総監などを務めた山下裕貴元陸将も「反撃能力の保有は戦後の安保政策の大転換です。それだけ、我が国を巡る国際情勢が厳しいということでしょう。防衛力強化に賛成する国民は約7割に上っています。岸田文雄首相が16日の記者会見でも話していましたが、現状では自衛隊の防衛能力は不十分です」と言う。
ただ、複数の政府関係者によれば、今回の3文書改定は泥縄式の側面もあった。関係者の一人によれば、国家安全保障局が主導して文書改定作業が本格化したのは今年夏だった。防衛省や外務省などに具体的な調整を指示した時期も遅かった。3文書を比べると、「コピペ」したような同じ表現が並ぶ。
別の関係者人は「作業時間が足りないため、3文書で表現がバラバラになるのではないかと危惧した」と語る。「コピペ」は、足りない時間を補うための「安全策」だったとみられる。
また、有識者には意見を聴いたものの、国会に議論を呼びかけることはしなかった。議論が紛糾して、岸田文雄首相が掲げた「年末までの改定」に間に合わなくなる事態を恐れたようだ。
同じ与党の公明党にすら、反撃能力の導入や中国の位置づけを巡って反発を受けることを恐れ、具体的な調整は12月に入ってからにずれ込んだ。
岸田首相は昨秋の就任以降、たびたび「防衛力の抜本的強化」を強調してきたが、国会で議論を求めた国会議員もほとんどいなかった。文書の内容は具体的になったが、実際に起きうる有事を想定した議論がないため、各論が先行して、総合的な戦略が抜け落ちた。
平田氏は「今回、取り上げられた施策の多くは、反撃能力の保持など、トピックス的な要素です。個々には理解できますが、防衛力全体として何にどう対応しようとするのか、不十分です。必要な防衛力を明らかにし、機能を発揮して役割を果たし得る防衛力を計画的に整備するには、脅威国の総合力を見積もり、戦略、計画を効果的に策定するための国家としての仕組み、プロセスを確立するべきです」と話し、その上で、次のように指摘する。
「今回の戦略は抑止を強調しています。大いに評価すべきですが、抑止は防衛力だけではなく、総合的な国力を連携して行う必要があります。どのように行うのかという包括的な抑止戦略を考える必要があります」
ハイブリッド脅威への対応に不安
陸自東北地方総監などを務めた松村五郎元陸将は「喫緊の課題であるハイブリッド脅威への総合的対処と、可能になった集団的自衛権の行使に関する記述がほとんどないことが気になります」と指摘する。
松村氏によれば、ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻の当初に狙っていたのは、本格戦争ではなかったといい、次のように懸念する。
「影響工作や情報操作、サイバー戦等を軍事的な恫喝と組み合わせ、親ロ政権をウクライナに樹立することだったと考えられます。ロシアは失敗しましたが、今後、中国などはこの教訓を学び、更に洗練されたハイブリッド脅威を駆使して現状変更を狙ってくる可能性が高いでしょう。でも、3文書では、個々の記述はありますが、一つの戦略目標に向けて多様なハイブリッド脅威が複合的に行使された場合に、国家として一貫した方針の下で総合的に対処する態勢が示されていません」
さらに松村氏は、日本が限定的とはいえ、集団的自衛権の行使を可能にした以上は、どのように行使するのかは政策上の問題になったと指摘する。「日本だけが攻撃されるケースより、台湾海峡や朝鮮半島で事態が発生する可能性の方が格段に高いのは明らかで、米軍はこれに対応するでしょう。その時に日本が防衛力をどのように使用するのかについて、この3文書できちんと論じられていないのは問題です。専守防衛に徹すると明記しているのですから、その中での集団的自衛権の行使とはいかなるものなのか、国民の合意形成を図るべきです。反撃能力の保持という新しい分野に踏み出すことを考えても、本来この議論は避けて通れないはずです」
一方、3文書に対する批判には「専守防衛が骨抜き」「軍事偏重の安全保障」など、戦後から続いてきた主張をそのまま踏襲したものも目立った。これは、国家安全保障戦略が「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」と指摘した状況を認めないことにつながらないか。
国家安保戦略は、「戦略的なアプローチとそれを構成する主な方策」として、第1に外交を掲げ、防衛、日米協力、経済安保など7項目を掲げている。
海上幕僚監部防衛部長などを務めた渡邊剛次郎元海将は、米海軍大学への留学時代、"DIME"という思考過程を繰り返し、学んだ。大学は、「国家安全保障は①D=外交、②I=情報(国内・国際世論形成など)、③M=軍事、④E=経済の総合力で成り立っている」と教えた。
そして、「あらゆる安全保障問題に対して、D=外交方針は間違っていないか、I= 国民への説明は十分か・国外世論を味方につけているか、M=軍事的な対処能力や抑止力は機能しているか、E=経済安全保障にすきはないかを常に考えよ」と繰り返したという。
渡邊氏は「DIMEを網羅し、かつバランスよく考えるのが、米国など国際社会一般の発想です。対話による解決を目指すだけでは、残念ながら安定した安全保障環境を確立できないことは明らかでしょう。安全保障は、まずは外交努力で得るものだという感覚自体が、国際社会からは偏重だと捉えられる可能性があります」と語る。その上で、渡邊氏はこうも指摘した。
「中国の国防費が過去10年間だけでも2倍以上に増加している急激な安全保障環境の変化の中で、我が国の防衛力が適切なのか検討した結果が3文書なのだと思います。3文書が出たから軍事偏重だということ自体、バランスを欠いた見解ではないでしょうか。むしろ、我が国の安全保障に関する感覚がバランスの良いものなのか、偏重していないのかを考えてみる必要があるでしょう」
財務省の査定に懸念の声
ところで文書は、「国家安全保障戦略は、その内容が実施されて、初めて完成する」としている。平田氏も「戦略は策定したら終わりでなく、最も重要なことは、明記されている国全体の防衛体制の強化策をはじめ、戦略に定めた各種施策を着実に実施することです」と語る。「財政面だけではなく、法律の策定や見直しなども含めて国家全体の防衛体制の強化を考えることが最も重要です」
5年間で総額43兆円とした防衛費の財源が大きな問題になったが、政府・与党は法人、所得、たばこの計3税に増税する一方、実施時期を2024年以降の適切な時期として、実質的な判断を先送りした。
山下氏は「43兆円は、日本の平和を維持するために必要な予算です。ポイントは、反撃能力の中核である長・中射程ミサイルの開発・保有、宇宙・サイバー・電子戦と陸海空領域との統合化の推進、継戦能力の強化になります。5年後にどこまで達成できるのかが、今後の課題になります」と話す。
そのうえで、山下氏は、防衛力整備計画で決まった内容が財務省による査定によって年度予算で削られていく可能性について懸念する。
「財務省は、防衛力整備計画は閣議決定だが、年度予算は国会の議決になり、重みが違うと主張します。整備計画は努力目標で、年度予算で削減しても構わないとする従来の考え方を改めてほしいのです。無駄な支出のチェックは必要ですが、財務省はしばしば防衛構想にまで口を挟んできました。予算審議を通じ、防衛力整備計画の実行を確認するのも政治家の責務だと思います」