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ウクライナで働く私が見た戦争の現実 不条理の中で生きる女性たちの力になりたい

国際女性デー2024 更新日: 公開日:
UNFPA人事部のユリア(右)と筆者。彼女もまた戦争をきっかけにキーウへ移住してきた。筆者の家探しや生活を助けてくれた
UNFPA人事部のユリア(右)と筆者。彼女もまた戦争をきっかけにキーウへ移住してきた。筆者の家探しや生活を助けてくれた=筆者提供

夜行列車で単身、キーウへ

昨年10月、ウクライナ西部のウジホロド駅から夜行列車に乗った私は、15時間後にキーウ中央駅に到着した。

ロシア侵攻の影響でウクライナの空港は閉鎖されており、日本から片道2日半の長旅だ。リュックには友人がくれたお守り、途中の飛行機の機内では母親が握ってくれたおにぎりを食べた。

キーウ市へ向かう夜行列車
キーウ市へ向かう夜行列車=筆者提供

前職でのさまざまな別れに心の整理がつかないまま、国境を越えた移動、住居探しに加え、職場もプライベートも新しい人間関係に入っていく。大学卒業以降、8年近くこの生活を繰り返している。

慌ただしい生活の中で自分を見失いそうになったら、原点に立ち返ることにしている。

女性や子供はジェンダーやリプロダクティブ・ヘルスに関わる不条理な影響を受ける。戦争などの緊急時はなおさらである。その不条理な影響、例えば「戦時性暴力」などは、戦争が終わっても何十年という時間をかけて向き合っていかなければならない。国を問わず、不条理の中にいる女性たちの力になりたいと願い、現在は国連人口基金(UNFPA)で仕事をしている。

キーウ市へ向かう夜行列車の内部
キーウ市へ向かう夜行列車の内部=筆者提供

UNFPAウクライナ事務所では、性と生殖に関する健康(Sexual and Reproductive Health、SRH)のチームに配属された。

主にウクライナの妊産婦や、新生児のいる女性たちが支援対象となる。インフォメーション・マネジメント・オフィサーとして(現在はSRHプログラム・マネジメント・オフィサーへ変更)、提携する国際NGOなどがウクライナ(23州+首都のあるキーウ州)のどこで、どんな支援をしているかの情報を管理し、支援が行き届いていないところや、逆に重複しているエリアも分析する。

侵攻が始まり、ウクライナ東部の多くの病院が破壊された。妊産婦の病院へのアクセスは、女性自身や子どもの命を守るために必要不可欠であり、地域に偏りなく支援を届ける必要がある。ロシアとの国境により近い前線で支援をするNGOとも連絡を取り合い、最新の情報を管理する。

これまで外務省や国際NGOで勤務をした際はプロジェクトの進捗や予算管理が主だったために、情報にフォーカスした業務に慣れることにも時間を要した。

加えて危険地帯での勤務も初めてだった。

着任早々1週間、緊急時の避難方法や、重傷者を救助する方法、テロリストの標的となった際の対応などについて研修を受けた。危険地帯への出張も予想されるためだ。

また、冬は氷点下となるウクライナの気温は、外に出ると冷たい風に顔が痛いくらいだ。冬季の日照時間の短さも慣れるまでに時間を要した。

強く明るいウクライナ人の同僚たち

到着した週末の夜に、初めて空襲警報を聞いた。

ロシアからウクライナへ向けてミサイルが放たれた時の警報だ。日本の戦争映画で聞いたものと同じ音で、街中に響く。セキュリティーチームが24時間体制でミサイル情報を管理している。新しい同僚たちが何人かメッセージをくれた。「怖がらなくていいよ、窓から離れて家の中の安全な場所に」

ウクライナ人の同僚の多くが、戦争をきっかけに故郷からキーウへ引っ越してきた人たちでもある。お酒を飲むことや食べることが好きで、この厳寒の地で強く生きてきた人たちだ。オフィスでは冗談を言い合っている彼らも、多くが戦争によって、家族や友人、故郷の家や母校を失い、あるいは離れ離れに暮らさざるを得なくなり、計り知れない不安を抱えている。

UNFPAの同僚と
UNFPAの同僚と=筆者提供

12月に入り警報の数は増えている。年末の12月29日にはロシア領域からウクライナへ向けて1日150発もミサイルが発射された。

それでも悲観的にならないようにウクライナの人々は強く生きている。

カフェやレストランは通常営業しており、オペラや交響楽団、バレエなどの芸術はウクライナの人々の日常に欠かせない。ソビエト時代の面影を残す美しく壮大な建造物にも、ウクライナの芸術にも、日々感動する。今回、初めて戦争中の国での任務となるが、戦争の中に日常はあり、日常の中に戦争があると感じる。

避難先で出産する女性たちを支える

現在勤務しているUNFPAウクライナ事務所は、ジェンダーに基づく暴力(Gender-Based Violence)、性や生殖に関する健康、若者への支援を中心に活動している。

支援先の周産期センターの一つ(キーウ市内)で医療サービスを受けているダリアという名の女性に話を聞いた。

日本政府からの拠出金で調達された物資が送られたキーウ市内の周産期センターを視察した時の様子(左から2人目が筆者)
日本政府からの拠出金で調達された物資が送られたキーウ市内の周産期センターを視察した時の様子(左から2人目が筆者)=UNFPAウクライナ提供

国内避難民である彼女はこのように語る。「東部ハルキウ州での生活を考えると、そこで出産をすることが私にとって幸せなことだった。しかし戦争の影響によって、それは現実的ではなく、今後もすぐに帰ることも難しい。私のように子どもがいたり、妊娠していながらも、他の州へ移住をせざるを得ず、見知らぬ場所で必要な医療ケアを手に入れることが難しい状況にいる女性たちが多くいる。この周産期センターを見つけ、そしてそこに新生児集中ケアユニットがあったことは、私たち夫婦にとって重要なことだった。なぜなら、医師は私が出産時に大量出血により母子ともに命を落とす可能性が高いと診断したから」

UNFPAは、各国からの支援金を基に、こうした周産期センターで母親や新生児の命と健康を守るために不可欠なキット、医療器具の支援をしている。1月、この女性は無事に元気な女の子を出産した。「ア二シア」と名付けたという。

生後間もないア二シアを抱くダリア。ウクライナの首都キーウ市内にある周産期センターにて
生後間もないア二シアちゃんを抱くダリアさん。ウクライナの首都キーウ市内にある周産期センターにて=UNFPAウクライナ提供

戦争の影響は、個人の元々の経済状況によっても異なる。

UNFPAが支援する地域の中でも最西部のザカルパッチャ州のラキヴ市とミジリャ市には、同機関の移動式医療ユニットがある。

同地域に住む女性たちは、侵攻以前から就業難や貧困の状況にあったが、戦争が始まってからは妊婦健診へ行くバス代金のために貯金をする状況にある女性たちが多くいる。UNFPAが支援する移動式医療ユニットは、そういった地域や状況下にある女性たちの支援にもなる。元々困難だった状況が、戦争をきっかけに雪だるま式に困難になったと言ってもいい。

UNFPAの移動式医療ユニット
UNFPAの移動式医療ユニット=UNFPAウクライナ提供

原点は南米アルゼンチンでのボランティア

一人の人間が複合的な問題を抱えている状況は、大学時代、南米アルゼンチンで移民女性を支援する団体でボランティアをした際に目の当たりにし、ジェンダーや不条理の解決に携わる仕事をしたいと思う原点の一つとなっている。

夫のDVから逃げながら、5人の子供たちを育てる母がいた。ジェンダーに基づく暴力(Gender-Based Violence、GBV)や多産、貧困、移民という複合的な問題をたった一人で抱えていた。

その後のUN Women本部でのインターンでは、女性の地位向上委員会で全国連加盟国が参加する国際会議の準備に携わったが、国連本部の大きな会議場の中で、そのアルゼンチンの女性のことを考えていた。

長い目で見た将来、不条理の中で生きる、一刻も早く支援が必要な女性たちに届く条約づくりに携わりたい。そのためには法的な知識も必要になる。昨年からロンドンの大学で法学部のオンラインコースを受けている。短期間でさまざまな国を移動するこの仕事をしながら、長期的な目標を持つことは、自分を見失わないために大切だと感じるようになった。

アルゼンチンでのボランティアの様子。子どもたちといっしょに支援対象者の家のペンキを塗った
アルゼンチンでのボランティアの様子。子どもたちといっしょに支援対象者の家のペンキを塗った=2015年撮影、筆者提供

日本で育った自分の「良さ」を生かす

私は、大きな目標や理想はいつも忘れず、でも日常では日々の小さな仕事や課題に取り組んでいくことが最終的に社会を良くすることにつながると考えている。

大学院ではジェンダー学を専攻した。日本の中でも家父長的な色の強い地域で生まれ育った私には、イギリスで学んだヨーロッパのフェミニズムは価値観や選択肢を広げてくれた。しかし、そうした価値観と、日本社会で女性たちが日常で直面する不条理や苦悩とを直接結びつけることは困難だった。

目標に向かっている途中での妊娠をきっかけに退職した女性の行き場のない思い、夫婦間の経済的格差のためにパートナーに自分の意見を伝えづらいと負い目を感じてしまう女性たち、幼少期に受けた性暴力に今もトラウマを抱える女性たち、子育ての責任を一手に引き受けなければいけない女性たち――。

不条理の中で静かに、そして強く生き続けている日本の女性たちが願う社会と現実の間には大きなギャップがある。どの国で仕事をしても、理想と現実のギャップを根気強く調整し、なくしていくことが大切だという大学院の研究で得た学びは、今の仕事でも生きている。

どの国でどんな仕事をしていても、根気強く自分の「良さ」を見つけ続けていきたい。

私は山口県で生まれ育ち、20歳で初めてパスポートを持った。この業界の中では言語的にも文化的にも力不足のように感じ、辛い時期も長かった。勤勉で真面目な良さが私にもあるが、謙虚さが足かせとなり前に出ていけない時も多い。

ヒエラルキーにも配慮する。それはむしろ良いことであり、日本人としての自分の強みだと思う。でも、その性格と、国際組織の中で働いていくために必要な「主張」とのバランスを取ることが今の自分の課題だと思っている。

自分の良さを理解し、できることをアピールし、つらいことがたくさんあっても仕事の実績を残し次につなげていく必要がある。それを繰り返しながら、10年以上後の長期的な目標へ向かっていく。日本という一つの国で生まれ育った私は、そうした多国籍のカルチャーと自分の性格を調整することに大きなエネルギーを要しているが、長い時間をかけて最近ようやく少し上手に調整できるようになったような気がする。

南部ミコライフ州の病院の壁に残っていた弾痕とみられる穴
南部ミコライフ州の病院の壁に残っていた弾痕とみられる穴=筆者提供

日本のみなさんに伝えたいこと

遠い国ウクライナで起きている戦争は、なかなか現実味がないと想像するが、時折、ウクライナで暮らす人々について寄り添ってほしい。

「もし自分がそこにいたら」。優しかった夫が徴兵後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)により暴力を振るうようになった。近くに唯一あった病院が破壊されてしまい、妊婦健診を受けられなくなってしまった。安全のために異国へ子どもを送り出すことができたが、まだ幼いわが子のことが心配である。高齢の両親は移住したくないと言って危険地帯にとどまっている。日常の中で人々は、大きな不安を抱えながら生きている――。

それでも力強く生きているウクライナの人々に、時折思いを寄せてほしい。そして可能な範囲で、ウクライナに関わるボランティアや寄付に参加してほしい。

2023年度、日本政府の補正予算から UNFPAウクライナ事務所へ 61万5000ドル(約8426万円)の拠出が決まった。日本国民の思いは、妊婦及び新生児を守るために欠かせない物品の調達に充てられ、約27万人のウクライナの女性たちに届く。

安全な場所で出産するために故郷から移住せざるを得ず、家族や友人もいない環境で出産をしなければならなかった女性たち、戦争の影響で増えている未熟児。日本国民の思いが遠く離れたウクライナの女性や子どもたちの命、健康を守る物資として届いていることを、改めてここでも書き留めておきたい。

年が明け、クリスマス以降閑散としていたオフィスにも、休暇から同僚たちが戻り活気づいている。

長期にわたる戦争。次のプロジェクト資金を得るための申請準備や、ウクライナ再建の計画づくりなど、職員はそれぞれの役目に忙しく過ごしている。私自身も新たな業務や、引き続きキーウでの生活に慣れるために忙しく過ごしているが、大きな目標や理想は忘れずに、でも日常の一つひとつの仕事に丁寧に取り組んでいきたい。その積み重ねが社会を良くすることにつながると信じているから。