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ドイツの男女平等推進に影落とす保守的な価値観 アップデートはまず「言葉」から

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 更新日: 公開日:
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写真はイメージです=gettyimages

「時短」勤務から抜け出せない女性たち

日本の人から「ドイツのほうが女性は暮らしやすいでしょう?」と言われることがあります。2023年のジェンダーギャップ指数は、日本が146カ国中125位であるのに対し、ドイツは6位です。

確かに日本よりもドイツのほうが女性の政治家が多いですし、企業に関しては「監査役会にて男女の比率をそれぞれ30%以上にすること」というクオータ制が設けられるなど、日本よりも女性が社会で活躍しやすい面はあります。

その一方で、ドイツのすべての人の「男女平等マインド」が追いついているのかというと、決してそうではありません。ドイツで子供を持つ女性は「時短」で働くことが多いですが、このことについて、ドイツでは近年、様々な問題点が指摘されています。

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ベルリン・フンボルト大学の教授でベルリン社会科学研究センターの会長でもあるJutta Allmendinger教授は公共放送ドイチュラントラジオのインタビューで、次のように語っています。

「多くの企業は時短で働いている女性に対して、何年たっても単調な仕事しか与えない傾向があります。つまり、時短勤務をしている女性に対して今後のキャリアに役立ちそうな仕事、将来の昇給に役立ちそうな仕事を振らないのです。女性は時短を選ぶと『時短から抜け出せない』のです。(中略)多くの女性は『現在は時短で働いているけれど、しかるべきタイミングに昇給を求めたい』と考えていますが、それがかなうことは少ないのです」

またドイツ社会では「仕事の量が少ない人、つまり時短で働いている人が家事や育児に時間を割くべきだ」という暗黙の了解が根強くあり、保守的な傾向が目立ちます。

ドイツが欧州諸国に後れを取った特有の事情

今でこそ少なくなったものの、1980年代や1990年代のドイツではまだまだ「小さな子供を保育園に預けるのはかわいそう」という感覚が市民権を得ていました。これは北欧諸国やドイツの隣国フランスでは見られない考え方でした。

ドイツで長いあいだ保守的な考え方が主流だった背景には、ドイツ特有の事情があります。それはドイツがベルリンの壁によって28年にわたり東と西に分断されていたという過去です。

もっとも、まだ壁が建設されていなかった1949年に東ドイツでも西ドイツでもそれぞれの憲法で「男女の平等」は法律で定められました。しかし、男女平等に関して二つの国はある意味、対照的な歩みを見せます。共産圏であった東ドイツでは子供を保育園に預け、女性も男性と同等に外で働くことが「普通」でした。1970年の東ドイツでは80%以上の女性が職業に就いていました。

東ドイツでは1950年代に「母親が専業主婦だと子供が自己中心的になる。なぜなら母親が社会に貢献していないからだ」というメッセージのもと大規模な「反専業主婦キャンペーン」すら行われていました。

一方の西ドイツは当時かなり保守的で、女性が仕事をする際は夫の許可が必要でした。夫の許可がなくても妻が働けるようになったのはなんと1977年です。

1977年までの西ドイツにおいて女性の仕事は「夫婦関係や家庭に差し支えない範囲であること」が義務づけられていました。そのため高度成長期であるにもかかわらず、1960代の西ドイツの女性の就業率は33%にすぎませんでした。

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当時の西ドイツの「小さな子供を保育園に預けるのはかわいそう。母親が家で面倒を見るべき」という社会の共通認識に拍車をかけたのは隣国である東ドイツの存在でした。

西ドイツでは当時「東ドイツでは母親から引き離され保育園に預けられた幼い子供たちが、みんな一斉に決まった時間に『おまる』に座らなければいけない」ことが、子供の意思や人格を無視した保育事例として、ある種のホラーのように語られていました。

共産主義であった東ドイツが「女性も男性と同等に働けるような体制をとっていた」のは、女性のためを思ってというよりも、単に「国のために労働力が必要だった」という事情があります。でも「女性の立ち位置」という観点から見ると、結果的に西ドイツよりも東ドイツのほうが、女性が社会進出をしていたため男女平等が進んでいたことは否めません。

「言葉」を変えて問題を直視する

日本では、女性の生き方について何かと周囲から「茶々」が入ることが多いです。残念ながらドイツも似たような状況です。

女性が子供を産まないと表明すれば「自己中心的」という言葉が飛んでくることもありますし、子供を産んで仕事をフルタイムで続けていれば「子供がかわいそう」という声が聞こえてきます。そして子供を産んで「時短」で働くと、ドイツでは「時短で働くと、あなたの将来もらえる年金額が減るよ。老後どうするつもりなの?」と周囲から厳しい声が上がるのです。

「女性がすること」について厳しい声が多い中、「根本から状況を変えよう」という動きもあります。冒頭のクオータ制などもそうですが、ドイツ特有なのは「ドイツ語の言葉そのもの」を変えようとする動きがあることです。

それというのも、ドイツでジェンダー問題を考える時、ドイツ語特有の文法がネックになっているのです。例えばドイツ語で「男性の先生」はLehrer、「女性の先生」はLehrerinです。

ところが、従来のドイツ語だと「男性の先生と女性の先生を含む複数の先生たち」つまり複数形もLehrerといいます。女性が含まれているにもかかわらず、単語だけを見ると「男性の先生」を思い浮かべてしまう、という問題点があるのです。

そこで「複数の先生」の中に「女性も含まれている」ことを明確にさせるために、Lehrer und Lehrerinnen(和訳「男性の先生たち及び女性の先生たち」)と書くこともありますが、近年はこれを簡略化してLehrer:innenという書き方が多く見られるようになりました。

「生徒」という言葉に関してもしかり。ドイツ語で、単数で「生徒」という言葉はSchüler(男子生徒)または Schülerin(女子生徒)です。ところが複数形は女子生徒が入っていても、Schüler(生徒たち)であったため「複数形を聞いた人が自動的に女性ではなく男性を頭に思い浮かべてしまう」ことが実験でも分かっています。そのため最近はSchüler:innenという書き方をすることが多くなりました。

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しかし単語の真ん中に「:」(コロン)があることから、ドイツでは「言語としておかしい」「ドイツ語が乱れている」といった批判の声もあり、「そもそも女性が神経質で細かいから、言葉をいじるという事態になってしまった」とその怒りを「女性」にぶつけてくる人が目立ちます。ドイツ語という言語がアップデートされ「今風」になったことに対する怒りを強く持っている人がいるのです。

ドイツでは「文法」以外の面でも「言葉の使い方を変えよう」という動きが強まっています。ドイツに限らず、世界各国で「夫やパートナー、元夫や元パートナーからの暴力の末、殺されてしまった女性」が後を絶ちません。しかしドイツのメディアは長らくこのような事件、つまり夫が妻を殺してしまった際にFamilientragödie(和訳「家族の悲劇」)、Familiendrama(和訳すると同じく「家族の悲劇」)、Beziehungstat(和訳「恋愛関係のもつれの末の行為」)という言葉を使ってきました。

しかし、こういった言葉を使うことは「男性が女性を殺した」という深刻な問題を直視しておらず、問題を矮小化しているという声が女性ジャーナリストを中心に上がっており、現在はFemizid(英語でいうfemicide=フェミサイド、女性であることを理由にした殺害のこと)という言葉を使うべきだとされています。

「言葉から変えていこう」という話になると、必ずといっていいほど「言葉を変えなくてもいいのではないか。原因は言葉ではないはず」という反論があるのですが「問題を直視する的確な言葉を使う」ことが男女平等を目指す際に必須なのは言うまでもありません。

日本語でも同じことを感じます。日本では「セクハラ」や「マタハラ」など「和製英語化した省略」がよく見られますが、「セクハラ」は「性的嫌がらせ」、「マタハラ」は「妊婦に対する嫌がらせ」というふうに、あくまでも日本語で言うほうが、深刻さが伝わるのではないかと考えます。