300のイヤホンを使いこなす「イヤホン王子」
東京都内に住む岡田卓也さん(35)は一日6~7時間ほどイヤホンをつけている。通勤中は騒音をカットできるノイズキャンセリング機能つきのワイヤレスイヤホン、仕事中はお気に入りの音楽視聴用高音質イヤホン、オンライン会議ではマイク性能が優秀なイヤホンと、様々なイヤホンを使い分ける。
300近いイヤホンを持ち、最も高いものは自身の耳にぴったりあうよう耳型をとったドイツ製の特注品で38万円。イヤホンが好きすぎて、大学卒業後に公認会計士の資格をとるために専門学校に通っている時に、大阪・日本橋のイヤホンとヘッドホンの専門店「e☆イヤホン」でアルバイトを始め、そのまま正社員に。今年4月に店を運営する「タイムマシン」の社長になった。テレビ番組などにも出演し、ファンの間では「イヤホン王子」の名で知られている。
岡田さんがイヤホンにはまるきっかけは、大学生の時にさかのぼる。
愛用していた携帯音楽プレーヤー「iPod」の付属イヤホンが壊れた。代わりに、米音響機器メーカー「SHURE」社の当時約1万円のイヤホンを買った。「その時の音のすばらしさに心を奪われ、沼にはまってしまった」
以来、イヤホンを買いあさっている。音の再現性にこだわり、プレーヤーの息づかいやスタジオやライブ会場の雰囲気などがリアル伝わってくるイヤホンを求める。
「e☆イヤホン」は全国4カ所の店舗とオンラインショップももつ年商70億円の世界最大級のイヤホン・ヘッドホン専門店だ。世界2000ブランドの約2万5000点を扱う品ぞろえの良さと、それを店で実際に試聴できることから、世界中から有名ミュージシャンなどがやってくる。
これまで接客や仕入れを担当してきた岡田さんは、最近客の求める音の変化を感じるという。
「キラキラ」「ドンドン」より素直な音へ
これまでは、迫力ある低音とキラキラした高音が強調された、いわゆる「ドンシャリ」系のイヤホンが人気だった。しかし、最近は、「味付け」されていないバランスがとれた音が鳴るイヤホンが売れているという。メーカーもミュージシャンの演奏を最大限に生かすための音響技術とレコーディングエンジニアの意図を忠実に再現できる商品を売り出してきている。
岡田さんは「ドンシャリ系のイヤホンは派手でいい音に聞こえるのですが、ずっと聴いていると耳が疲れてしまう。これだけ、ながら聴きが普及して長時間イヤホンをつけるのが当たり前になると、聴き疲れしない素直な音が求められているのではないか」と話す。
音響機器メーカーのソニーが2019年に米国で200人を対象にした調査では、25歳以下の男女の4割がイヤホン、ヘッドホンの装着時間が一日5時間以上だった。
ソニーパーソナルエンタテインメント商品企画部部長の奥田龍さん(54)は「これまでは音楽を聴くだけだったのが、ポッドキャストやゲーム、動画視聴など、この4、5年で様々なコンテンツを聴くためにイヤホンをつけるようになった。コロナ禍以降はリモートワークが進み、オンライン会議でも使われるようになった」と話す。
売り出される商品も多様化している。
ながら聴きに対応するため、外部からの音も取り込みつつ音楽も高音質で聴けるもの、歩行中や運動中も使える耳をふさがない骨伝導式、対戦型ゲームで敵がどの方向からどのくらいの距離で迫っているかがわかるように空間認識がよりはっきりできるゲーム用、コンテンツに没入できるノイズキャンセリング機能付き、寝ながら聞けるように寝返りを打っても耳の中に収まって外れない「寝ホン」……。
難聴の危機にさらされる若者、11億人に WHOが警告
同時に、イヤホンを長時間、大音量で使うことによる難聴が増えている。
世界保健機関(WHO)は2019年、12歳から35歳で難聴の危険にさらされている人は世界中で11億人に上るというリポートを発表。難聴のリスクが高まるとされる週40時間、音量80デシベルを超えないイヤホン、ヘッドホンの使用を推奨した。
イヤホン、ヘッドホンが原因の難聴はじわじわと進行し、一度聴覚を失ってしまうと回復が難しい。
こうしたなか、各社とも対策に力を入れる。アップルは2020年、iPhoneとヘッドホンやイヤホンで音楽を聴く際に、あらかじめ設定した音量を超えると自動的に音量を下げ、スマホの画面で警告もするようにした。ソニーもイヤホンの音の大きさをスマホのアプリで記録し、WHOが示した音量と時間の限度を超えると通知する機能を備える。
ソニー音響デバイス技術開発部の井出賢二(40)は「周りの騒音をノイズキャンセリングでカットすれば音量を上げずに音楽を聴くことができ、難聴対策に有効だ。ノイズキャンセリング機能を使っても音質を損なわないところまで技術は向上している」と話す。