そういえば、ソフィア・ローレンってどうしていたんだっけ?
こう首をひねったのは、ローレン主演の新作ドラマ「これからの人生(英題:The Life Ahead)」の配信が2020年11月13日、米ネットフリックスで始まったからだ。
世界を魅惑する女性の代名詞にもなったイタリアの偉大なスター。ところが、新作に出演するのは、なんと10年前のテレビ映画(訳注=10年に公開の「ソフィア・ローレン 母の愛〈英題:My House Is Full of Mirrors〉」。原作は実妹の自叙伝)以来のことだ。はからずも今回の作品では、前回と同じように彼女の映画への情熱と家族への深い思いが強く結びついている。
86歳になったローレンは、俳優としてのキャリアよりも、長らく家族を優先させてきたことで知られる。しかし、この新作では、その家族愛と映画をいとおしむ気持ちとが一体化されている。それは、次男のエドアルド・ポンティが、脚本の共同執筆者であり、監督を務めていることに表れている。
エドアルドとの共作は、これで3本目。今回は、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストを生き延びたイタリアのユダヤ人女性マダム・ローザを演じている。セネガル人の孤児モモ(イブラヒマ・ゲイェ)を預かり、やがて心の絆で結ばれるようになる。
この映画が発信する「寛容」というメッセージに引かれて復帰を決めたのは間違いない、とローレンは明かす。ただ、個人的なつながりという後押しも必要だった、といささかさびついた英語で電話インタビューに応じてくれた。
ローレンは1962年にアカデミー賞を受賞しただけではなく、現代のポップカルチャーにも影響を与え続けている。(訳注=ローレンが60年代初めに英語で歌った)ヒットソング「ズビズビズー」は、60年代のニューヨークの広告業界を描いた人気の米連続テレビドラマ「マッドメン(英題:Mad Men)」にも(訳注=12年の第5シリーズ第1話で)登場した。
もっとも、ローレンはこれを見ていない。あらゆる流行を追わねばならないというプレッシャーが自分にはないから、と自身の心境を説明する。
いかに気品を失わずに老いるか。息子の演技指導をどう受け止めているのか。今も好きな役柄をいくつか挙げると……。スイス・ジュネーブの自宅と結んだこのインタビューをお届けする。
――映画に出るのを減らすようになったのはなぜか。
転機は1980年。エドアルドが7歳、長男のカルロ・Jr.(訳注=現在は指揮者)は12歳というときだった。
そのころは、こう自問していた。「ソフィア、人生で欲しいものは何なの?」。それは「素晴らしい家族」。もうできていた。「子供を2人ほしい」。それも、もう授かっていた。「でも、子供たちと接する時間がない」
だから、こう自分にいい聞かせた。「これからは、少し仕事のペースを落とそう」と。でも、「少し」ではなかった。もっとシンプル。やめてしまった。
仕事が嫌いということではなかった。スタジオで暮らすことが多かったので、もっと自分の家族について知りたいと思うようになった。「ソフィア、今は演技をするのをやめた方がいい。あとで、取り戻せばよい」といい聞かせる自分がいるのに、驚いたほどだった。
長いこと出演しなくなったけれど、幸せだった。子供が成長し、結婚して彼らの子供ができるのを見守ることができた(この間に、50年連れ添った映画プロデューサーの夫、カルロ・ポンティを07年に亡くした)。
――今は、どんな脚本が手元に届いているのか。
まだたくさん来るけれど、「これからの人生」のように訴えかけてきたものがなかった。だから、ほとんど10年も間が空いてしまった。
私が演じたいと思っているのは、真に心を動かし、挑みかけてくるような役柄。マダム・ローザは、そんなキャラクターだ。さまざまな感情を持ち、ときには互いに矛盾もする興味深い性格。しかも、この映画が問いかけている寛容と愛と人を包み込む力を持っている。
――自身を「完璧主義者」と評することがあるようだが、息子の演技指導とぶつかることは少なくなったのか。母子共作も、これで3本目だ。
確かに、私は完璧主義者。でも、息子もそうなの。エドアルドの場合は、安心感を与えてくれることが大きい。その上で、これ以上はないほどの最高の演技をするまで許してくれない。妥協は一切なし。でも、どのボタンを押せばよさを引き出せるのか、すごくよく知っている。
あるシーンを撮っていて、「うん、これだ」とエドアルドがいえば、待ち望んでいたピッタリの演技をできたことが分かる。女優として確かな手応えを感じるときで、素晴らしい気分になる。
――ビットリオ・デ・シーカ(訳注:伊映画監督。ローレンが主演した70年の「ひまわり〈英題:Sunflower〉」などを手がけた)のような監督は、何を教えてくれたのか。
自身に忠実であり、自分の直感に従うこと。そのときの流れや流行ではなくて。いうのは簡単。やるのは大変。でも、とても大切なこと。
初めてデ・シーカに会ったのは、17歳のときだった(その後、54年の「ナポリの黄金〈英題:The Gold of Naples〉」を始め2人の共作が何本も生まれる)。
デ・シーカは、私にとっては聖なる人。世界で最も偉大な監督。その人が会いたいというので行くと、こういわれた。「そう、ナポリの人なの。じゃあ、君にはこんなのがあるよ」
そんな風にして、私の映画界での歩みが始まった。ビットリオ・デ・シーカとともに。
――個人的な関係がある製作側の人間と仕事をすることが、(訳注=役柄を演じる上で)どれほど大事なことだったのか。実生活で関わりがある人だけではなく、映画を見て知っていた人も含めて。
そういう人たちとの関わりがなくなったことでいえば、それは米国で仕事をするようになってからのことだ。米国の大スターとの共演は、すごく勉強になった。一方で、外国での完全に異質な体験でもあった。
(57年の米映画「誇りと情熱〈英題:The Pride and the Passion〉」で)ケーリー・グラントやフランク・シナトラと一緒に演じたときは、まだ22歳。ほんの子供だった。
英語もひどかった。でも、英語でどんな可能性が開けるのかを見ることができた。言葉の響きと音楽はとても身近に感じられたし、すぐに英語の勉強を始めた。 初めて米国の映画に出るようになって、とても楽しかった。いずれも58年の「楡(にれ)の木陰の欲望(英題:Desire Under the Elms)」「月夜の出来事(英題:Houseboat)」……。もう、全部は思い出せないけれど。
――で、今は?
役柄というのは、個人的にも感情を移入できなければこなせない。骨にしみるほどその役柄を感じ取れてこそ、俳優としてベストを尽くせる。
――そもそも、今の映画やテレビを見ることは?
ニュースは、ほとんどテレビで見ている。最近のテレビドラマでは、(訳注=英女王エリザベス2世の治世を描いた米英合作のシリーズもの)「ザ・クラウン(英題:The Crown)」がとくに面白かった。
――自著の回顧録「Yesterday, Today and Tomorrow(昨日、今日、そして明日)」(訳注=ほぼ同じ題名で監督デ・シーカ、製作ポンティ、主役ローレンの63年のイタリア映画がある)では、俳優としての自らの歩みを、イタリア映画が一世を風靡(ふうび)した特筆すべき時代と重ね合わせ、それを身をもって体験できる特権と名誉に恵まれたと記している。では、今のイタリア映画とその製作者はどうか。それほど関心がないということなのか。
もう、それほど多くの映画や連続ドラマを見なくなっただけ。でも、マッテオ・ガローネ、パオロ・ソレンティーノの両監督の作品は見ていて本当に楽しい。なんと、2人ともナポリの人なの!
――2011年には声優として、米アニメ映画「カーズ2(英題:Cars 2)」のイタリア語の吹き替え版でママ・トッポリーノ役を演じているが、どうしてまた?
アニメを見たことはあまりなかった。だから、この配役のことはあまりよく知らなかった。でも、カーズ2は、孫たちが大好きなアニメの一つなものだから。
――自分のことを信心深いと思うか。宗教的なことへの関わりは。
もちろん、信仰心は厚いつもりだ。教会には行かないけれど、神を信じ、自宅で祈りを捧げている。
――気品を保ちながら年をとろうとあえて意識しているか。
老化のプロセスを受け入れながら今を生きていれば、気品につながるのだと思う。
――09年の米映画「ナイン(英題:Nine)」で共演した英俳優ダニエル・デイルイスのことを絶賛していたが、(訳注=17年に)引退した。今の俳優で同じような存在がいるとすれば、それは誰か。
デイルイスは、今でもとても好き。俳優として復活するかどうかは関係ない。すごい俳優だし、常に敬服に値する人だ。米女優のメリル・ストリープもすごいと思う。大好き。
――若い女優に助言するとしたら、どんなことを。
いうことなんて、何もない。好きで女優の道を選んだのなら、自分の思う通りのことをしなさい。女優としてどう生きるのか。ただその一点を考えながらね。そうすれば、結婚するべきかどうかも見えてくるようになる。なにしろ、人生って一つのことだけではない。すごく多くのことが重なっている。いろんなことが、一度に起きることだってあるのだから。
――自分の作品を改めて見ることは。
自分にはとても厳しくなりがちなので、いきなり見るようなことはしないのが一番と思っている。ただし、自分の映画がテレビで流れるようなときは、好奇心から見直すこともある。子供と見ることは、あるかも。あまりに古くて子供が知らない作品とか。
ときには、あまりに歳月がたち過ぎて、自分のはずなのに、まったくの別人を見るように思うこともある。そんな新鮮な出会いは好きね。
――今も、とくに誇りに思っている演技はあるのか。
「ふたりの女(英題:Two Women)」(訳注:60年のイタリア映画。製作ポンティ)での自分の役は、私にとってとても大きな意味合いを持っていた(このデ・シーカ監督の作品で62年にアカデミー賞・主演女優賞を受賞。第2次世界大戦下で懸命に生きたシングルマザーを演じた)。「特別な一日(英題:A Special Day)」(77年のイタリア・フランス合作映画。製作ポンティ)での演技も、そういえる(〈訳注=1938年ごろのファシスト政権下のローマを舞台に〉隣人がゲイであることを知って、いっそうの思いやりを示す主婦を演じた)。でも、すべては筋書きによって決まるし、デ・シーカのような大監督の腕しだいということでもある。デ・シーカのもとで仕事をするのは楽しかったし、(訳注=ローレンとともにイタリアを代表する映画俳優だった)マルチェロ・マストロヤンニとの共演もそうだった。
――まだ、俳優を続けたいか。
役を演じるのが好きなら、やめることもないと思う。(抄訳)
(Simon Abrams)©2020 The New York Times
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