台北市中心部にある台北駅の地下街。6月の週末、チャイナドレスや工芸品、日本アニメのフィギュア、菓子など様々な商品を扱う店が並び、家族連れなど多くの買い物客でにぎわっていた。ここがシェルターだとは気づかない。洋服店の50代の女性店員は「シェルターと意識したこともない」と話した。
台北駅の地上出入り口には、シェルターと示す標識が掲げられている。地下に逃げる人の絵と赤い矢印の下に、「防空避難 Air Defense Shelter」と中国語と英語で記されている。台湾の警政署(警察庁に相当)が3月、より目を引くようなデザインにするよう指示してできた新たな標識だ。
台北市によると、普段は商店街として使われ、地下1階だけで約7万平方メートル、283店舗が並ぶ。市の担当者は「防空訓練などの際には周囲の人々が集まる」という。
米中対立のはざまに立つ台湾は近年、中国からの強い軍事圧力を受けてきた。ほぼ連日、中国軍機による防空識別圏(ADIZ)への進入を受けるほか、昨夏には中国が軍事演習で撃ったミサイルが台湾上空を横切り、緊張が高まった。
台湾では、駅や大型競技場などの公共施設以外に、建築関連の法令で、行政が指定する人口密集地にある5階建て以上の工場、6階建て以上のマンションや商業ビルなどにシェルターなどの防空避難設備の設置が義務づけられている。
鉄筋か鉄骨コンクリート造りで天井の高さや防火扉の強度、非常口の数に関する規定もある。マンションやビルでは建坪と同じ広さが求められ、多くが地下につくられる。
台湾の内政部(総務省)によると、こうした防空避難設備は全土に10万6000余りあり、8665万人を収容できる。全人口(約2350万人)の4倍近い規模だ。
設備内での水や食料の備蓄を定めた決まりはなく、内政部の担当職員、高文婷さんは「台湾の壕は空襲を一時的にしのぐ施設で、長期間の避難生活は想定していない」と説明する。
設置の規定ができたのは、中台の散発的な軍事衝突が続いていた1974年だ。80年代以降の緊張緩和を経て設置の基準はやや緩和され、普段は駐車場などとして使うことも認められた。ただ、民間のビルが避難設備をつくる場合でも、公的な資金補助はない。
こうした制度を社会はどう見ているのだろうか。
台湾のゼネコンや不動産開発業者1万社超が加入する業界団体の副秘書長(事務局次長)、張興邦さん(54)は「工事を発注する施主やマンションの購入者から、避難設備に関する問い合わせはない」と言い切る。
建築士でもある張さんによると、一定以上の高さのビルを建てるには、仮に避難設備の設置義務がなくても、ビルの安定のために地下に杭を打ち込む必要がある。「現行法令が求める範囲なら、設置費用の追加負担は限られる。駐車場付きの物件を求める店子は多く、制度への反対は聞かない」と語った。
長く日常の一部として特段の関心が払われていなかったシェルターだが、「台湾有事」への関心の高まりを受け、行政当局は二十数年ぶりに、設置を義務づける指定地域の見直しに着手した。学校にも、敷地内のシェルターを使った避難訓練を求めている。
台北市北部の市立大直高校(生徒と教職員計約2000人)は昨年9月、市の指示で初めて校舎の地下室を使った訓練を行った。校長の林湧順さん(48)は「地下室は普段、卓球やダンスの練習場として使っている」とし、こう話した。
「私の幼い頃は、訓練で必ず防空壕を使った。近年は平和に慣れていたが、ウクライナ戦争を見ると、地下室を使う訓練は決して無駄ではない」