夕暮れ空が広がる8月の週末、キッチンに立つ男性がグリーンカレーの鍋をかき混ぜた。横にいる男の子がじっと見ながら、同じように隣のフライパンのひき肉をかき回す。その脇の女性が自然に、両方に調味料を加えていく。
自分ごとのように喜び悲しんでくれる存在
3人に血縁はなく、戸籍上もつながらない。「Cift(シフト)」というシェアハウスに住む「拡張家族」だ。女性はCiftの家族代表、石山アンジュさん(34)。ユウスイくん(4)は、両親と約2年前に引っ越してきた。男性は、石山さんの仕事上の知り合いだった。月に1回の「ファミリーディナー」の準備をしていた。
東京の渋谷駅に近い商業ビルのワンフロアに、Ciftはある。大きな窓から日差しが降り注ぐ広い共用のリビングとキッチンもあり、バス・トイレ付きの部屋が複数ある。メンバーの住む部屋の間取りは、1Kから2LDKまでさまざま。部屋をシェアすることもできる。ベランダでは、バジルやキュウリを育てている。
石山さんは拡張家族について「何かあった時、自ら手を差し伸べる覚悟が持てる、その人の人生を自分ごとのように喜んだり、悲しんだりできる存在。家族を広げていく社会実験です」と言う。血縁や結婚によらず、助け合える関係性をつくろうと試みている。
開設して6年で賛同して集まったメンバーは0歳から60代まで100人を超えた。子どもは約15人を数える。2020年には京都にも拠点ができた。
活動の根底には石山さん自身の体験がある。12歳のとき、両親は離婚した。2人とも新しい相手がいて、複雑な気持ちを抱いた。ただ、家族が2人増えたと思うようになった。
同時に、世間からの「かわいそう」というまなざしに違和感も覚えた。父が横浜市で開業していたシェアハウスに住んでいたが、世界中から人がやってきて密な人間関係もあった。
マイノリティーとしての子どもへのシンパシー
2017年に生後7カ月の長男とCiftに参加したのが神田沙織さん(38)だ。夫と戦略広報コンサルティング会社を共同開業した後で、長男を保育園に通わせようとしたが、受かったのは第4希望でバスで20分以上もかかる園だった。頼れる親類もおらず、途方に暮れていた。
ルームシェアすることになったのは、ゲイだと公言するデザイナーの外山トムさん(33)、小学校教員の女性と、夫が単身赴任中で妊婦の作家。みな子育てに関心があった。神田さんはそれぞれにお任せする形で子育てを助けてもらった。
外山さんは、「ゲイであることを今の日本で受け入れるということは、社会から求められるスタンダードな生き方はできないということだと思った」。その中で、子育てへの関心も抱くように。
公共交通機関にベビーカーで乗りづらいことや、入れない店があることなど、子どもの生きづらさも知って「理不尽だ」と思った。マイノリティーとしての子どもにシンパシーも感じた。
外山さんは赤ちゃん言葉を使わず、大人に接するように話しかけた。神田さんは言う。「1人の人間として息子に向き合ってくれた最初の人だった」
妊婦には、子育ての支援を求めたい側だった神田さん自身が、出産前後の経験を伝えられることもあり、交流することが励みになった。
彼らはいまも、息子にとって年の離れた友達のような存在でいてくれている。
神田さんと今、部屋をシェアしているのは、今春に入った内山茜さん(42)と、長男の桜成さん(おうせい、15)、長女の芽来さん(めぐ、11)だ。
児童相談所で働く内山さんは「虐待など、家族内で心やからだが傷つく行為が繰り返され、それが『当たり前』になってしまうことがある。家族が(外の社会から)閉じているから生まれる課題がある」と日々感じている。だから「自ら家族を開く実践をしたい」と参加した。子どもが世界を広げていける、とも考えた。
高校1年で将来の進路を思い描く年頃の桜成さんには、キッチンでときに一緒に料理する大人たちとの交流が貴重な時間だ。「大人っていろんな生き方があるんだなって知れた」
何かあれば会議を開いて解決 つながりが助けに
一人での子育ても支えられている。2018年からメンバーの40代のヒトミさんは、3歳の長男を育てながら暮らす。
海外に住む子どもの父親が育児に関わる予定はない。実家は九州にあるが、大学以降は地元を離れていたため友人知人も少ない。仕事のつながりや人間関係を考えると、実の家族の手を借りられないワンオペ子育てとなっても東京での暮らしを選んだ。そのなかで、公助があった上でこその共助だ、という思いが強い。
「子育てには、だれでも通える保育園や相談窓口など公助は不可欠だ。そのうえで、こうした(拡張家族のような)つながりがあると助けられる」
大きな所帯で生活を共有するので、なにかあれば会議を開いて、それぞれの意見を伝えあう。きれいごとだけではなく、ときに大変さを伴うこともある。
それでも、育児で大変だったとき、メンバーの1人に「つらいときは夜中でも起こしていいからね」と言われた。その言葉が心の支えになった。コロナ禍で人との接触が減ったとき、ここでの交流があって救われた。その思いは変わらない。
「親戚のお姉ちゃん」のような立場から、人生考える
子育てにかかわる人も、与えられていることがある。
2年前からCiftに住み、ファミリーディナーの準備で、ユウスイくんと一緒にきゅうりを切った会社員のナオミさん。ユウスイくん以外にも、子どもの寝かしつけを手伝ったこともあるという。「(拡張家族の)親戚のお姉ちゃんのような存在の人たちが働きながら育てる姿をみながら、私自身の今後の人生も考えられる」と笑う。
ただ、Ciftに集まる全員が、子育てに向かうわけではない。ライターのサトウサオリさん(38)は、35歳を前後に、将来子どもをもつのか、持たないのか。卵子凍結するかを悩んでいた。
子育てを体験してみたい、という気持ちがあった。ただ今の時代、そんなに簡単なことではない。その思いも伝えながら、Ciftに参加。受け入れてくれた子育て中の人たちがいた。
離乳食をなかなか食べてくれない子どもに悩むこと。おむつ替えの大変さ。口達者になって、いろんなことができるようになっても、中身は子どものままで目が離せない感じが続くこと。間近で見た子育ては思っていた以上に大変で、まるで、「正社員の仕事がもう一つ増えるほどの気合が必要」だった。そして気づいた。
「子育てをすると、生活の中心が子どもになって、人生の主役が自分じゃなくなるのでは」
翻って、自分の人生に必要なことは。そう本気で向き合ったとき、思った。会社員として働き、子どもがいる家庭をもつことは、自分にとっては最優先ではない。
実は会社員として働きながら、短編小説を何度か投稿し、評価もされてきていた。これから長編に挑戦してみたい、とも思っていた。子どもを生んだり、育てたりして家庭を築かなければ、社会にあるレールから外れるような気持ちもあったが、子育てを経験させてもらって、見えてきたものがあった。
シェアハウスでルームシェアし、一緒に子育てをした仲間たちにも「卒業する」と自分の思いを伝えて、受け入れられた。ほかの人の子育てには、自分ができることでかかわりたい。そう思う気持ちはある。
いまは京都にあるCiftに拠点をうつし、派遣から始めて正社員にもなった会社員の仕事もやめて、美術系の仕事とライター業にまい進しながら、小説と向き合っている。