『星新一 一〇〇一話をつくった人』を書いたノンフィクションライターの最相葉月さん(59)は「作品を読んだ後と、評伝を書くために資料を調べた後の印象はまったく異なるものだった」と振り返る。
星製薬社長の星一の長男だった星新一は東大を卒業してまもなく、父の急逝によって経営経験のないまま後を継ぎ、政治家や社の幹部に翻弄(ほんろう)される。そのときに星が残したメモが見つかった。「失ひし金も止むなし 想ひ出あれば」
最相さんは「まだ20歳代で経営をわかっていない星が、腹黒い大人たちに振り回されて疲れ果てた末の俳句だったのではないか。『鍵』の最後の言葉と重なる俳句だ」。
星新一の作品は、淡々とした文体で固有名詞や風俗など時代が透けるような描写は排除されている。最相さんは「異質な要素を組み合わせて、おもしろい話をあれほど大量につくりだした星だが、後から読むといまの世の中を予言したような作品も多い」と説明する。
最相さんが挙げたのが、「番号をどうぞ」と「確認」だ。
「番号をどうぞ」は1960年代後半に発表されたショートショート。マイナンバーのように国民に番号がつけられた世界で、ボートから湖に落ちてカードや保険証などすべての番号をなくしてしまった男が銀行でも病院でも警察でも番号を求められ、答えられないと拒絶される。困り果てた男は罪を犯して逮捕され、指紋で身元が判明するという話だ。
「確認」は1970年代初めのショートショート。声を出しながら片手をのせると本人と判定される装置が広く普及した社会で、その装置のメーカーでは秘密がもれないよう複数の幹部がそれぞれ仕組みの一部だけ記憶していた。
その会社の幹部が集まるヨットが転覆し、幹部が死亡。仕組みをすべて知っている人は残っておらず、新たに製造できないばかりか修理もできない。その装置で銀行や商店の取引が成り立っていたうえ、社員や妻の確認にも使われていたため、誰も「自分が自分だ」と証明できず、大混乱をきたすという話だ。
最相さんは「インターネットが浸透しメタバースというバーチャルな社会が存在する時代。自分を隠そうとしても誰かが見ている監視社会の半面、自分で自分を証明する重要性も増している。便利になるメリットと、監視されるリスクをよく認識しなければならない」と指摘する。