スイス・チューリヒ郊外の住宅街にあるスーパーマーケット。その地下駐車場入り口には「シェルター」の掲示がある。近くの住民に聞くと、みな口々に「我が家の地下にもシェルターがあるよ」。国民だけでなく、スイスに滞在するすべての人に核シェルターが確保されているという。
核戦争の寸前まで米国とソ連の緊張が高まった「キューバ危機」後の1963年、スイスは住宅を含むすべての建物に核・生物・化学兵器に対応するシェルターの設置を連邦法で義務づけた。
2011年の改正で、「すべての建物にシェルターを」から「すべての住民にシェルターで守られる権利を」という方針に変更され、住宅への設置義務は緩和されたが、全員分のシェルターが設置されている状況に変わりはない。
スイスの主要な核シェルター製造3社の一つ、アンドエア社のCEOミハイル・リエドさん(50)は「スイスには徴兵制がある。非常に小さな国で、兵役中でも故郷で何が起きているかすぐに伝わるが、家族に安全な避難所や食料が保障されていれば、兵士は任務に集中することができる」と説明する。
中立国とはいえ、冷戦下の隣国フランスや西ドイツの重要都市とも近く、周辺国で戦争が起きた場合に備えるという面もあったという。
冷戦終結後は欧州連合(EU)諸国に囲まれ、攻撃を受ける可能性はほとんど考えられなくなった。シェルターのほか、徴兵制や軍備コストについて、維持するか、縮小して教育や医療、環境など他分野に振り分けるべきか、国民的議論となってきた。だが、2011年の東京電力福島第一原発の事故を受け、多くの人が「軍事攻撃の可能性はないかもしれないが、スイスにも原発があるので、やはりシェルターは必要だ」と考え、設置義務の緩和にとどまったという。
ロシアによるウクライナ侵攻後、同社には欧州やアジア、中東の国々から問い合わせが相次いだ。ただ、リエドさんは「シェルターは設備をつくればいいだけではない。避難中に生き延びるための備蓄や、避難後にシェルターからどう救出するかという行政レベルでの救助や支援の計画が重要だ」と強調する。シェルターが足りなければ、避難をめぐって争いが起きかねず、水や食料の備蓄が不十分だと奪い合いが生じかねないからだ。
すべての人が核シェルターに避難できたとしても、「核戦争が起きれば生き延びても仕方ないのでは」という矛盾も抱える。
スイス・ジュネーブに本部を置くスイス生まれの国際人道支援組織「赤十字国際委員会(ICRC)」は、2019年に核兵器廃絶を訴える動画を公開した。
「もし今、核爆弾が爆発したとしたら、生きるか死ぬか、君ならどっちを選ぶ――?」
2人の青年が水辺に立ち、片方が相手に問いかける。尋ねられた青年は「生きる」と答える。「死んでしまったら二度とできなくなってしまうことがたくさんあるから。家族に会えなくなるし、太陽の光を浴びることも、好物を食べることも、旅行も恋することもできなくなる」
「君はどうなんだい?」と返されると、最初に問いかけた青年は「死を選ぶ」と言う。「もし生き残ったとしても、たくさんのことが二度とできないのだから。家族に会うことも、太陽の光を浴びることも、好物を味わうことも、旅することも、恋に落ちることも……生きることも」
静かな語り口で進む2分足らずの動画だが、強烈な内容だ。
核問題に詳しいICRCの法律顧問(軍備・戦闘専門)イリニ・ギオルグさん(37)は、「ICRCは放射線被害に対する救護の準備をしているが、これは主に原発事故を想定したもの。はるかに大きい核兵器による被害には、衛生上の対策や遺体の管理、放射線障害への医療支援などあらゆる面で対応できない」と説明する。
ICRCは1945年8月に広島に原子爆弾が落とされた直後、初めて外国人医師を広島入りさせ、救護にあたった経験を持つ。「核兵器の破壊力は1945年から劇的に増大しているにもかかわらず、医療や人道支援などの対応能力は同じようには上がっていない。もし核兵器が使用されたら、誰も十分に対応できない。だから私たちは、核兵器の使用を防ぎ、廃絶しなくてはならないという立場をとっている」と強調する。
「核シェルターは、直接的な熱や衝撃波、急性の放射線障害からの短期的な死を防ぐには有効かもしれないが、長期的な影響には無力だ。そして残念ながら、核兵器の影響は非常に長期にわたって及ぶ」
「考えてみてほしい」とギオルグさんは続けた。「もし爆心地から十分に離れていて、放射性降下物が発生する前の最初の15分で素早く核シェルターに入ることができれば、ひょっとしたら2週間こもって生き残ることはできるかもしれない。でも永遠に閉じこもっているわけにはいかない。核シェルターは決して究極の解決策ではなく、核兵器のもたらす恐ろしい影響を打ち消すものにはなり得ないのです」