今年4月、アメリカ・ジョージア州であった男子ゴルフのマスターズ・トーナメント。1934年に始まった伝統の「祭典」には、大型スクリーンも電光掲示板もない。観客のスマートフォンやタブレットの持ち込みは禁止。代わりに公衆電話と手で入れ替えるスコアボードがある。
昔ながらの風景が広がるコースとは対照的に、練習場では多くの選手が最先端の機器を使っていた。
2021年覇者の松山英樹(31)は、デンマークの会社が開発した弾道測定器「トラックマン」。
飛ばし屋のブライソン・デシャンボー(29)=アメリカ=は米フォーサイト・スポーツ社の「GCクワッド」。
飛距離・方向・ヘッドスピード…一瞬で分析 修正し試合へ
「ここ5、6年で計測機器を使う選手が一気に増え、練習風景が変わった」。松山のクラブの調整を担う宮野敏一さん(42)=住友ゴム工業駐米プロ担当=は言う。
約300万円のトラックマンはレーダーで後方からクラブと球の動きを追い、約250万円のGCクワッドは体の正面からカメラが球のインパクトの瞬間をとらえる。
飛距離に方向、打ち出し角度、スピン量、クラブのヘッドスピードに入射角、フェースの向き……。こんなデータが一瞬で分かる。
選手たちはタブレットやスマートフォンで、自身の調子を確認し、修正して試合に臨む。大会は、トラックマンを愛用するスペインのジョン・ラーム(28)が制した。
トラックマンが生まれたのは20年前。軍事用のレーダーシステムを応用して開発された。当初はクラブメーカーに1台10万ドル(約1400万円)で販売。WiFiにつながるモデルが出た2012年以降、急速に広がった。
トラックマン社日本法人によると、世界ランキング100位以内の9割、日本ではツアーの男女20~30人ずつが使っている。
今年3月の野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも、日本代表が練習中にトラックマンで打球を計測していた。
同社の売り上げの9割はゴルフで1割は野球。サッカーのフリーキックやペナルティーキック、アメリカンフットボールのセットプレーの分析にも活用されているという。
「トラックマンで自分の上達や優勝が近づいたのは間違いない」
昨季、女子の国内ツアーで史上最年少の年間女王に輝いた山下美夢有(21)は言う。2019年、プロテスト合格直後にトラックマンを購入。150センチと小柄で飛距離は出ない。練習で弾道やスイングを測り、ショットを磨いた。
「自分がどう打っているのかを理解できる。イメージがわく。安心感もある」
かつては経験から学んだもの いまは科学でスピードアップ
畑岡奈紗や渋野日向子、笹生優花、稲見萌寧、川崎春花、岩井千怜、男子では蟬川泰果……。ゴルフ界では20歳前後で活躍する選手が台頭している。
日本女子プロゴルフ協会の小田美岐副会長は、計測機器の普及が一因とみる。「昔はいっぱい球を打ち、経験で学んだが、科学で『見える化』される。習得の速度が上がった」
昨季の国内賞金ランキングで3位に入った岩崎亜久竜(25)は、練習日にはコースにもGCクワッドを持ちこむ。「自分の感覚とデータをすりあわせ、調整していく」。ドライバーの平均飛距離は300ヤードに迫る。昨季の賞金王、比嘉一貴(28)もトラックマンでショットの精度を上げた。
一方で、山下はこうも言う。
「トラックマンに頼っていただけではない。練習しかない」。
躍進の陰には、コーチを務める父がいる。長く見てきた父は、細かい変化やスイングの課題を見逃さない。不振が続いた昨季の序盤も、父の指導で修正し、復調した。
アマチュアの指導にも導入 「プロのようなスイングを」
データの収集と分析は、アマチュアにも広がる。東京五輪銀メダリストの稲見のコーチを務めた奥嶋誠昭さん(43)は、アマチュアの指導にも米国発のスイング解析システム「ギアーズ」を活用している。
体やクラブに30個以上のマーカーをつけ、カメラ8台でスイングを追い、一度に600枚以上の画像を解析。スイングの軌跡やインパクトの位置、肩やヒザ、つま先の角度まで60以上の項目を計測できる。「プロのようにスイングをしたい人たちにデータを示すと、説得力が違う」
一方で、難しさも知っている。「理想の数字に合わせようとすると、スイングが乱れて、うまくいかなくなっちゃう。人間がやっていることだから。スイングは1、2ミリの世界。どうやってスイングをしているのかという過程が大事」
日米にカナダ、中国、シンガポール、香港の240カ所以上開するゴルフスクール「ゴルフテック」は、AI(人工知能)も使っている。
スイングの解析では、AIが体の関節の位置を推計する。前後のカメラで肩や腰の動きを追い、GCクワッドで球やスイングのデータを測る。弾道を数値に置き換え、スイングの問題点を見つけて練習に生かすという。
トラックマン社日本法人によると、同社の顧客の20%は個人のアマチュア。2020年には、6球以上打つと、AIが課題と解決策を示す機能が加わった。
同社の遠藤有紀セールスマネジャーは言う。「AIがスイングや弾道を診断し、これまで時間のかかっていた分析をする。コーチはその分を指導にあてられる。
データ分析の蓄積は、選手の技術の向上とともに、飛びやすいクラブやボールの開発にもつながっている。
米ツアーではこの10年で、ドライバーの平均飛距離が10ヤード伸びた。相対的に狭くなったコースは対応を迫られている。マスターズの会場、オーガスタ・ナショナルGCでは今年、難関ホールの13番パー5でティーイングエリアが35ヤード後ろに下げられた。
ゴルフ界では、飛びにくい球の導入の議論まで出ている。