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高齢者施設であっと言う間に逝った母 ある女性の一生と死 究極の老いを考える 

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
『Vie, vieillesse et mortd’une femme du peuple』=関口聡撮影
『Vie, vieillesse et mortd’une femme du peuple』=関口聡撮影

自由や権利さえも奪われる老いの現状と私たちの役割

老人の問題は老人に任せろと、CNaV(老いに関する「自称」国家委員会)という団体が2年前の暮れに発足し、気炎を上げた。今の社会は若者や働き盛りの人びとに牛耳られ、老人にはどんどん生きにくくなっている。老人の明日は老人自身が決めたい、と体験に基づく様々な提案を試みる市民グループである。自らあえて「老人」という言葉を使う。

ディディエ・エリボンの『Vie, vieillesse et mortd’une femme du peuple(労働者階級のある女の生、老い、そして死)』を読み終わった後、この著作へのひとつの答えが、今進行中のこうした高齢者の横のつながりの動きにあるのではないか、と感じた。

エリボンは社会の少数派問題に取り組み、哲学者ミシェル・フーコーに関する著作などで知られる。父親は工場労働者で、母親も工場労働者、家政婦として働いた。教養とは断絶した家庭環境から逃げ出すように都会へ出て学業を修め、学者になった人だ。

父の死をきっかけに母と絆を結び直した著者は、自分が生まれた労働者家庭という社会環境を個人史を軸に掘り下げた『ランスへの帰郷』(2009年)で高い評価を受け、作品は芝居や映画にも翻案されている。

今回の著作は、母の死が出発点。自立した生活が不可能になり、いやがる母を兄弟で説き伏せて高齢者施設に収容したものの、生きる気力を失ったかのようにあっという間に逝ってしまった母。著者個人の自責の念や怒りの吐露に留まることなく、この女性の肖像を通して、社会学的・哲学的な側面からも究極の老いというものの実態に迫ってゆく。

親に捨てられて施設育ち。横暴な夫と半世紀以上連れ添い、身を粉にして働きながら4人の子どもを育てた。唯一の幸福は、80歳を超えて訪れた短い恋愛の時だけだったかもしれない。

持ち家を夢見ながら生涯、低所得者用の賃貸アパート住まい。老後はテレビ漬けの日々で、自分に「ジプシー」の血が流れていると誇らしげに語ったかと思うと、耳を覆いたくなるような人種差別的暴言を平気で吐く。老いてますます視野は偏狭になるばかり。社会の底辺を這(は)いつくばって生きてきた母は、わずかでも優越感を抱く相手を前にすると、容赦なく蔑(さげす)みの言葉を投げつける。そうした社会的悪循環の悲惨と矛盾を息子である著者は冷徹に見つめる。

さらには、哲学者シモーヌ・ド・ボーボワールらの著作を手がかりに、老いというものを考察する。

個人個人が不自由になった体に閉じ込められている老人たちは、切り離されていてつながることができない。ましてや高齢者施設に閉じ込められれば、ほぼ全面的に自由を失う。時間の感覚も失う。究極の老いは、老いた人自身によってしか語ることができないのに、基本的な自由や権利さえ現実的には剝奪(はくだつ)されてしまう現状は、フーコーが語った刑務所の収容者にも共通する。

そもそも、西欧が基盤を置く哲学体系から老人は排除されている、と著者は指摘する。将来を企てることで自己実現してゆく人間存在の定義に、老人は当てはまらない。

たとえばフェミニストという言葉を掲げて、女性同士はつながれる。だが、抗議デモも署名活動もできない老人たちは、どうやってつながれるというのだろう。階級同士の壁もある。ボーボワールの『第二の性』は知られているが、同じ著者の『老い』はあまり読まれていないという現実も、いかにも象徴的だ。

老いを代弁するのは、まだ自由を失うところまでは老いていない私たち一人ひとりの役割であることを、著者は痛切に訴えている。

フランスのベストセラー(エッセー部門)

 ベスト10から5冊を抽出。2023525日付L’Express誌より

『 』内の書名は邦題(出版社)

  1.  Pagny par Florent

    Florent Pagny フローラン・パニー

    フランスでトップを走る人気シンガー・ソングライターの自伝。

  2. Le Suppléant 

    Prince Harry ヘンリー王子

    あまりに赤裸々な告白が国内でも物議を醸したイギリス国王の第二子の回顧録。

  3. Vievieillesse et mort d’une femme du peuple

    Didier Eribon ディディエ・エリボン

    高齢者施設で逝った母の人生と老人を取り巻く状況を社会学者の息子が分析。

  4. Les Apprentis sorciers

    Alexandra Henrian-Caude アレクサンドラ・へンリアンコード

    メッセンジャーRNAの新型コロナウィルスワクチンに遺伝学者が警鐘を鳴らす。

  5. Zéro contrainte pour maigrir

    Jimmy Mahamed ジミー・マーメッド

    TVでも大活躍の医者が無理なダイエットとは違った健康な体づくりを提唱。

  6. Faites votre glucose révolution

    Jessie Inchauspé ジェシー・インショスぺ

    血糖値の急激な上昇抑制が健康の秘訣と説く若き生化学者の人気本。

  7. Le Dernier Néandertalien

    Ludovic Slimak ルードヴィック・スリマック

    ネアンデルタール人の専門家が長年、真摯(しんし)に化石と向き合った研究過程を語る。

  8. Le Frérisme et ses réseaux

    Florence Bergeaud-Blackler フロランス・ベルジョブラックレール

    ムスリム同胞団の国際化と民主主義に及ぶ危険を分析する研究報告書。

  9. Où va notre argent

    Agnès Verdier-Molinié  アニエス・ヴェルディエモリニエ

    税金の高さではヨーロッパ一 のフランス。国費はどう使われるべきなのか。

  10. L’Usure d’un monde

    FrançoisHenri Désérable フランソワアンリ・デゼラーブル

    2022年のイラン民衆蜂起を背景にイラン国民の実像に迫ってゆく旅行記。