6月5日、韓国で新しい役所、「在外同胞庁」が発足した。
尹政権が2022年大統領選の選挙公約にしていたもので、海外に永住した韓国市民や、韓国市民の子孫で外国籍を得た人たちなどの韓国語教育、現地でのコミュニティーづくりなどを支援する。在外同胞は日本に住む82万人を含め、全世界に約733万人いるという。尹大統領も発足式で「世界のどこにいても、同胞を助けるのが国家の責任だ」と訴えた。
この在外同胞庁はソウル近郊の仁川(インチョン)市に設置された。韓国と海外とをつなぐ表玄関、仁川国際空港のすぐ近くにある。
本部の発足に合わせて、ソウルにも同庁の「統合民願室」が設けられた。場所は中心部にある景福宮のすぐそば、在ソウル日本大使館も入居するビルにある。外交省からも徒歩10分ほどの距離だ。
民願室とは何をする部署なのか。同庁ホームページによれば、在外同砲や在外国民の抱える様々な相談に乗り、必要な書類発給などを支援するという。ただ、非対面の領事サービスも売り物にし、24時間体制のコールセンターもあるという。なぜ、わざわざ、ソウルに別の庁舎を設けたのか。
在外同胞庁は外交部の外局という位置付けだ。朴振(パクチン)外相らは各国大使館があるソウルに設置することが妥当だと考えたが、尹錫悦大統領は韓国の表玄関としての位置付けから仁川への設置を望んだという。世界各地にある韓国人連合会(韓人会)の意見も「ソウル派」と「仁川派」に割れ、この春まで設置場所が決まらない中、折衷案として、本庁を仁川に、統合民願室をソウルにそれぞれ置くことが決まったという。
そして、この騒ぎを通じて浮かび上がったのが、女性や若手を中心とする外交官の「ソウル志向」だった。
子どもの学習環境はソウル一極集中、首都に残るは3官庁のみ
韓国政府の知人は「外交部から在外同砲庁に移って働く女性外交官たちが仁川での勤務に難色を示したと聞いている」と語る。仁川勤務になった女性外交官の一人は周囲に「その代わり、数年後に海外勤務になるから」と語り、暗に仁川勤務を条件つきで承諾したことをにおわせたという。
なぜ外交官たちは、仁川勤務に難色を示したのか。
これは韓国特有の教育問題と関係があるという。韓国は激烈な学歴社会で知られる。我が子を少しでも良い大学に進学させるため、父母はよりよい教育環境を求めて奔走する。その象徴がソウルであり、なかでも大峙洞(テチドン)、木洞(モクトン)、上渓洞(サンゲドン)の教育三大地区には、スター講師が居並ぶ学院(塾)が立ち並ぶ。
また、大峙洞を含むソウル南部・江南地区の高校は、有名大学への進学率が高いことで知られる。父母の間では、「江南に行けば、SKY(ソウル大、高麗大、延世大)に行ける」という言葉があるほどだ。「子どもに良い教育環境を」と考えた場合、ソウルに住む必要があると考えるのだ。
韓国では首都機能の移転が盛んだ。
中央官庁のほとんどが、ソウルから高速バスで1時間半ほど南に下った場所にある世宗特別自治市に移転した。現在、ソウルに残っている中央官庁は外交部、統一部、女性家族部の3官庁しかない。このため、公務員試験ではこの3庁に人気が集中している。
なかでも海外や地方への転勤がほとんどない統一部が人気だという。
女性の進出が著しい韓国外交部
ところで、韓国外交部といえば、韓国での女性進出の象徴とも言える職場に位置付けられる。
ソウルに勤務していた2017年1月、外交部で新しく外交官になった職員の任官式を見に行った。31人の新任外交官のうち、21人が女性だった。当時の取材によれば、韓国の外交官試験は1990年代までは男性が優勢だったが、2000年代に入って女性が毎年過半数を占めるようになった。2016年に行われた試験で、初めて女性合格者が7割を超えた。当時の段階で、全職員に女性が占める割合も4割に達していた。当時、約900人いる本部職員のうち、出産や育児で休職中の職員が60人ほどいた。
知人が課長を務める課では、知人以外は皆女性だった。知人は「セクハラになるかもしれず、会食以外は、いつも構内食堂で、1人で食事をしている」とぼやいていた。
家庭で伝統的役割を期待される女性たち
韓国の外交官の人事異動は「オンタン(温かいお風呂)・ネンタン(水風呂)」と言われる。
先進国と発展途上国を交互に勤務しなければならないルールがあるからだ。国別に、例えば先進国ならプラス10、発展途上国ならマイナス10といった点数があり、その合計が一定の数値内に収まる範囲でしか勤務ができない。
それでも、最近は「子育て」「教育」などを理由に発展途上国への勤務を渋る女性外交官が増えているという。知人の韓国人男性外交官は「海外に行きたくないという女性もいる。なぜ、外交官になったのか理解に苦しむ」と語る。
韓国では日本以上に女性が社会進出している一方、伝統的な儒教社会の影響も残っている。
韓国で一族が集まる旧正月と秋夕(チュソク・旧盆)では、男性たちが広間で飲み食いする間も、女性たちが台所に入りっぱなしという慣習もまだ根強く残っている。小説「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ著)は家庭に閉じ込められる若い女性の悩みを描き、韓国でベストセラーになった。
韓国の女性外交官の一人は「色々と仕事があって大変だけれど、本部(ソウル)勤務が一番良い」と語るが、その背景には、子どもの教育や介護などの責任を負わされがちな女性が持つストレスがある。
この話を聞いた日本の外交官は「日本外務省は韓国外交部以上ですよ」と苦笑いした。日本でもまた、「結婚」「子育て」を理由に海外に行きたがらない女性外交官が増えているという。最近では深夜まで働くことが多い霞が関を「ブラック企業」だとして、簡単に辞めていく若手官僚も多い。この外交官は「無理に頼めば辞めてしまうし、人事がうまく回らないこと、このうえありません」と語った。
これも社会が変化するときの「産みの苦しみ」なのかもしれない。