人々が行きあう街中に、ある日、寝間着姿の高齢者が横たわったベッドが現れる。けげんそうな顔で遠くから眺める人、気づかないふりで通り過ぎる人。やがて心配して声をかけた人に、高齢者が言う。「そこのバッグに入っている写真をとってくれませんか?」
人生の喜びや悲しみ、孤独や不安――。高齢者の抱える思いに耳を傾け、その「声」を社会に届けるような作品づくりに取り組んできたアーティスト、デイビッド・スレイターさん(70)が約10年にわたり上演してきた演劇「BED」の一場面だ。
ロンドン南東部を拠点に、地域に根付いた参加型のアート活動を行う団体「エンテレキー・アーツ」を約35年前に創設。数年前まで、ディレクターとして多くの作品やプロジェクトを実現させてきた。「BED」はエンテレキーで活動する高齢者と創作。通行人との会話は、本人の人生と、創作した内容を織り交ぜたもので、やりとりに応じて変化する、即興性を含むパフォーマンスだ。
「高齢者の歩んできた人生、そして『現在』が、社会の中で透明な存在になっている。でも、劇場で作品を上演しても、関心のある人しか見に来ない」。そう感じたことが出発点になった。
拠点とするアートセンター屋内での上演から始め、徐々に街中へと舞台を広げた。「おじいちゃんと話をしなきゃ」と言う若者、自分にも同じ経験があると語り出す人、お茶を買ってこようとする人。スレイターさんは「上演する度に通行人から異なる反応があり、世代を超えたたくさんの素晴らしい瞬間が生まれた」と振り返る。
2021年、日本でやはり高齢者と演劇を作っている菅原直樹さん(40)の作品を元に、菅原との共同演出で上演した「Theatre of Wandering」は、行方が分からなくなった認知症の妻を、高齢の男性が知り合いの女性と街の中で探す物語。行政の全面的な協力を得て、イングランド中部コベントリーの街頭で上演した。
約1年半をかけて地域の高齢者だけでなく、医療関係者や警察とも交流し、作品を練り上げた。警察官や商店の人など、本人役で出演してくれた人もいる。「認知症の家族がいる人は多いのに、自分の経験を誰かと共有できる場所が社会にはないのではないか――。そんな問いを投げかけるような作品になったと思います」
60歳以上限定のダンス集団 プロをも刺激
身体機能の低下や、記憶力の衰えといった加齢に伴う変化をネガティブなものとして捉える空気は、アートの世界とも無縁ではない。しかし、高齢者による表現に光があたることで、プロの世界にも変化が生まれている。
ロンドン北東部エンゼルにある、ダンス専門の劇場サドラーズ・ウェルズが35年前に創設した、60歳以上のアマチュア・ダンス集団「カンパニー・オブ・エルダーズ」。マシュー・ボーンをはじめ世界的に著名な振付家・ダンサーと協力関係を結び、優れた作品をプロデュース・上演している欧州有数の劇場が取り組む、コミュニティーに開かれたプログラムを象徴する存在だ。現在、オーディションで選ばれた60〜80代の22人が所属する。
2023年11月下旬、練習中のスタジオを訪れると、アップテンポの音楽に合わせ、腰を回しながら小刻みにステップを踏む人、腕を波のように柔らかく動かす人。ルーツやジェンダー、見た目も様々な身体から、次々と動きが生まれ出す。
2020年に入団した大西敬子さん(75)は英国在住歴が40年を超す。
金融機関でのフルタイムの仕事を辞めた後、人とのつながりが少なくなったと感じていた。数年前、カンパニーの公演を見て感動し、オーディションを受けたという。ヨガの経験しかなかったが「身体が動かなくても、すごく表現しているものがあって。私も出来る、やってみたいと思ったんです」。10代の頃は「すごくアクティブに生きられるのは、45歳ぐらいまでだと思っていました」と笑う。
2023年9月に加わった岡本久美さん(69)は、大人になってからバレエを始めたというダンス好き。「コミュニティーセンターに色々なコースはあるけれど、ダンスのクラスは少ないし……。ここでは見たこともないような踊りを、教えてもらえます」
国内外の第一線の振付家との創作が、カンパニーの大きな特徴。作品は世界各地で上演され、高齢者によるダンスの先駆的存在として注目されてきた。
カンパニーのマネジャー、エレイン・フォーリーさん(35)によると、彼らとの創作を望むアーティストは少なくない。「プロ集団のダンサーは色々な点で、画一的になりがち。世代も身体も異なる彼らとの創作は挑戦であると同時に、非常に刺激的だからではないでしょうか」。現在のメンバーに、専門的なダンスの訓練を受けた人はいない。「でも、みんな色々な職業の『プロ』として生きてきた。彼らの人生経験を引き出していく振付家もいます」と語る。
高齢者のダンスへの注目の高まりは、プロの世界にも影響を及ぼしていると話すのが、ラーニング&エンゲージメント部門のディレクター、ジョス・ジャイルズさん(46)だ。「以前は30代後半で引退するプロダンサーもいた。この10年で、50代になってもキャリアを続けることが特異なことではなくなってきた」
新たなつながりと居場所 心身に好影響
2023年11月の昼下がり、ロンドン南東部の住宅街にあるオールバニー劇場のカフェで、20人ほどの高齢者が思い思いに絵筆を振るったり、紅茶を飲みながらおしゃべりをしたりしていた。
部屋に流れるクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」を軽く口ずさみながら、参加者のモイラ・リオーダンさん(66)が緑色の絵の具をつけたスポンジをスタンプのように使い、画用紙に模様を描いていく。この日は、翌月に控えたイベントを飾る作品づくりの真っ最中。「心地よい暖かさ」というテーマを表現しようと、黄や赤の絵の具で炎のような形を描く人や編み物をする人もいる。そばにはアーティストやスタッフが付き添っていた。
高齢者たちは、劇場と、ここを拠点に活動する芸術団体エンテレキー・アーツが共同で行う、高齢者の居場所作りプロジェクト「ミート・ミー」の参加者だ。
リオーダンさんが12年間にわたり介護した母親をみとったのは、2018年。「『介護者』でも『娘』でもなくなった時、自分のアイデンティティーをすっかりなくしたような気持ちになった」と振り返る。この集まりには、友人の勧めで参加するようになった。絵を描くのと同じくらい、みんなで古い映画を見て、感想を語り合う時間も気に入っている。「ここでは自分が求められている、大切な存在だと感じることができる。本当に素敵なことです」
コロナ禍で深まった孤立感や不安を和らげる場になっていると語るのは、約2年前から参加するリタ・コックスさん(73)。「この集まりのお陰で、強い恐怖を克服し、再び外に出かける自信を持つことができました」と振り返る。
ミート・ミーは2013年、劇場の地元ルイシャム区が、経費節減のために高齢者向けのデイケアセンターの閉鎖を計画したことがきっかけで生まれた。
閉鎖後に高齢者たちをどう支えるか、区が地域芸術団体にアイデアを求め、それに応えたのが劇場と、それまでも高齢者とアート活動を行ってきたエンテレキー・アーツだった。
現在の利用者は、60~90代の約60人。家庭医に勧められた人もいれば、病院や地域と高齢者をつなぐリンクワーカーに提案された人、自ら申し込んだ参加者も。コーヒー・紅茶代などとして、原則1人あたり1日3ポンド(約560円)を払う仕組みだ。食事やトイレなどの介助がいらないことが条件だが、ボランティアの助けも得て認知症の人も受け入れている。
絵画やコーラス、ガーデニングに加え、利用者の希望で陶芸などに取り組むことも。いずれもプロのアーティストが関わるのが特徴だ。行動範囲を広げてもらおうと、近隣の美術館や劇場に出かけることもある。ミート・ミーのプロデューサー、ソフィー・メリマンさん(35)は「アートに引かれてというより人とのつながりを求めて参加する高齢者もいます」。中には「ここにしか行く場所がない」と打ち明ける参加者もいると言う。
活動が高齢者の心理的な面だけではなく、身体にも良い影響を及ぼしていると実感すると言うのは、エンテレキー・アーツのメンバー、ロクサナ・ケネディさん(34)だ。いつも肺や呼吸を気にかけていた女性が、合唱に参加するうち、医師も認めるほど肺の状態が良くなったという。「とても小さなものでも、あるいはたとえ少しずつだとしても、『変化』を見ることができるのは、本当に素晴らしいことです」と話す。