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音で食事が変わる 介護食に歯ごたえ、ビール美味しく 日本の「音の調味料」研究   

World Now 更新日: 公開日:
咬筋の電気信号を使った咀嚼音フィードバック実験の様子(左上、右上、左下)と介護食
咬筋の電気信号を使った咀嚼音フィードバック実験の様子(左上、右上、左下)と介護食=藤崎和香教授提供

ポテトチップスのパリパリ音を増幅させて食べることで、新鮮さの評価がアップすることを示した「ソニックチップ」研究。オックスフォード大学のチャールズ・スペンス教授(54)らが2008年にイグ・ノーベル賞を受賞したことで一躍有名になり、「音の調味料(ソニック・シーズニング)」に関する研究も盛んになった。イギリスなどヨーロッパには、その理論に基づいて料理を出すレストランもできているが、日本ではまだなじみがない。ただ、後続の研究は着々と進んでいる。

かみ応えに乏しい介護食が劇的変化

ソニックチップの「進化形」と言える一つが、日本女子大学の藤崎和香教授(知覚・認知心理学)らの研究だ。

藤崎さんは国立研究開発法人「産業技術総合研究所」に在籍していた2016年、同研究所の遠藤博史さん、井野秀一さん(現・大阪大学教授)と共に、音で介護食の食感を変える方法を論文として発表した。

実験では、食べ物をかむ時に、ほおの部分で動く咬筋(こうきん)から発生する電気信号を利用した。周波数を操作して、きんぴらゴボウをかむと出る「ザクザク」という風な咀嚼(そしゃく)音を耳にフィードバックさせると、かみ応えに乏しい介護食の食感を変えられることを示した。咀嚼や嚥下(えんげ)機能が低下した高齢者らが「食べる喜び」を再び感じられるようになることが期待できるという。

藤崎さんによれば、ユニークな研究の出発点は、研究所での雑談から生まれた。

藤崎和香教授
藤崎和香教授=日本女子大学心理学科提供

ある日、藤崎さんが遠藤さんの研究室をのぞいた。遠藤さんはそのとき、筋肉が発する電気信号を音に変換できる装置を使っていた。遠藤さんが自分の指の付け根あたりに電極を張り、指を上に動かすと音がした。ピアノを趣味で弾いており、指の動きには自信があった藤崎さんもやってみたが、藤崎さんの指では筋電の音が出なかった。ピアノで使う筋肉ではなかったらしい。

ふと遠藤さんが言った。「咬筋だったら誰でも出るよ」

早速、電極をほおに貼って試した藤崎さんは、ヘッドホンから聞こえてくる音にハッとした。「ザクザク」という、きんぴらゴボウをかむような咀嚼音。スペンス教授のソニックチップを知っていた藤崎さんは言った。

「これを使えば、食感を変えられますよ」

食べる楽しみ再び?医師や看護師から期待の声

研究所内にあるコンビニでお菓子を買ってきて、咬筋の音をフィードバックして食べてみた。なかにはグミもあったが、「かりんとうみたい」という感想が聞かれるほど、かみ応えが感じられたという。

福祉工学が専門の井野さんも呼んで、体験してもらった。研究所ではもともと、高齢者の食事支援などにも取り組んでいたこともあり、介護食に応用することができるのではないか、と3人の考えが一致。研究をスタートさせた。

実験の際には、五目炒め煮やかぼちゃの鶏そぼろ煮などを食べてもらった。いずれもかみ応えはほとんどない介護食だったが、被験者たちからは「歯ごたえがある」「(中に入っている)食材の数が増えたみたいな気がする」といった感想が聞かれた。また、咀嚼音をフィードバックした場合は、食欲を増進させる効果もあったという。

藤崎さんによると、論文公表後、医師や看護師らから期待の声が寄せられた。「お年寄りだけではなく、食道を切除した方など、食べる楽しみが少なくなってしまった方に元気を与えられるから、是非使える技術にして欲しい、と」

実用化に向けては装置の小型化など課題もある。また、咀嚼や嚥下機能がどの程度低下している人であれば試して大丈夫か、といった安全上の問題もクリアしなければならない。一方、実験では被験者らの咀嚼回数が増えていたといい、よくかんで食べる習慣作りや、ダイエットなどにも応用できる可能性もありそうだ。

音と味覚の関係について、藤崎さんは「揚げ物の衣やおにぎりの海苔のパリパリ感、お漬物、ウィンナーなど、音を楽しみにしている食べ物は身の回りに実は多い。ソニック・シーズニングは、食べるという日常の行為を拡張させる体験だが、それは逆に、普段の自分たちの食生活や食体験を見直す良いきっかけにもなる」と話す。

音の高さと、苦みや甘みといった味覚の関係の研究も進んでいる。

スペンス教授らは苦さの異なるベルギービールを使い、参加者に味とマッチする音の高さをチューニングしてもらう実験も行っている。2016年発表の論文によれば、苦いビールには低い音、甘いビールには高い音を選択する傾向が確認できたという。ただ、それがどんな原因によるものなのかは、さらなる研究が必要としている。

音と味覚の関係、文化圏で異なる?

そうした傾向が、異なる文化圏でも確認できるかどうか調べたのが、東京大学大学院の鳴海拓志准教授(バーチャルリアリティー)だ。スペンス教授と前述の実験をしたコロンビア大学の研究者らと協力し、南米(コロンビア)とアジア(日本と韓国)で被験者を集めた。

実験で使ったのはチョコレート。甘み、柔らかさ、滑らかな食感と結びつきやすい高音域の曲と、苦み、硬さ、ザラッとした食感と相性が良い低音域の曲を聴いてもらった。二つの曲ともヨーロッパの人では効果が確認されていたが、南米と日本の人ではばらつきがあり、「効果あり」との結論には至らなかった。

音楽を聞きながらチョコレートを食べて、味を評価する韓国の参加者たち
音楽を聞きながらチョコレートを食べて、味を評価する韓国の参加者たち=鳴海拓志准教授提供

鳴海さんは「日常的に接している音や、食事のシーンで流れる音の違いが『ずれ』を生じさせたと考えられます。音が味覚に影響しない、ということではなく、現地に合わせたチューニングが必要ということです」と説明する。

一方、実験では異文化間で共通する部分もあった。軽やかなピアノソナタ(ポジティブな音楽)を聞きながら食べるとチョコをより甘く感じ、暗い曲調のオペラ(ネガティブな音楽)だと苦みを強く感じるとの傾向は、ヨーロッパ同様、南米、アジアでも確認できた。鳴海さんは「ブース内の参加者にはそれぞれの曲を聞いてチョコを食べ、甘さ何点といった評価をしてもらった。チョコは同じでも、多くの人は違うチョコを食べたと思っていた」と話す。

音が味覚に影響するのはなぜなのか。

女性の「キャー」はなぜ「黄色い声」?

鳴海さんは「聴覚や味覚、視覚や触覚は独立していると思われがちですが、実は強く影響しあっています」と話し、いくつかの仮説を挙げた。例えば、「キャー」という女性の高い声を「黄色い声」と表現すること。

「高い周波数の音と高い周波数の色を結びつけているわけです。脳が情報を処理する際、聴覚と視覚という別の部分であっても、高い周波数への反応が同時に起きると、二つに関連があると判断する。あるいは、脳内での処理の仕方が似ているからしっくりくる、という考えがあります」

鳴海拓志准教授
鳴海拓志准教授=本人提供

もう一つは、私たちの日常的な経験の積み重ねだ。一般に「黒いものは重い」という想像が働く。「例えば、太陽に近い雲は白く、地面にある影は黒い。そうした様々な経験から、白いものほど軽く、黒いものは重い、と脳が推測するという考えもあります」

自身の研究について、鳴海さんは「五感の結びつきには分かっていないことが多い。それは自分自身のことを分かっていないということでもあります。だからこそ、感覚の研究で得られる発見はとても面白い」

また、味覚は多くの人にとって関心が高く、体験しやすい。「体験した人が一緒に驚いたり、これは減塩に役立つのではないかと考えてくれたり。それもこの分野の楽しさです」という。

鳴海さんは、博報堂のプロジェクトチーム「Human X(ヒューマンクロス)」と、「ビールのおいしさを増幅させる音楽」を開発している。クリーミー感を増幅させる音楽▽ソーダ感、炭酸感を増幅させる音楽▽のどごし感を増幅させる音楽、が楽しめるという。