「桃野さん、やはり持ち逃げのようです。連絡がつかなくなってしまいました」
「マジか、バカなことしやがって…」
現金売上の管理を任せていた若い社員が、病気だの親の入院だのを言い訳に出社しなくなり、5日が経っていた時のことだ。
現場から売上を回収するはずの日から始まった失踪なので、明らかにマズい。
直属の上司にマンションまで様子を見に行かせるが、いる様子がないという。
状況的に、横領で間違いないだろう。持ち逃げしたのは総額200万円と、出来心で許せるような金額ではなかった。
この状況を経営トップに報告すると、当然のように怒り狂う。
すぐに警察に被害届を出して刑事事件にするというが、私は大急ぎで止めた。
「社長、待って下さい。こんなやり方で運用していた会社にも落ち度があります。まずはご両親に連絡し、なんとか本人を見つける努力をしましょう」
それから1週間後、彼は無事に見つかり、両親に伴われて会社に戻ってきた。
「現金はすべて私どもが弁済しますので、どうか穏便に済ませて頂けないでしょうか」
深々と頭を下げる両親。回収した売上は全部競馬に突っ込んでしまい、もはや手元に残っていないのだという。
そう申し出る両親を前にしても、まだ怒りが収まらない経営トップは刑事事件化する考えを取り下げない。そのため私は改めて、経営トップに向き直るとこんなことを言った。
「こんな管理体制を放置していた経営トップにも、問題がなかったとはいえません」
「こんなザル管理を許していたCFO(最高財務責任者)の私にも、責任があります」
「持ち逃げが可能なリスクを見逃していた直属の上司にも、同様に責任があるはずです」
そして両親の全額弁済を受け入れ、当該社員は自己都合退職で許してやるのが妥当だと説得し、最終的になんとかそのようになった。
もう20年近く前の出来事だが、若い社員が自分の行為を反省し、再出発の道を残すことができたことに私は正直、満足していた。
結果として、会社には実損が出なかったことともあわせてだ。
そんなこともあり、私はこの時の自分の判断が正しかったと、疑ったことなど全くなかった。つい、ほんの最近まで。
しかし今は、こう思っている。
「偽善者、エセリーダーの考えだ。明らかに間違いだった」
「お願いします、どうか負担させて下さい!」
話は変わるが、私にはリーダー論の取材でたびたびお世話になっている、敬愛するひとりの元自衛官がいる。
陸上自衛隊の序列ナンバー2にまで昇った、田浦正人・元陸将だ(以下敬称略)。
戦後、国内外のもっとも厳しい任務で指揮官を任され続けた、歴史に残る最高幹部の一人といって良いだろう。
自衛隊のイラクPKO派遣では、大量のロケット弾が撃ち込まれる現場で隊長として部隊を率い、任務達成と全員の無事帰国を実現する。
また3.11福島第一原発事故では、原発が水素爆発を起こし次々と制御不能に陥る中、警察、消防、行政などを束ねる現地組織のトップに立ち、原発を鎮めた。
そんな田浦に、リーダーがタフな決断を下す際の意思決定や価値観について、取材をしていた時のこと。
ふと思い出したように、こんなことを語りはじめる。
「桃野さん、リーダーはとても孤独な存在です。重い決断を瞬時に下す際のプレッシャーは、相当なものです」
「そのように、拝察しています」
「しかし判断に迷った時、私たちには“同期”という存在がいます。悩みや迷いも共有し補い合えるのです」
そう前置きした上で、まだ若かった頃、戦車大隊長を務めていた時の苦い思い出を話し始める。
指揮下にある戦車中隊である日、一人の陸曹(下士官、兵と幹部の中間階級)が70万円を持ち逃げしたというのだ。
そのお金は、懇親会などの目的で隊員たちから毎月集め、皆で積み立てていたものだという。
当然のこと、田浦は日頃から「通帳と印鑑を2名に分けて管理せよ」といった指導をしていたのだが、中隊長は部下を信用し、完全に任せてしまっていた結果だった。
管理体制の不備や責任の所在は別に考えるとして、まずはこの70万円をどうにかしなければならない。
常識的なセンでは、事故を起こした中隊の中隊長、中隊の幕僚である幹部、その陸曹の指導にあたっていた先任陸曹(叩き上げの現場リーダー)、トップリーダーである大隊長の田浦など関係者数名で、折半するといったところだろう。
しかしこの案にどこかしっくりいかなかった田浦は、組織運用に長けている同期に電話をかけ、相談した。
「このような場合、どういうルールで折半すべきだろう」
「田浦、関係者皆で折半したらあかんで!渋々従う奴がずーっと文句言うで!」
「…そうか、その通りだよね!ありがとう!」
そのひとことにハッとさせられた田浦は、心を決めた。
そして中隊長を呼び出すとこう告げる。
「この責任を取れるのは、貴官と大隊長である私、2名の指揮官だけである。よって、35万円ずつ払おう」
それを聞いた、幕僚の幹部と先任陸曹は血相を変え、大隊長室に飛んでくる。
「大隊長、私たちにも責任があります!どうか私たちにも負担させて下さい!」
「ダメだ。この責任を取れるのは、指揮官だけである。君達は、指揮官に責任を取らせてしまった幕僚として、その十字架を一生背負って歩け」
「お願いします…!どうか、どうか負担させて下さい!!」
「ダメだ!」
幕僚の幹部も先任陸曹も、最後には泣きながら懇願したと言うが、田浦は決して受け入れなかった。
そうすることが、組織を強くする最善の策であると確信したからだ。
そして田浦はボーナスから35万円を引き出すと、中隊長とともに部隊の口座に資金を補填する。
「おかげで妻は、カンカンに怒りました(笑)」
そんなことを懐かしそうに話すが、自分の考え、信念を説明することで、最後には理解してくれたという。一流の指揮官のパートナーもまた、本当に度量が深く器が大きい。
なお70万円を持ち逃げした陸曹について、後日部隊で確保すると、もちろん田浦は容赦せず懲戒免職処分にする。
組織のルールであることはもちろん、下手な温情をかけ処分を迷うと、部隊の規律が守れないので当然のことだ。
しかしそれでも、懲戒免職処分にした隊員を、田浦は決して見捨てることはなかった。
彼を伴うと地元運送業者の社長のもとに行き、頭を下げ、住み込みのトラック運転手として雇ってもらうのである。
「大隊長、そこまですることはないじゃないですか」
そんな事を言う幕僚たちもいたようだが、田浦はこう返した。
「お金を盗めるようにしてしまっていた責任が、私にはある」
なお後日談だが、それから5年ほど経ったある日、その元隊員から連絡があったそうだ。
「あの時は、本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」
そして35万円全額、しっかりと弁済したのだという。
そんなことを懐かしそうに振り返った田浦は、この話をこう締めくくった。
「あの時、同期に相談して本当に良かった。リーダーは確かに孤独ですが、信頼できる同期の存在は心の支えです。民間の経営者にも、こういった存在がいれば良いのにと、いつも思っています」
本物と偽物の違い
話は冒頭の、私の判断についてだ。
「偽善者、エセリーダーの考えだ。明らかに間違いだった」
なぜ長い間、自分の判断を疑ったことなど無かったのに、今はそう考えているのか。
田浦の話を引用した後に多くの言葉も要らないだろうが、そうもいかないので言語化してみたい。
あの時の私は、何よりも横領をやらかした若い社員の未来を優先したつもりだった。
一度の過ちで、人生の可能性を全て摘むのは間違っているだろうと考えたからだ。
しかしあの時、盗んだ金を両親が補填したことで、彼は本当に反省しただろうか。
懲戒免職にすらならなかったことで、彼は何一つ結果責任を負っていないのである。
これは本当の優しさなのだろうか。
また懲戒免職にしなかったことで、組織に対するメッセージ性も明らかに間違ったものになってしまっただろう。
加えて、「リーダーの責任」に言及しながら、経営トップ、私、直属の上司の誰も、責任を取っていなければ痛みを感じることもなかった。
要するに、「自己満足で意思決定し、自分のことしか考えていなかった」のである。
それに対し、田浦の意思決定はどうか。
「組織をもっとも強くする選択肢はなにか」
「関係者皆が、二度とこのような不祥事を起こさないと固く心に誓う最善の方法はなにか」
その価値観で、意思決定を下している。
そして、不祥事をやらかした本人にはしっかりと結果責任を取らせた上で、自身も、トップリーダーとして大きな傷みを胸に焼き付けた。
さらに、やらかしたことと将来の可能性を分けて考えて、元隊員には再就職先まで用意したのである。
リーダーとしても人としても、圧倒的だ。
その後、田浦がイラク派遣隊の隊長に抜擢され、また3.11福島第一原発では、文字通り国の命運を任される存在になっていったのも当然だろう。
そして15万人を擁する陸上自衛隊のナンバー2にまで昇り、2019年8月、北部方面総監・陸将として制服を脱いだ。
そんな田浦の意思決定、リーダーシップからビジネスパーソンが学ぶべきことは、余りにも多い。
本物のリーダーと、本物っぽい偽物のリーダーの違い。
それはきっと、何よりも組織と部下を優先し、意思決定しているかどうかの違いなのだろう。
偽物は、突き詰めてみれば自分の思いや自己満足を優先していることに気が付かされる。
世の中の経営者や管理職と言われる人たちは、果たしてどうか。
田浦のような覚悟と価値観で、本当にリーダーとしての重責を背負っていると自信を持って言い切れるだろうか。
是非一度、考えてみて欲しいと願っている。