1. HOME
  2. People
  3. 死体写真家の釣崎清隆氏、ウクライナ東部で人々の「生」を撮影「祖国愛に心打たれた」

死体写真家の釣崎清隆氏、ウクライナ東部で人々の「生」を撮影「祖国愛に心打たれた」

People 更新日: 公開日:
結婚式を挙げたウクライナ兵の男性と女性
結婚式を挙げたウクライナ兵の男性と女性=5月、ハルキウ、釣崎清隆さん撮影

人の死体をテーマに世界各地で撮影を続けてきた写真家の日本人男性がこのほど、ウクライナに向かった。ロシア軍の侵攻によって多くの人が犠牲になる中、男性がファインダーを向けたのは、人々の生きる姿だった。

写真家は東京在住の釣崎清隆さん(55)。1994年、雑誌の仕事で初めて死体を撮ったのがバンコクで、殺人事件の被害者が被写体だった。

死体を撮ることに躊躇はなかった。「死体は誰もが目を背ける、過激なパワー故に、いわば究極の被写体であり、取り組むことに表現者としてやりがいを感じている」と釣崎さんは話す。

死体そのものも興味深いが、死体をとりまく環境、親族や現場に群がる見物人、警察官、レスキューの様子から死者に対する生者の向き合い方にもそれぞれの国柄や民族性、哲学や精神性が反映しているのを感じ、全体として作品のテーマにするようになったという。

取材に応じる釣崎清隆さん=6月、東京・築地、関根和弘撮影
取材に応じる釣崎清隆さん=6月、東京・築地、関根和弘撮影

その後も麻薬戦争真っ只中のコロンビアやメキシコ、ソ連崩壊後のロシア、アメリカ同時多発テロ(9.11)直後のパレスチナなどを訪問。交通事故や事件、自殺の現場、紛争地域へと足を運んだ。国内では、自殺の現場として知られる青木ヶ原の樹海や、東日本大震災の被災現場を訪れた。

時代とともに、日本だけでなく、海外でも死体写真へのタブー視が強まった。釣崎さんはそれでも、「『死』はやがては誰にでも訪れる日常の延長なのに、きれいごとしかまかり通らないホワイトウォッシュ(漂白)によって、想像しにくくなっている」との問題意識から、撮影を続けてきた。

活動の集大成とも言える作品集「THE DEAD」を4年前に出版したころ、死の裏表の関係である「生」についても目を向けるようになった。

「死体がある現場では、生き生きとした人々を目撃してきました。街角の犯罪現場に遭遇し、遺体を前に喜怒哀楽、様々な感情を抱きながらたたずむ人たち。あるいは紛争地でたくましく生きる人たち…」

そんな記憶から、「THE DEAD」の対になる作品集「THE LIVING」を出版しようと準備をしていた。その矢先、ウクライナ侵攻が起きた。

「戦争という最大の国難を前に連帯を強めるウクライナ人を見て、『生きる』というテーマに合った写真が絶対に撮れる」。釣崎さんはそう確信した。

5月1日に日本を出発し、いったんポーランドへ。ワルシャワから陸路でウクライナのキーウ(キエフ)に入り、そこから列車で戦闘が激しく続く東部へと向かった。

東部最大の都市ハルキウ(ハリコフ)を中心に約20日間滞在。ロシア軍によって破壊された建物が生々しく残る中、たくましく生きる子どもたちや、地下鉄で辛抱強く避難生活を続ける人、結婚式を挙げる若者たちの姿などを撮影した。

ウクライナの地図=Googleマップより

釣崎さんは言う。

「女性や子どもたちが国外に避難しているというニュースがよくありますけど、女性も子どもも思ったより多く目撃しました。子どもは建物の瓦礫(がれき)なんかで遊んでいて、戦時と言えど、彼なりに日常みたいなものを崩さないというか。大人たちも戦意高揚をさせようという雰囲気もなく、淡々と生活している姿にたくましさを感じました」

「やっぱり、根底にあるのは祖国愛なんだと思います。彼らはロシアから核の恫喝を受けているけど、それに屈しない。ひるがえって、日本の一部の論調に、『人命尊重のために戦争を早く終わらせるべきだ』というものがありますが、現地で彼らの姿を見て、そういう考えが恥ずかしく思いました」

破壊され、そのまま放置された戦闘車両の横を通りかかるウクライナの若者
破壊され、そのまま放置された戦闘車両の横を通りかかるウクライナの若者=5月、ウクライナ東部マラヤロハニ、釣崎清隆さん撮影

出版を予定している「THE LIVING」には、ウクライナの撮影分のほか、パレスチナやコロンビア、メキシコなどでの写真も加える。出版のための資金はクラウドファンディングでも募っている。

釣崎さんとの主なやり取りは次の通り。

――ウクライナのどんな場所で撮影してきたのですか。

東部の都市ハルキウを中心に撮影してきました。5月1日に出国して、帰国したのが5月21日です。

行きは飛行機でポーランドへ。首都のワルシャワから長距離バスでウクライナの首都キーウに移動しました。

そこから列車でハルキウに向かいました。現地では、支援物資を配るボランティアと接触し、ドライバーを紹介してもらい、彼が撮影場所にも連れて行ってくれました。

あとは地元メディアのカメラマンにも助けてもらいました。戦争が始まるまで、彼はミュージシャンを撮影していたのですが、今は戦場カメラマンになっています。

撮影ポイントに関する情報などをウクライナ側に頼るとなると、これは戦争ですから、ある意味、ウクライナのプロパガンダに乗せられる可能性もあると思うんです。でもそれは十分覚悟した上でのことです。

僕がカメラマンとして表現したいのは、戦争の真実というよりも、善悪を超えた美であり、戦火で生き死にする人々の輝きなので。

前線でロシア兵の死体を撮りました。ロシア軍の撤退時に置き去りにされたものです。 僕はこれまでも多くの死んだロシア人を撮ってきましたが、異境の地に斃れた彼らと出会って、格別な悲哀をおぼえました。かと思えば、ほど近くで遺棄された戦車を金に換えようと解体作業している住民のたくましい姿を目撃する。「つわものどもが夢の跡」です。

破壊・放置されたロシア軍の戦車を解体するウクライナ住民
破壊・放置されたロシア軍の戦車を解体するウクライナ住民=5月、ウクライナ東部マラヤロハニ、釣崎清隆さん撮影

――ハルキウを選んだのはなぜですか。

僕がウクライナ入りしたときは、キーウ周辺はほぼ平穏になり、撮りたいものが撮れないなと思ったからです。

今も激しく戦闘が続く東部を行き先に決めたのですが、ドンバス地方は現地のアシ(移動手段)の都合がつかず、ロシア軍の占領地域には侵入が困難だということでハルキウにしました。

ハルキウ周辺には、ウクライナ軍によって解放された村があるんです。解放後なら私たちカメラマンや取材記者も入れるので、それによって被害の全貌が明らかになります。

住民の虐殺が明らかになったキーウ近郊のブチャのようなことが、ハルキウ周辺でも起きていたということです。

それが事前に予想されたので、ハルキウを拠点に、デルハチやマラヤロハニなどの周辺の村を動きました。

ロシア軍によって接収され、宿営地として使われていた学校の校舎内部
ロシア軍によって接収され、宿営地として使われていた学校の校舎内部。その後ウクライナ側が奪還した=5月、ビリヒフカ、釣崎清隆さん撮影

――具体的には何を撮影したのですか。

ウクライナ住民の暮らしぶりを、破壊された建物や大破して放置された軍用車両を背景に入れて撮影しました。そしてロシア兵の死体ですね。

住民がシェルター代わりに使っているハルキウの地下鉄駅も撮影しました。ハルキウ市内に地下鉄の駅は複数あって、閉鎖中の一部を除き、シェルターとして開放されています。

僕は3カ所行きました。そこでは隙間なく人が寝泊まりしていて、電気はつくので、みんな大きな電源タップを持ち込んで、タブレットやスマホを充電していました。

ハルキウの地下鉄「ヘロイブ・プラツィ」駅で避難生活を送る人たち
ハルキウの地下鉄「ヘロイブ・プラツィ」駅で避難生活を送る人たち=5月、釣崎清隆さん撮影

2カ月ずっとそこに人々がいるわけです。それなりに悪臭がするんですよね。人の体臭もそうですし、トイレが一番難しいですよね。

公衆トイレのほか、簡易トイレもあるんですが、たくさんの人が出入りしているので限界があるのでしょう。線路に降りて、奥の暗がりでやっている人もいました。地下鉄が実際に防空壕として機能し、まさに戦時下だと感じました。

ハルキウの地下鉄「ヘロイブ・プラツィ」駅で避難生活を送る人たち
ハルキウの地下鉄「ヘロイブ・プラツィ」駅で避難生活を送る人たち=5月、釣崎清隆さん撮影

地上で生活している人もたくさんいました。攻撃を受けたアパートにそのまま住んでいたんです。

建物の一部が攻撃で壊れたとしても、自分の部屋が無事な場合はそのまま住み続けているようでした。攻撃を受けても、電気も含めて生活インフラが大丈夫だったら、自分の家に住みたいですよね。お風呂だって入りたいだろうし。

ハルキウの地下鉄「メトロブディブニキウ」駅で避難生活をする人たち
ハルキウの地下鉄「メトロブディブニキウ」駅で避難生活をする人たち=5月、釣崎清隆さん撮影

ちなみに僕が滞在していたとき、ハルキウにある種子銀行の貯蔵庫がロシア軍に攻撃されるということがあったようです。

世界の貴重な植物の種を集めている研究所で、第2次世界大戦のとき、ナチス・ドイツでさえ攻撃しなかったとか。そこにロケット弾が打ち込まれたというのがニュースでやっていました。

――撮影はどんなシーンを狙ったのでしょうか。

女性や子どもが国内外に避難しているというニュースをよく見たかと思うのですが、思ったより女性も子どもも残っているなという印象でした。

なので、子どもががれきで遊んだり、シェルターの中で遊んだりしている姿を写真に撮りました。戦時という異常事態の中でも、彼らなりに日常を崩さないというか。そういうたくましい姿がありました。

あとは破壊されたロシア軍の運用車両が放置されている風景ですね。若者が普通に通り過ぎている時を撮影しました。

破壊され、そのまま放置された戦闘車両の横を通りかかるウクライナの若者
破壊され、そのまま放置された戦闘車両の横を通りかかるウクライナの若者=5月、ウクライナ東部マラヤロハニ、釣崎清隆さん撮影

こういう戦争の爪痕みたいなものを住民たちは毎日見て、さぞかし恐怖や憎悪の感情でいっぱいなのだと想像しませんか?

実際はそうではありません。僕がいままで歩いてきた世界中の修羅場でもそうでしたが、人々は淡々と日々を過ごしていて、むしろ平時より生き生きして見えることもあります。日常を取り戻す、平時であるかのごとく強く振る舞おうという意志が感じられます。「我々は傷ついたけど大丈夫。立ち上がるんだ、勝利をつかみ取るんだ」と。それは戦意高揚というよりも自然な「正常化」とでも言いましょうか。

あと結婚式も撮りました。予想以上に多かったです。僕が撮影した日だけでも何組も式を挙げていました。役所の中に小さなチャペルがあって、次々と結婚式を行っていました。「戦時ユートピア」とでも呼べそうな不思議な空間でした。

ロシア軍による侵攻が続く中、結婚したウクライナの男女
ロシア軍による侵攻が続く中、結婚したウクライナの男女=5月、ウクライナ東部ハルキウ、釣崎清隆さん撮影

――「生」をテーマに考えたとき、ウクライナを撮影場所に選んだのはなぜですか。戦場ですから、むしろ「死」に遭遇する場所だと思うのですが。

もちろん、両方を撮影しようという思いで行ってはいるのですが、一方で、「生」というテーマでも、絶対に人々の生き生きとした姿が撮れるに違いないという確信はありました。

それは30年間、死体の現場を撮り続けてきたからこそわかるんです。これまで僕は「死」というものにフォーカスしてきましたが、実はそうした現場では、人々の生き生きとした姿も見られるということを知っていました。

中南米でもタイでも、それは世界中どこでもそうでした。死体を取り囲み、喧噪の中、怒りや悲しみ、嘆きなど、様々な感情をあらわにする人たち…。モラルの問題は別にして、ものすごくダイナミックでたくましい、人々の「生」があるなと。

そしてウクライナでも狙い通りでした。特に人々の連帯感には圧倒されました。国を挙げてウクライナを勝利に導こうという思いがものすごく伝わってきました。

破壊された民家を眺めるウクライナ人ら
破壊された民家を眺めるウクライナ人ら=5月、ハルキウ空港近く、釣崎清隆さん撮影

厭戦気分みたいなものはありません。若手ミュージシャンのコミュニティーと接触しましたが、反戦的な歌を歌う人は一人もいませんでした。

旧態依然とした、 例えば先の大戦のファシズム的な感じではなくて、もっとカジュアルなイメージです。

髪の毛を派手な色に染めたような女性たちや、ファンキーな若者たちが軍務に服したり、ボランティア活動をやったり。

もしかしたら日本人はそういう姿を「怖い」とか思うかもしれませんが、すごいと思いましたし、正直うらやましかったです。

ロシアによる核攻撃の恫喝にも屈しないじゃないですか。普通はたじろいだり、譲歩したりするんでしょうけど、彼らは神話的と言ってもいいほど、 そういうものに屈しない姿勢を見せている。立派な態度だと思います。

根底には祖国愛があるのだと思います。心を打たれますよね。

ひるがえって日本では、ウクライナに対して説教をする人もいますよね。人命を尊重するなら戦争を早く終わらせる必要がある、と。そういった、上から目線の敗北主義論は醜悪であると同時に、とても危険です。現地に行って確信したのは、それでは人命は守れないということです。むしろ人命を守るために戦っているんですよね。

占領されたらどうなるのか、白旗を上げた後、どうなるのか。それに対する想像力がまるでない。

取材に応じる釣崎清隆さん
取材に応じる釣崎清隆さん=6月、東京・築地、関根和弘撮影

――ウクライナで今起きていることを実際に見られて、率直に何を感じましたか。

ウクライナとロシアとの戦争という以上に、世界史的な分水嶺になるだろうなと思いました。もしかしたら第3次世界大戦がこれから起きるかもしれないということや、ナショナリズムに対する見直しとか。

反グローバリズムの動きはもうすでに始まっていて、例えば「トランプ現象」などはそうですよね。それと同時に、ウクライナ人が今、ロシアから自分たちや国を守ろうとする姿を、世界中が見ているわけです。そういう意味で歴史的な価値観の転換になる気がします。

一方で、もし、今の日本でこういうことが起きたとき、どうなるんだろうと。僕は今、ものすごくこの国を憂(うれ)いています。