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フランス文学界の巨匠がブルターニュへの愛をつづったら

Bestsellers 世界の書店から
相場郁朗撮影

Chanson bretonne(ブルトンの歌)』は、ノーベル賞作家J.M.G.ル・クレジオの最新作。「子どもと戦争」とともに、2編が収められている。弱冠23歳の時、『調書』でルノドー賞に輝く鮮烈なデビューを果たし、50冊余りの著作がある仏文学界の巨匠は、今年80歳を迎えた。

本書では、子ども時代のバカンスを毎年、ブルターニュ地方のある村で過ごした思い出が、時系列にまとめられた記憶としてではなく、思わず口ずさむなつかしい歌のように語られる。

英仏海峡に突き出たブルターニュ半島はフランスの中でも特異な場所だ。ケルト文化がいまに継承され、人々は強いアイデンティティーを持つ。1960年代くらいまで、ブルトン語が日常的に話されていた。カトリックの伝統も色濃い。さらには先史時代のメンヒルが立ち並び、ドルメンが横たわる。時間と空間に、人類の初源に触れるなにか神秘的な奥行きがある場所だ。

両親の家系がブルターニュ出身ではあるが、作者は南仏ニースから夏休みを過ごしに来る「よそ者」の子だった。その視線を通してこそ、よりブルターニュの魅力が体感される。村の漁師の子どもたち、麦の刈り入れに沸く村の一日、夏の夜の田舎道、海の生き物たちと出合う引き潮の海岸。どれも毎年変わらない村の風景だった。

いまや小さな漁村は消え、農民たちの姿も様変わりした。海にはサーファーたちの姿がある。ル・クレジオは安易なノスタルジーに陥らず、ブルターニュの地に淡々と愛の賛歌を捧げる。なんのてらいもない平易で清涼な文章は、読者の目にも、のどにも心にも、おいしい湧き水のようにしみじみと染み込む。

続く「子どもと戦争」では、幼児期の戦争体験が語られる。40年生まれの作者は、ドイツ軍占領下で、人生の始まりの数年を南仏山中の村に母、祖父母、兄と身を隠して生き延びた。父親が英国籍だったためだ。

孫に野菜を食べさせようと自分は皮だけ食べる祖父母たち。それでも全身をうがつ巨大な空洞のような飢え。運送中の爆弾で爆死したレジスタンスの少年の話。戦争という言葉を知らなくても、おとなの言葉の断片から幼児は何かを察知する。歴史としての事実より、形の定まらない幼児の記憶と体感に忠実に、作家は「戦争」を語ろうと試みた。

■ミステリー作家が描く、フランスの悪夢の1ページ

ピエール・ルメートルはミステリー作家として長いこと活躍してきた。第1次世界大戦直後の壮大な人間悲喜劇を描いた『天国でまた会おう』で、2013年、フランスで最も権威あるゴンクール賞に輝いた。その人物造形力と構成力、読者をぐいぐい引っ張っていくナレーションには定評がある。

『天国でまた会おう』、『炎の色』(18年)とともに、今回の『Miroir de nos peines(我らが苦悩の鏡)』は、ふたつの大戦間を舞台にした3部作を締めくくる作品である。

難攻不落と言われたフランス東部マジノ線を迂回(うかい)する形でドイツがアルデンヌ奇襲により北側から攻め込んだ、1940年の前線の崩壊と混乱と敗退を舞台背景とする。パリは早々に白旗を上げ、フランス北部はドイツ軍占領下に入る。映画『禁じられた遊び』の冒頭シーンのように、市民は果てしない行列を作って、着の身着のまま南へ南へと逃げていった。

その避難民の大移動の中で、登場人物たちの運命が交差する。前線から生きながらえたものの刑務所に放り込まれた、いかにも対照的なふたりの戦友ガブリエルとラウル。母親が生涯胸に秘めていた恋物語の謎をつかれたように追うルイーズ。仏内務省のプロパガンダの一翼を担ったペテン師デジレの姿もある。

むちゃくちゃな状況下で、どの登場人物も運命に翻弄(ほんろう)されながら、悪漢が時に崇高な救世主に転じ、最低のモラルと糾弾されるべき人の行動が思いもよらぬ形で善行に転じるというような、一筋縄ではいかない奥行きを持ち、サスペンスの手法を心得た作家のわなにはまって、読者はページを繰る手が止まらなくなる。

ナチスドイツに抵抗する術を持たずに屈服したフランスの悪夢の1ページが、グロテスクさ、奇想天外ぶり、ユーモアとともに、小説というプリズム装置を通して生き生きと活写される。ルメートル・ファンには必読の書であり、ルメートルを知らない人はこれだけ読んでも十分、この作家の魅力を堪能できるだろう。

■フランスの植民地だったモロッコ

ルメートルよりずっと若手だが、レイラ・スリマニもまた、ゴンクール賞受賞作家(2016年)である。『Chanson douce(邦題「ヌヌ 完璧なベビーシッター」)』は本欄でも取り上げた。

今回の『Le Pays des autres(ちがう人たちの国)は、モロッコ人と結婚したフランス人女性が、夫についてモロッコにわたり、さまざまな困難にぶつかりながら生きてゆくその一家の姿を描く。第2次世界大戦直後、モロッコがまだフランスの植民地であった時代のことである。文化や宗教のちがいはもちろんのこと、宗主国と植民地という関係性が、当然、人と人との関係にも投影され、不自然なゆがみを生んでいた。

スリマニはモロッコ生まれの作家である。現代のフランスを舞台にしたこれまでの作品から、故郷を舞台に歴史の重層性を織り込んだ作品への飛躍を試みた。作家にとって大きな節目となる作品であろう。

フランスのベストセラー(フィクション部門)

6月11日付L'Express誌より。『 』内の書名は邦題(出版社)

1 L'Énigme de la chambre 622

Joël Dicker ジョエル・ディケール

著者の故郷ジュネーブが舞台のミステリー。発売とともにトップに。

2 La vie est un roman

Guillaume Musso ギヨーム・ミュッソ

米仏ふたりの作家がぶつかる困難と創作の秘密に迫るミステリータッチの物語。

3 La Vallée

Bernard Minier ベルナール・ミニエ

『氷結』以来セルヴァズ警部を主人公とするスリラーで知られる作家の最新作。

4 Nos Résiliences

Agnès Martin-Lugand アニエス・マルタンリュガン

平和なカップルの生活が音を立てて崩れる。袋小路から抜け出す手はあるのか。

5 Hunger Games. La ballade du serpent et de l'oiseau chanteur

Suzanne Collins スーザン・コリンズ

世界的ベストセラー3部作『ハンガー・ゲーム』を補足する続編。

6 Le pays des autres

Leïla Slimani レイラ・スリマニ

モロッコ人と結婚しフランス植民地当時のモロッコに渡った女性の闘いの半生。

7 Retour de service

John le Carré  ジョン・ル・カレ

英スパイ小説の大御所がトランプやプーチンの「いま」を舞台にした最新作。

8 Miroir de nos peines

Pierre Lemaitre ピエール・ルメートル

1940年、戦争の狂気に突入するフランスを描く。3部作を締めくくる傑作。

9 Né sous une bonne étoile

Aurélie Valognes オレリ・ヴァローニュ

夢見がちでどうがんばっても劣等生の男の子と彼を取り巻く人々を描く。

10 Chanson bretonne. L'enfant et la guerre. Deux contes

J.M.G. Le Clézio  J.M.G.ル・クレジオ

ブルターニュ地方で過ごした子ども時代の夏の思い出をノーベル賞作家が描く。