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蜷川幸雄さんの高齢者演劇集団に受けた衝撃「人生も年齢とともに輝く」世界で見た実践

World Now 更新日: 公開日:
蜷川幸雄さん(手前右)と「さいたまゴールド・シアター」のメンバーたち
蜷川幸雄さん(手前右)と「さいたまゴールド・シアター」のメンバーたち=2006年11月、さいたま市、寺下真理加撮影

演出家の故・蜷川幸雄さんは2006年、自らが芸術監督を務める「彩の国さいたま芸術劇場」で満55歳以上の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」を創設。しかし、蜷川さんの死去や新型コロナウイルスの流行でゴールドは2021年末に15年間の歴史を閉じました。活動継続が難しい状況だったことは理解していたつもりですが、心のどこかにモヤモヤした気持ちも。この特集の取材でモヤモヤと向き合い、見えてきたことがありました。

私がアートと高齢者の関わりに興味を持ったのは、「さいたまゴールド・シアター」の舞台に触れたのがきっかけだった。

演出家の故・蜷川幸雄氏が2006年、芸術監督を務める「彩の国さいたま芸術劇場」で創設した満55歳以上の演劇集団。「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに、身体表現という方法によって新しい自分に出会う」場をと、広く参加を呼びかけた。同劇場ゼネラルアドバイザーの渡辺弘氏(71)によると、蜷川氏はネーミングの理由を「(クレジット)カードはランクが上がるとゴールドになるだろ?人間も年をとったら一段上がって、人生も輝くべきなんだ」と、語っていたという。

私が観劇したのは、海外公演も成功し、評価の高まっていた2014年。作品は清水邦夫作「鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる」だった。手製爆弾を投げた青年2人が裁かれている法廷に老婆が乱入、検事や裁判官らに次々と死刑を宣告する物語。床にゴザを敷いて料理をし、洗濯物を干す彼女たちの「生活する身体」が、権力の場を覆い尽くしていくすごみに圧倒された。

その後、メンバーを取材する機会にも恵まれた。「第三の人生に出合えた」「今が私の青春」。「再び舞台に」との思いで重い病を乗り越えたと語ってくれた人もいた。

蜷川幸雄さん
蜷川幸雄さん=2011年1月、さいたま市、岩崎央撮影

蜷川氏は2016年に80歳で死去。ゴールドはしばらく活動を続けたが、2021年末に15年間の歴史を閉じた。

最後の舞台は、太田省吾作の沈黙劇「水の駅」(杉原邦生演出)。今この瞬間と、かつて過ごした人生のある季節。二つの時を同時に生きているような、ゴールドの俳優たちの豊穣(ほうじょう)な身体が忘れられない。

メンバーの高齢化やコロナ禍など、劇場側の努力をもってしても活動継続が難しい状況があったのを頭では理解していたつもりだ。一方で、心のどこかにモヤモヤがあった。それは、自分が老いた時、「自分」を感じられる何かを突然失うのではないかという不安だったのだと思う。

この特集は、あれ以来くすぶってきた不安に、向き合う機会にもなった。

ゴールドと同じように公演活動をベースとする英サドラーズ・ウェルズ劇場の「カンパニー・オブ・エルダーズ」は2019年、これまで無制限だった在籍期間に「5年制」を導入した。

入団希望者に扉を開く一方、元メンバーが集まる月1回の活動日を新たに設けたという。「ここでの活動は、彼らの人生の本当に大きな部分を占めている。私たちは非常に注意深くあるべきです。彼らは今も、私たちの劇場の一部」と、同劇場のジョス・ジャイルズ氏。創造集団としての活力と、一人ひとりを人間として大切にする姿勢。そのバランスの中で活動を続けようとする、模索を見た。

「人々は、認知症の人の『出来ない』ことに注目しがちです。でも、自分では伝えられないだけ。その人の奥底には今も、その人自身がいます」。ナショナル・ミュージアムズ・リバプールのキャロル・ロジャース氏の力強い言葉も忘れられない。

取材を通じて実感したのは、何かを表現し、創造的であること自体に限界はないということ。アートならば、1本の指の動き、一筆の色に「私」を宿らせることができるということだ。障壁があれば、取り除いたり迂回(うかい)したりする方法をみんなで考えればいい。取材で出会った人たちが当然のようにそう考え、行動し続ける姿にずっと抱えてきた不安が少し軽くなった気がした。