■そびえ立つアンテナ 情報収集の拠点
道路を細い金属製の溝が幾筋も横切っていた。島で多く放牧されている馬が牧場から外に逃げないように設置されたテキサス・ゲート。
2016年3月に設置された自衛隊駐屯地は牧場のなかにあった。島には沿岸監視隊など約160人が勤務する。来年度には、数年後の配備を目指す電子戦中隊の予算が計上される見通しだ。島のゴミ焼却施設も、防衛施設周辺整備事業として、防衛省の交付金で作られたものだ。
島のインビ岳には高さの異なるアンテナ施設が計5基、そびえ立っていた。マリンレーダーと呼ばれ、海上を往来する艦船の動きを監視している。情報収集の詳細は明らかになっていないが、施設の高さや数を考えると、複数の標的に向け、広範囲に情報を収集している状況が伺える。
元陸上自衛隊中部方面総監の山下裕貴千葉科学大客員教授(元陸将)は「台湾の島中央に山脈が走っている。中国は台湾東岸を占領しようと思えば、主に台湾と与那国島の間を通って、台湾東岸に回り込む必要がある。尖閣諸島に向かう中国の艦船も多数、与那国島の近くを通る。こうした艦船のデータを集めておく意味は小さくない」と語る。
台湾情勢に詳しい東京大学東洋文化研究所の松田康博教授は「辺境にある場所の重要な任務は情報収集。収集する対象との距離が近いし、天候に左右される可能性も低い。敵に攻撃されても、地上にある施設は海上や空中よりも修理が容易だ。敵も情報を取られたくないので、安易に近づかなくなる」と評価する。「たとえ、情報収集の部隊だけでも、駐屯地があり、自衛隊員がいさえすれば、部隊の増派も容易だ」
台湾は当初、与那国島で起きた変化に警戒の目を向けていた。当時、日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)主任を務めていた尾形誠元空将補は与那国にレーダーサイトができたとき、台湾側から何度も問い合わせを受けた。尾形氏は「台湾は、自衛隊が台湾空軍の動きや演習の状況を探っているのかと疑っていた」と語る。尾形氏は、北海道の沿岸監視隊の施設を参考に、艦船用のレーダーだと納得してもらったという。
日本政府は2010年、与那国島の上空を横切っていた防空識別圏について全島をカバーする範囲に変更した。台湾外交部は当時、事前協議が不十分だとして遺憾の意を表明した。
また、台湾軍は日本の防空識別圏と本島の間に訓練空域を設定し、日常の飛行訓練や中国軍に攻撃された場合を想定した演習の際に使用している。狭い空域のため、与那国島の領空に近づくこともしばしばあり、航空自衛隊は厳格にスクランブル(対領空侵犯措置)を行っている。尾形氏は台湾側から「日本は友好国なのに、ここまでやるのか」という不満を何度か聞いたという。
■変わってきた台湾の受け止め
自衛隊は与那国島に、宮古島や奄美大島のような対艦・対空ミサイル部隊を配備しなかった。関係者によれば、台湾を刺激することを避ける政治的な配慮もあったという。
ところが、最近では台湾側にも変化が見える。台湾国防安全研究院の王尊彦・研究員は「台湾の東側にある南西諸島は、戦略的に重要だ。中国は通常、西側から台湾海峡を越えて侵攻してくるが、東からも攻撃すると、台湾は二正面作戦を強いられるからだ。自衛隊が南西諸島に駐屯し、対艦ミサイルなどで中国の艦船の動きを封じてくれれば、台湾防衛に非常に大きな効果がある」と語る。松田教授も「中国による武力挑発が増えているため、台湾にとって南西諸島の価値が上がっている」と話す。
尾形氏によれば、台湾は、バシー海峡や宮古海峡を通過する中国の海空軍の動向に関する情報の共有や日米台による安全保障分野の協力を望んでいたという。いずれも実現していないものの、中国による軍事的圧力が日増しに強まるなか、台湾側の危機感が高まっている表れと見られる。
王研究員は「日本も台湾も、中国の脅威に直面している。香港の問題が起きたとき、これは明日の台湾、明後日の日本だという声も出た。お互い、防衛交流や情報交換が重要だ。日本で、台湾有事に対する関心が高まっていることに、台湾の人々は感謝している」と語る。
王氏は同時に、「日本が憲法により武力行使に制限があることも台湾の人々は知っている。むしろ、日本による外交的な支援を期待している。日本が外交手段を行使して、国際社会に訴えて中国の武力行使を思いとどまらせることを期待している」とも語る。
■島の町長に話を聞いた
歴史的にも経済的にも、台湾と与那国島は密接な関係にある。1996年に台湾海峡ミサイル危機が発生した当時、与那国の島民が「漁ができない」として、外務省に陳情に訪れたこともあった。与那国町役場の玄関脇には、来年で提携40周年を迎える台湾・花蓮市との姉妹都市締結記念碑が置かれていた。
役場で面会した糸数健一町長は「与那国は長い間、日本でも台湾でも中国でもない、安全保障の空白地だった」と話す。糸数町長によれば、当初は自衛隊と接点がなく、海上保安庁に常駐を依頼したこともあった。1973年、町議会が自衛隊誘致決議をした。自衛隊が2016年に駐屯するまで、与那国島にある武器といえば、島にある駐在所2カ所の警官が持つ拳銃計2丁だけだった。
糸数氏は「目の前の台湾が親日だから、安心して暮らせる。中国に統一されたら、地政学的にみて、与那国島は金門島のような存在になってしまう。過去、ベトナム難民が与那国に漂着したこともある。台湾有事になったら、その比ではないだろう」と語る。
糸数氏は今、台湾を巡る国際ニュースを固唾をのんで見守る毎日だという。「日本政府や国会議員に危機感が全くない。島を預かる町長として非常に心配だ。短時間で島民が疎開できるような準備も必要で、空港や港も拡充したい」と語る。
糸数氏が今年8月の町長選で初当選すると、台湾の関係者から祝電が相次いだという。「台湾も必死。お願いだから、台湾を見捨てないで欲しいと思っている。与那国を守ることは日本を守ることではないのか」。糸数氏はそう語った。
台湾情勢に詳しい防衛省防衛研究所の門間理良・地域研究部長の話
与那国島に監視レーダーを置くこと自体、中国軍は嫌がっている。一部にある「自衛隊が駐屯すると、戦争に巻き込まれる」という意見には同意できない。敵が攻撃し、占拠を企図するのは、その場所に戦略的な価値があるからで、自衛隊がいるからではない。
今の兵器システムの性能を考えた場合、台湾有事になれば、与那国島も戦域になる可能性が高い。それに備えた準備が必要だ。距離的に近いため、基隆や蘇澳など、台湾東部の港から与那国島や石垣島を避難民が目指す可能性もある。どのように対応するのか、シミュレーションをしておくべきだ。与那国島の空港を補強したり、港湾整備をしたりすることも必要だ。
台湾にとって、南西諸島への自衛隊配備は助けになる。中国軍の戦力を分散させることになり、台湾への圧力が減るからだ。台湾有事を起こさないための抑止力につながる。